- 015 ロイガー(3) -

文字数 4,940文字

「やめた方がいいぞ」だが、ロイガーは勝ち誇ったように言った。「後ろを見てみろ」

 エイジは振り返った。そこには、立ち上がったジェシカがエイジに掌打を向けていた。いかなる理由かはわからなかったが、どうやらツァールの力が顕現されたようである。そして、ベルナスと同じようにロイガーに精神制御されていることも明らかであった。

「ツァール、私を助けろ」

 ロイガーが言った。

「ほう、おもしろい」

 エイジはジェシカに左腕の掌打を向けた。

「お二人とも……だめ……で……す……よ……」

 その時、倒れていたベルナスがよろよろと起き上がり、エイジとジェシカの間に割って入った。

「そこをどけ!」

 エイジは叫んだ。
 エイジもジェシカもたじろぐことはなかった。

「わたし……が、あなた……達を……止めて……みせ……ます」

 饒舌なベルナスに戻ろうとしているようだったが、精神制御されたツァールのジェシカと、エルディリオン神族に乗っ取られたエイジをどうにかできるほどの余裕はないようだった。そして、得意の電撃を放てるほどの力は残っていなかった。

「イーヴァイラスどもめ、俺の力ですべて粉砕してやる!」

 右腕の掌打をロイガーに向け、左腕の掌打をベルナスとジェシカに向けたエイジの心は、もはやイーヴァイラスを罰するエルディリオン神族となっていた。

「ならば……仕方……ありません」

 既にベルナスは息も絶え絶えであったが、かろうじて立っていられるような状態であった。

 すると、見る間にベルナスの周囲の至る所に火が点き始めた。
 そして、あっという間に炎の火柱が立ち上がった。それでも、ベルナスはその中心にいた。
 さらに火柱は、歌舞伎の連獅子のようにぐるぐると回りだし、周囲に火の粉を撒き散らし、そして、その火の粉は、エイジやジェシカにも降りかかった。
 火の粉が降りだすと、いつの間にかロイガーの姿は消えていた。
 すると、エイジはその場に倒れ伏した。スタミナ切れとなったようだった。
 精神制御が解けたジェシカは、目の前で炎となって回っているベルナスに気づいた。

「ベルナス先輩!」

「やぁ。ジェシカ」

 その様子を見たベルナスの炎は治まったが、ベルナスは黒焦げになって倒れてしまった。

「これが、フサッグァのもう一つの力、炎撃です」

 そう言うと、ベルナスは気を失った。ジェシカが辺りを見ると、火があちこちに点き始めており、山火事となりそうであった。さらに、ジェシカは近くに倒れているエイジを見つけた。

「エイジ! 大丈夫なの?」

 エイジの近くまで駆け寄って声をかけたが、エイジからの返答はない。
 どうしよう。ベルナスもエイジも倒れていた。そして、山火事になりそうな火の勢いの中。彼女一人では、どうすることもできない。



 エレナとミラは、進行方向上に火柱が上がるのを見た。

「まさか。フサッグァの炎撃?」

 エレナが言った。

「そ、そのまさか、です」

 ミラが言った。

「私が何とかする」

 ミラにおぶられていたアリシアは、そのまま左手を挙げた。

「何をするの、その体で?」

 それをエレナが制した。

「早くしないと彼等が危ない。水を操るのもクティラの力の一つ」

 アリシアは手を挙げたまま、小さい声で何か唱えると、雲もないのに急に雨が降り出した。

「雨が降ってきました」

 ミラが嬉しそうに言った。
 しかし、エレナは心配そうにアリシアを見つめた。

「クティラというのは本当は水の神なのよ」

 エレナがミラに言った。相変わらず、アリシアは左手を挙げて何か唱えていた。



「雨が降ってきた。……助かった」

 ジェシカは、その場に座り込んだ。
 雨によって、周囲の火は徐々に消えていった。そして、しばらくすると雨は止んだ。その頃には火もすべて消えていた。
 何とか、ベルナスとエイジを大きな木の下まで引きずって雨に濡れないようにしたジェシカは、ベルナスの手当てをしていた。

