#エクステンド02

文字数 1,880文字

 女はライブ会場から少し離れた場所にある公衆トイレに駆け込んだ。周辺の商業施設も営業終了時間が近づいているせいか、他に利用者はいない。
 綺麗に清掃されているが、こういう立地にありがちな寂れた雰囲気が漂っている。
 洗面台に手を突き出すとセンサーが反応し、水が流れ出す。
 石鹸もつけずに女は手を擦り合わせる。冷え切っていた汗がこびり付いている気がして、センサーを何度も反応させて執拗に手を洗い続けた。
 水が飛び散り袖を濡らしてしまうけれど構わない。一刻も早く手に残る肉の感触を洗い流したかった。

 なぜあんなことをしたのか。
 自分でもよく分からなかった。
 『鍵』を締め忘れていたとしか言えない。
 そのせいで、溜まっていたものが飛び出してしまった。
 最初からそんなつもりでライブに来たわけじゃない。
 友人が行けなくなったからとチケットを譲ってもらったのは偶然だし、彼女が出演することを知ったのもその後だ。
 近くの席で人が倒れたのも自分のせいじゃないし、機材トラブルで会場があんな風に暗くなるなんて予想できるはずがない。

 魔が差しただけだ。
 そう、全ては偶然が重なってしまっただけの不幸な事故で――。

「みーちゃった、みーちゃった、せーんせいに言ってやろー」

 蛇口の水音を遮るように背後から声がした。
 驚いて振り返ると、黒髪の女が立っていた。

「な、なに?」
「どうしてかな?」

 黒髪の女は質問で返してきた。

「意味分かんない」

 気味悪く思ってトイレから出ようとすると、黒髪の女が行く手を遮る。

「あなたは何が嫌い?」
「はっ?」

 黒髪の女が顔を近づけてくる。黒真珠のような神秘的な瞳に見つめられると、不思議と話を聞かないといけないように思えてくる。

「私はバナナが嫌い。フルーツパフェを頼む時はいつもバナナ抜きでお願いするの」
「だったら、最初から他のものを注文すれば」

 このまま一方的に喋られるのも癪だと言い返す。

「違うの、私はイチゴも好きだしメロンも好き、ふわっふわのクリームとベリーソースも一緒に食べたいの。なのに、嫌いなバナナが入っているのが嫌なの」

 ただの我儘じゃないかと思うが口には出さない。冷静に考えれば、分けの分からない黒髪の女に付き合う必要なんて無い。強引に横を通り抜けてしまえばいい。

「なんなの、あんた。そこ退いてよ」
「怖がらないで」

 見透かすように言った黒髪の女は、丸腰だと示すように両腕を開く。

「別に警察に通報したりしないわ」

 女の足が止まる。血の気が引いていき、靴底が凍りついたように動けなくなってしまう

「さ、さっきからわけ分かんないこと言って!」
「どうして灰姫レラを突き倒したの?」

 女の息が止まる。頭の中でいくつもの言葉と行動が浮かび、その選択肢の多さに雁字搦めになってしまう。

「……は? なに言って」
「私、見てたの。誰も押していないのに、あなたは自分から灰姫レラに向かって倒れていった」
「どこに証拠が!」

『きゃあああっ!』

 黒髪の女が手にしたスマホから、女の悲鳴が流れ出す。

「っ?!」

 スマホで撮影された動画だった。ナイトモードを使っているのか、少ない光源でも人の顔が判別出来るぐらいには撮れている
 動画の中で、悲鳴を上げた女は屈んでいた小柄な女の子を突き飛ばすと、その上に全体重をかけるようにして押し潰していた。

『どけええええええええっっ!』

 男の声が轟くと、女の子を押し潰した人影はそそくさとその場を離れていく。

「さすが機転が利くわね」

 褒めるように言った黒髪の女は動画を止めて、一部を拡大する。
 そこには逃げていく女の横顔がハッキリと映っていた。

「……なんなの……それで私を脅して、お金でも欲しいの?」

 パニックになりそうだが、これ以上の弱みは握らせられないと強がる言葉を絞り出す。

「怖がらないで。元Vチューバーの文月玲奈さん」

 総毛立つ。

「な、なんで、私の名前……」

 逃げ出したいのに、魔眼に捕えられかのように指先すらも動かせない。

「私がもう一度、あなたをVチューバーとしてプロデュースしてあげる」
「プロデュース?」
「だから一緒にね……」

 黒髪の女は屈託なく笑う。

「灰姫レラを潰しましょう」

 to be continued.

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