第4話
文字数 3,615文字
4限目が終わる。
宿題を告げた数学教師が教室を出ていくと、チャイムが鳴った。
(よし、プランAでいこう!)
ヒロトはリュックの内側に貼り付けていた限定缶バッチを外し、机の上に。
(ん?)
しかし、隣の席から動く気配がない。
(どうしたんだ、香辻さん? さっきまであんなにやる気だったのに?)
鞄の中を覗き込んだまま香辻さんは動きを止めていた。
「えっ……ど、どこ……?」
手探りでは見つからないのか、鞄をひっくり返して机の上に中身をぶちまける。
タオルやヘアピン、財布、カードバインダーとゴチャゴチャとしたものをかき分ける香辻さんの顔が徐々に青ざめていく。
よほど大切なものなのだろうか、今にも泣きそうなほど目元に力がこもっている。
(教室移動の時に落としたのかな。ここは一時休戦して探しものを手伝おう)
握っていた缶バッチを離したヒロトは、香辻さんに声をかけようと控えめに手を伸ばす。
「あの……、か、香――」
「ね~ね~、これ誰の?」
ヒロトの控えめな主張を遮ったのは、夜川さんの快活な声だった。
「なんか、キーホルダー? みたいなんだけど?」
首を傾げた夜川さんが掲げる右手では、セーラー服姿で兎耳を付けた少女のアクリルキーホルダーが揺れていた。
(あれはアオハルココロプロジェクトがクラウドファンディングを募った時の返礼品『バニーアクキー』!)
今でこそトップVチューバーのアオハルココロが、まだチャンネル登録者1000人にも満たない頃のものだ。オークションに出せば、当時は500円ほどで手に入ったアクキーに数万円の値がつく。なにより、初期からアオハルココロを応援していたとして、持っているだけでファンの間では一目置かれるアイテムだ。
もちろんヒロトの物ではない。香辻さんが落としたのだろう。それを友達とお昼ご飯を食べるのに机を動かしていた夜川さんが発見したようだ。
「ねーー、誰かーー、知らない?」
眉を曲げた夜川さんが困り顔で、アクリルキーホルダーを振る。
(香辻さん、なんで名乗り出ないんだ?)
状況証拠から間違いなく香辻さんの物だが、当の本人は机に突っ伏している。まるでカタツムリが外敵から自分を守ろうとするかのように顔を腕で隠し、小柄な身体を震わせていた。
「わっかんないなら、後でせんせぇに預け――」
『おにいちゃん、朝だよ♪ はやく起きないと~~、イタズラしちゃうぞ♪ おにいちゃん、朝だよ♪ はやく――』
突如として響くガチガチのアニメ声に夜川さんだでなく、教室中が一瞬静寂に包まれる。
殻から出てきた香辻さんがこの世の終わりのような顔をしているほどだ。
「そのアクキー、僕のだ」
すくっと立ち上がったヒロトは、スマホをタップして目覚ましボイスを止める。
「河本くんのか。はい、返却~。もう落としちゃダメだよ」
見つかって良かったと微笑んだ夜川さんは、丁寧にヒロトの手の上にアクリルキーホルダーを乗せる。
「ありがとう……まだ何か?」
もう用事は無いはずだけれど、夜川さんはヒロトの目を見つめたままだ。
「キュートな声だったね。この娘が喋ったの?」
「さっきのボイスはマジカル梅子で、こっちのキーホルダーはアオハルココロ。二人ともVチューバーなんだ」
ヒロトの説明を夜川さんはふむふむと聞いている一方で、視界の端では香辻さんがまたも悶絶している。
「なるほどねー、あたし、ネットとかあんまし詳しくないんだけど、今Vチューバーってすっごい人気なんでしょ?」
「まさにね。動画配信の枠に収まらない活躍だよ」
「前からちょっこし興味あったんだよね。今度見てみる、えっと、マジカルココロだっけ?」
「アオハルココロとマジカル梅子だよ」
「おっけー♪」
そう言った夜川さんは右手の指先を揃えパクパクと腹話術の人形みたいに動かした。
ヒロトが席に戻ると、夜川さんは机をくっつけた友達とお弁当を食べ始めた。もう別の事を話題に友達と楽しく喋っている。Vチューバーの動画を見ると言ったのは社交辞令かもしれないけれど、ヒロトにとっては勧められたことだけで満足だった。
「じーー…………」
右隣から圧のある視線を感じる。当然、香辻さんだ。少し怒ってはいるのか、問い詰めるような険しさがある。
ヒロトはノートの端に【放課後、返す】とだけ小さく書いて、香辻さんにだけ見えるように机の端から出す。
(いますぐ返してるのを見られたら変に思われるからね)
香辻さんはメモ書きに気づいたのか、小さく頷いたように見える。納得してくれたようだけれど、なぜか頬は少し膨れたままだった。
その後は何事も無かったかのように平穏な昼休み、午後の授業と過ごして放課後がやってきた。
授業が終わるやいなや鞄を持って立ち上がる香辻さん。そのままスタスタと教室から出ていってしまう。
予想外の行動に慌てるヒロト。ノートや筆記用具を雑にリュックに押し込んで後を追いかける。
(もしかして、メモが見えてなかった? 香辻さんが頷いたように見えたのは、僕の気の所為だった? もし、そうだとしたら、僕は彼女の大切なアクキーだと知ってて強奪した最低のクズ野郎じゃないか!)