「ジェシカ!」

 エレナの声だった。
 声の方を向くとエレナとミラ、その背中にアリシアもいた。

「部長!」

 ジェシカは嬉しくて涙が出てきた。

「義妹よ、助けにきたよ」

「嬉しいです!」

「男共も無事なのか?」

 エレナは横たわるベルナスとエイジを見て言った。

「ベルナス先輩は、ちょっと火傷をしています。エイジは意識がありません。私が気づいた時は倒れていました」

「ロイガーは?」

「わかりません」

「そう。じゃ、男共をおぶっていくわよ。ジェシカはエイジを頼むわ。私はベルナスを運ぶから」

「はい」

 ジェシカは少し二コリとした。

「ジェシカちゃん」アリシアをおぶるミラが言った。「後で、アリシア先輩とエイジくんを取り替えてね」

「なぜです?」

「私もエイジくんをおぶりたいなぁって」

「ダメですよ。ミラ先輩はアリシア先輩をおぶっていてください」

 すると、アリシアがそこへ割り込んだ。

「私は、もう大丈夫」アリシアが言った。そして、するするとミラの背中から降りた。「私がエイジをおぶる」

「え?」

 ミラとジェシカは呆気にとられた。

「私はエイジの師範。弟子の面倒ごとは師範の仕事」

 アリシアは倒れていたエイジをすくっと持ち上げると、いとも簡単におぶった。
 あれよと言う間に、ミラとジェシカの目の前で、エイジは小柄なアリシアにおぶられた。しかし、エイジとアリシアでは体格差がありすぎて、エイジの足は地面の上に引きずられていた。

「無理ですよ、アリシア先輩」

「これで大丈夫」

 アリシアは、エイジの両足をぐいと前へ伸ばした。

「鳶にさらわれたわね」

 エレナはくすくすと笑った。



 一行が森の入口まで戻って来ると、そこに置いてきたはずのギュトとシュファの姿は既になかった。
 自分達で蜘蛛の糸から脱したのか、それともサグダの協力が得られたのか。

「まだ、あの三人と揉めなければならないのね」

 エレナがポツリと言った。

 エイジは途中で気がついた。
 その時には、エルディリオン神族の心も力も残っていなかった。
 気がついたのは、アリシアの匂いがしたからだ。そして、アリシアの背中にいることもすぐにわかった。
 憧れの先輩の背中。案の定、小柄な彼女の背中は小さかったが、恥ずかしさと嬉しさで、にやけてしまった。

「あ、ア、アリシア先輩!」

「気がついた? 歩けるなら、歩いて」

「え、いや、あ、その、」エイジは、どぎまぎした。憧れの先輩の背中。密着しているのだ。「あ、まだ、歩けないです」

 アリシアは嘘と思ったが、なぜかこのままエイジをおぶっていたかった。

「そう。では、しばらく、そのままでいい」

 だが、その様子を後ろから、ミラとジェシカが見ていないわけがなかった。

「あ、エイジ、気がついたんだね」

 ジェシカが駆け寄った。

「よかったです」

 ミラも。

「あ、みんな、いたんだ」

 エイジが言った。

「最初から、ずっといましたよ」

 と、ミラ。

「心配したんだから」と、ジェシカ。「もう、歩けるんじゃないの? アリシア先輩に悪いから、降りて歩きなさいよ」

 何だよ、ジェシカ。せっかく、アリシア先輩におぶされていたのに、と思った。仕方なく、エイジはアリシアの背中から降りた。

「もう、歩けます。アリシア先輩。ありがとうございます」

 すると、エイジを降ろしたアリシアは、ふらふらとよろめいて倒れそうになった。

「大丈夫ですか!」

 エイジは、アリシアを倒れないように、すぐさま支えた。

「ちょっと疲れただけ」

「だめです、今度は、俺がアリシア先輩をおぶりますから」

 エイジはそう言うと、アリシアをおぶった。

「あ、信じられない……」

 ミラもジェシカも再び呆気にとられた。

「本当に大丈夫。降ろして」

 アリシアはそう言ったが、エイジの背中から降りるつもりはないようだった。

「アリシアの方が役者が上だわね。さすがは元演劇部員」

 その様子を後ろから見ていたエレナが言った。

「エイジさんも、ジェシカさんも無事だったようですね」

 ベルナスが言った。

「大丈夫?」

 エレナが言った。

「いろいろ御迷惑かけました。もう精神制御は解かれていますので。もう平気です。降ろしてください」

「そうするわ。結構、男子は重いから」

「すみません、部長」

 エレナはベルナスを降ろした。

「炎撃を使ったのね?」

 と、エレナは訊いた。

「はい」

「仕方ないわね。無事にコントロールできたからよかったけど」

「エルディリオン神族に対抗するには、それしかありませんでしたので」

「そう。ついにこの時が来たようね」



 その日は全員家に帰った。
 エイジは、夜、姉に呼ばれて姉の部屋に行った。

「聞きたいことがあるのよ」

「エルディリオン神族の力が顕現したのか、ってことだよね」

「そうよ」

「答えはイエス」

「やっぱり。で、エルディリオン神族の力は制御できたの?」

 エイジはその問いには答えられなかった。

「あ、その、記憶はしっかりあるんだ。だけど、やたら高揚した気分になってさ。なんでも出来る気がしてきたんだ」

「はぁ、困ったね。そういうのが一番危ないんだけど」

「でもさ、ジェシカもツァールとかの力を使おうとしてたけど、彼女はその時の記憶はないようだったな」

「ジェシカも!」

「ああ。それで、俺、ジェシカとやり合おうとしちゃってさ。危なく、ジェシカに何か撃とうとしたんだ。ほら、ベルナス先輩とかアリシア先輩みたいに、掌打の構えでさ。結局、その後、とても疲れて倒れたんだけどね」

「それで、ベルナスが炎撃を使うはめになったのね。合点が行ったわ。ロイガーはどうしたの?」

「ベルナス先輩が炎を出したら、どこかへ行ってしまったよ」

「ジェシカのツァールは、どういう力だった?」

「それも、彼女は披露してくれなかった」

「そう。でも、ジェシカはきちんと顕現させないとだめだわ」

「あのさ、姉貴の顕現させる力って、どういうのさ。俺、特にそんなの使われた覚えはないよ」

「知りたいの?」

「ああ」

「その話は、また今度ね。ところで、エイジはアリシアのこと、どう思っているの?」

「え? アリシア先輩? いや、凄いなぁってさ。かっこいいし。正直なところ、すっかり……惚れちゃったかも」

「ああ、やっぱりね。そうじゃないかと思った。それじゃ、アリシアとエイジは師弟関係を解消するしかないわね」

「え! なんでさ!」

「師弟関係に恋愛は御法度だからよ」

「いや、まだ恋愛になんてなってないし、これは俺の一方的な思いだからさ」

「それでもダメ。私的な理由があれば、莫大な力を持つ者は、周囲の者にとっての脅威になるの。わかる?」

「なんだよ。そんな話、聞いてないよ」

「もし、エイジがアリシアに交際しろとか迫ったら、多分、あの子は応じると思うわ」

「え? 本当に?」

「なに、喜んでるのよ。まぁ、あの子があんなに他人に心を開いたことなんて見たことがないしね。いや、例外もあるかな。だから、エイジは二人目ね」

「例外? それじゃ、一人目って誰なの?」

「私のことよ」

「姉貴に? アリシア先輩、姉貴には心を開いているの?」

「そうよ」

「なぜ、そんなことがわかる?」

「彼女が自分でそう言ったから。だから、陰陽部に入ってくれたのよ」

「そうなんだ。って、姉貴とアリシア先輩の間に何かあったの?」

「ええ。あの子を救ってあげたのが、私だから」

「救う?」

「そうよ。あの子、死のうとしていたから」

「死ぬ? 自殺ってこと?」

「そうよ。でも、もうこれ以上は言えないわ、彼女のためにも」

「ああ、うん、わかったよ」

「だから、私の弟であるエイジに何らかの興味はあるかもしれない。ただ、それだけのことよ」

「じゃ、アリシア先輩のことは諦めろ、と」

「所詮、あなたの手が届く人ではないのよ。こう言ったらジェシカに失礼かもしれないけど、ジェシカにしておきなさい」

「う~ん、じゃあ、ミラ先輩は?」

「あんた、一回首締めた方がいいかもしれないわね?」

「わかった、わかった、もう、言わない。そうだよな、部活だもの」

 エイジは、姉の部屋を出ようとした。

「待って、エイジ」

「なに?」

「やっぱり、アリシアとの師弟関係は継続にするわ。そのかわり、絶対に色恋沙汰を起こさないでね」

「え、いいの? あ、でも、わかった、そうする」

「エルディリオン神族の力には、アリシアの力でなければ、どうすることもできないからね」
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