恐ろしい想像にヒロトの足も速くなる。帰宅や部活へ向かう生徒で混み合う廊下を、時にはぶつかりそうになりながら進んでいく。
(追いつけなかったらどうしよう。明日、全力で謝って……ん?)
最悪の事態を想定していると、階段の脇に香辻さんが立っていた。そして、ヒロトを見つけるとちょいちょいと手招きをする。
(はぁ~、よかった。メモには気づいくれてたみたいだ)
教室で目立つのを嫌ったようだ。
手招きした香辻さんについて生徒たちの流れから離れ、準備室のある人気のない方に歩いていく。
スパイのように慎重を期した香辻さんは、誰も見ていないのを確認して空き教室の前で止まる。警戒しているのか、近づいてくるヒロトと目線を合わそうとはしない。
ようやく追いついたヒロトはポケットからアクリルキーホルダーを取り出す。
香辻さんが一瞬嬉しそうな表情をするけれど、すぐにまた険しい表情に戻ってしまう。
「い、いくら……欲しいんですか?」
「イクラ? えっ?」
「だ、だから……それ、返して欲しかったら……お金ですよね」
「違うって! 僕はそんなつもりでアクキーを受け取ったわけじゃないって。香辻さんが名乗り出づらそうにしてたから、代わりにって思っただけ」
「本当ですか? 受け取ったら、い、一万円とか言わないですか?」
「しないって! はい、返すよ」
ヒロトは人に慣れていない野生動物に餌でも与えるように、アクリルキーホルダーを持った手をできるだけ伸ばした。
「……」
しばらく躊躇っていた香辻さんだったが、アオハルココロのレアグッズを犠牲にできないと、ついにアクリルキーホルダーを受け取る。
「あ、あり……がとう……ございます」
深々と頭を下げた香辻さんに、ヒロトはホッと一息つく。
「どういたしまして」
顔を上げた香辻さんは今度は、じーっとヒロトの目を見つめる。
「こ、河本くんは……Vチューバー好き……ですか?」
「好きだよ。香辻さんもでしょ?」
「はいっ! 大好きです!」
今までとは違う大きな声、そして萎んでいた花がパッと開くような笑顔で香辻さんは答える。
(あ、香辻さんって、こんな魅力的な顔をしてたんだ……)
河原でキラリと光る綺麗な石を見つけたような驚きに、ヒロトは無遠慮にまじまじと香辻さんの顔を見てしまう。
今まで伏し目がちだったから気づかなかったけれど、ぱっちりと開いた目は大きい。ちょこんと小振りな鼻と、可愛らしい唇は可愛らしさのモデリングがばっちりだ。ナチュラルな素材は揃っている。リップグロスすら使っていないようだけれど、化粧を覚えたら大化けするのではないかとヒロトには思えた。
「えっ……あ……す、すみませんでした!」
しまったという表情になった香辻さんは口を押さえ、また怯え顔の仮面を被ってしまう。
「こちらこそ、ごめん」
お互いかしこまってしまい変な空気が流れた。
「ま、また明日……」
先に耐えられなくなった香辻さんがアクリルキーホルダーを握ったまま廊下を走り出す。流れる黒髪から覗く赤くなった耳に見とれて、ヒロトは返事が遅れてしまう。
「うん、また明日ね!」
去っていく小さな背中に声を掛けるが、香辻さんは振り返らなかった。
(明日はちゃんと話せるといいな)
学校でクラスメイトとVチューバーの話ができる。
それはヒロトが思ってもいなかったことだった。
宿題を告げた数学教師が教室を出ていくと、チャイムが鳴った。
(よし、プランAでいこう!)
ヒロトはリュックの内側に貼り付けていた限定缶バッチを外し、机の上に。
(ん?)
しかし、隣の席から動く気配がない。
(どうしたんだ、香辻さん? さっきまであんなにやる気だったのに?)
鞄の中を覗き込んだまま香辻さんは動きを止めていた。
「えっ……ど、どこ……?」
手探りでは見つからないのか、鞄をひっくり返して机の上に中身をぶちまける。
タオルやヘアピン、財布、カードバインダーとゴチャゴチャとしたものをかき分ける香辻さんの顔が徐々に青ざめていく。
よほど大切なものなのだろうか、今にも泣きそうなほど目元に力がこもっている。
(教室移動の時に落としたのかな。ここは一時休戦して探しものを手伝おう)
握っていた缶バッチを離したヒロトは、香辻さんに声をかけようと控えめに手を伸ばす。
「あの……、か、香――」
「ね~ね~、これ誰の?」
ヒロトの控えめな主張を遮ったのは、夜川さんの快活な声だった。
「なんか、キーホルダー? みたいなんだけど?」
首を傾げた夜川さんが掲げる右手では、セーラー服姿で兎耳を付けた少女のアクリルキーホルダーが揺れていた。
(あれはアオハルココロプロジェクトがクラウドファンディングを募った時の返礼品『バニーアクキー』!)
今でこそトップVチューバーのアオハルココロが、まだチャンネル登録者1000人にも満たない頃のものだ。オークションに出せば、当時は500円ほどで手に入ったアクキーに数万円の値がつく。なにより、初期からアオハルココロを応援していたとして、持っているだけでファンの間では一目置かれるアイテムだ。
もちろんヒロトの物ではない。香辻さんが落としたのだろう。それを友達とお昼ご飯を食べるのに机を動かしていた夜川さんが発見したようだ。
「ねーー、誰かーー、知らない?」
眉を曲げた夜川さんが困り顔で、アクリルキーホルダーを振る。
(香辻さん、なんで名乗り出ないんだ?)
状況証拠から間違いなく香辻さんの物だが、当の本人は机に突っ伏している。まるでカタツムリが外敵から自分を守ろうとするかのように顔を腕で隠し、小柄な身体を震わせていた。
「わっかんないなら、後でせんせぇに預け――」
『おにいちゃん、朝だよ♪ はやく起きないと~~、イタズラしちゃうぞ♪ おにいちゃん、朝だよ♪ はやく――』
突如として響くガチガチのアニメ声に夜川さんだでなく、教室中が一瞬静寂に包まれる。
殻から出てきた香辻さんがこの世の終わりのような顔をしているほどだ。
「そのアクキー、僕のだ」
すくっと立ち上がったヒロトは、スマホをタップして目覚ましボイスを止める。
「河本くんのか。はい、返却~。もう落としちゃダメだよ」
見つかって良かったと微笑んだ夜川さんは、丁寧にヒロトの手の上にアクリルキーホルダーを乗せる。
「ありがとう……まだ何か?」
もう用事は無いはずだけれど、夜川さんはヒロトの目を見つめたままだ。
「キュートな声だったね。この娘が喋ったの?」
「さっきのボイスはマジカル梅子で、こっちのキーホルダーはアオハルココロ。二人ともVチューバーなんだ」
ヒロトの説明を夜川さんはふむふむと聞いている一方で、視界の端では香辻さんがまたも悶絶している。
「なるほどねー、あたし、ネットとかあんまし詳しくないんだけど、今Vチューバーってすっごい人気なんでしょ?」
「まさにね。動画配信の枠に収まらない活躍だよ」
「前からちょっこし興味あったんだよね。今度見てみる、えっと、マジカルココロだっけ?」
「アオハルココロとマジカル梅子だよ」
「おっけー♪」
そう言った夜川さんは右手の指先を揃えパクパクと腹話術の人形みたいに動かした。
ヒロトが席に戻ると、夜川さんは机をくっつけた友達とお弁当を食べ始めた。もう別の事を話題に友達と楽しく喋っている。Vチューバーの動画を見ると言ったのは社交辞令かもしれないけれど、ヒロトにとっては勧められたことだけで満足だった。
「じーー…………」
右隣から圧のある視線を感じる。当然、香辻さんだ。少し怒ってはいるのか、問い詰めるような険しさがある。
ヒロトはノートの端に【放課後、返す】とだけ小さく書いて、香辻さんにだけ見えるように机の端から出す。
(いますぐ返してるのを見られたら変に思われるからね)
香辻さんはメモ書きに気づいたのか、小さく頷いたように見える。納得してくれたようだけれど、なぜか頬は少し膨れたままだった。
その後は何事も無かったかのように平穏な昼休み、午後の授業と過ごして放課後がやってきた。
授業が終わるやいなや鞄を持って立ち上がる香辻さん。そのままスタスタと教室から出ていってしまう。
予想外の行動に慌てるヒロト。ノートや筆記用具を雑にリュックに押し込んで後を追いかける。
(もしかして、メモが見えてなかった? 香辻さんが頷いたように見えたのは、僕の気の所為だった? もし、そうだとしたら、僕は彼女の大切なアクキーだと知ってて強奪した最低のクズ野郎じゃないか!)
恐ろしい想像にヒロトの足も速くなる。帰宅や部活へ向かう生徒で混み合う廊下を、時にはぶつかりそうになりながら進んでいく。
(追いつけなかったらどうしよう。明日、全力で謝って……ん?)
最悪の事態を想定していると、階段の脇に香辻さんが立っていた。そして、ヒロトを見つけるとちょいちょいと手招きをする。
(はぁ~、よかった。メモには気づいくれてたみたいだ)
教室で目立つのを嫌ったようだ。
手招きした香辻さんについて生徒たちの流れから離れ、準備室のある人気のない方に歩いていく。
スパイのように慎重を期した香辻さんは、誰も見ていないのを確認して空き教室の前で止まる。警戒しているのか、近づいてくるヒロトと目線を合わそうとはしない。
ようやく追いついたヒロトはポケットからアクリルキーホルダーを取り出す。
香辻さんが一瞬嬉しそうな表情をするけれど、すぐにまた険しい表情に戻ってしまう。
「い、いくら……欲しいんですか?」
「イクラ? えっ?」
「だ、だから……それ、返して欲しかったら……お金ですよね」
「違うって! 僕はそんなつもりでアクキーを受け取ったわけじゃないって。香辻さんが名乗り出づらそうにしてたから、代わりにって思っただけ」
「本当ですか? 受け取ったら、い、一万円とか言わないですか?」
「しないって! はい、返すよ」
ヒロトは人に慣れていない野生動物に餌でも与えるように、アクリルキーホルダーを持った手をできるだけ伸ばした。
「……」
しばらく躊躇っていた香辻さんだったが、アオハルココロのレアグッズを犠牲にできないと、ついにアクリルキーホルダーを受け取る。
「あ、あり……がとう……ございます」
深々と頭を下げた香辻さんに、ヒロトはホッと一息つく。
「どういたしまして」
顔を上げた香辻さんは今度は、じーっとヒロトの目を見つめる。
「こ、河本くんは……Vチューバー好き……ですか?」
「好きだよ。香辻さんもでしょ?」
「はいっ! 大好きです!」
今までとは違う大きな声、そして萎んでいた花がパッと開くような笑顔で香辻さんは答える。
(あ、香辻さんって、こんな魅力的な顔をしてたんだ……)
河原でキラリと光る綺麗な石を見つけたような驚きに、ヒロトは無遠慮にまじまじと香辻さんの顔を見てしまう。
今まで伏し目がちだったから気づかなかったけれど、ぱっちりと開いた目は大きい。ちょこんと小振りな鼻と、可愛らしい唇は可愛らしさのモデリングがばっちりだ。ナチュラルな素材は揃っている。リップグロスすら使っていないようだけれど、化粧を覚えたら大化けするのではないかとヒロトには思えた。
「えっ……あ……す、すみませんでした!」
しまったという表情になった香辻さんは口を押さえ、また怯え顔の仮面を被ってしまう。
「こちらこそ、ごめん」
お互いかしこまってしまい変な空気が流れた。
「ま、また明日……」
先に耐えられなくなった香辻さんがアクリルキーホルダーを握ったまま廊下を走り出す。流れる黒髪から覗く赤くなった耳に見とれて、ヒロトは返事が遅れてしまう。
「うん、また明日ね!」
去っていく小さな背中に声を掛けるが、香辻さんは振り返らなかった。
(明日はちゃんと話せるといいな)
学校でクラスメイトとVチューバーの話ができる。
それはヒロトが思ってもいなかったことだった。