- 023 ツァール -

文字数 4,703文字

 翌日の朝。
 エイジが家を出ると、ちょうど隣家のドアが開いて、中からジェシカも出てきたところだった。
 二人は、おはようとあいさつをした。何も変わらず繰り返される毎朝のパターン。もう何年も続いている。

「さっき、エイジのお父様と会ったわ。今、帰ってらしてるのね」

 父は家にいると朝早く起きて、近所を散歩する習慣がある。どうやら、その時ジェシカがゴミ出しして、父に会ったらしい。

「おととい帰ってきたんだ」

「お父さんに久しぶりに会えてよかったね」

「親父、ジェシカに何か言ってなかったか?」

「久しぶり、元気かい? って。いいお父様よね」

「それだけ?」

「うん」

 父は、ジェシカのツァールの顕現のことは、知っていてもまだ話さないのか。父も姉も、やはり策士のようだ。

「あのね、エイジ。お願いがあるんだけど」

「なに?」

「私の力を試してみたいの」

「ツァールの?」

「ええ。どこまでの力があるのか、自分でもわからなくて」

「それは、ジェシカの師範のベルナス先輩に頼めよ」

「だめよ、内緒で試したいの」

「なぜ?」

「ベルナス先輩は、まだ力を試してはいけないって、一点張りだもの」

「そうなんだ。でも、俺もベルナス先輩と同じ意見だな」

「でも、お願い! お願い利いてくれたら、何でもするから」

「何でも、って言われても、特にしてほしいことはないしな」

「エッチなことでもいいよ」

 エイジは、びっくりした。それまで、エイジとジェシカは、並んで歩いていたので、ジェシカの顔を見ていなかったが、ジェシカを見ると明らかに形相がいつもと違う。目が獲物を狩るような猛禽の目だった。

「いや、それはマズイよ。それに何言ってるの。ジェシカがそんなこと言うなんて」

「はっ! 私、何かおかしなこと言った?」

 急にジェシカは我に返った。そして、目もいつもの愛らしい目に戻った。
 エイジは、ジェシカがツァールを明らかに制御できていないことを悟った。さらに自分のエルディリオン神族が現われでもしたら、この前の二の舞になってしまう。
 どうするか。
 取り敢えず、姉には報告しておこう。それで、ジェシカから目を離さないようにしないと。

「あのね、ジェシカ」

「どうしたの?」

「君は、ツァールがキチンと制御できていないと思うんだ」

「ベルナス先輩も言ってた」

「そうなんだ。ベルナス先輩は、分かってるんだ。……それじゃ、仕方ないな。学校にいる時は、体育とトイレ以外は俺と一緒にいるんだ、いいね」

「うん、いいよ。私もそうしたいから」

「部活中はベルナス先輩の言うことをよく聞いてな。帰りは必ず、俺と帰ろう。もし、よかったら、俺の家に泊れ。隣の家だけど。まぁ、姉貴の部屋に泊ることになるかも」

「いいの?」

 ジェシカはとても嬉しそうだった。

「早く、エイジの家でお泊りしたいなぁ」

 完全に意味を履き違えているようだが、エイジはやれやれという感じだった。

 昼休み。
 エイジはジェシカを連れて、姉のいる大学部校舎へ行った。
 そこで、エレナに会うと、またもや神聖な大学校舎に高校生の分際で何をしに来たなどというあいさつをもらい、朝の出来事を話した。

「あら、大変。でも、これは、エイジが完全に悪いわね」

「なんでだよ」

「私の部屋に泊めるのもいいけれど、エイジの部屋の方がジェシカも嬉しくなくて?」

「はい、嬉しいです」

 ジェシカは無邪気に応えた。

「いや、ダメだよ、ジェシカの親御さんとか、良いっていうわけないし、ウチの親もダメ出しするよ」

 エイジは突っぱねた。

「だって、幼稚園の時は、よく二人で仲良く寝てたじゃない」

「あの時とは、もう全然違うから」

「まぁ、冗談は、これくらいにして、それじゃ、この件は、放課後部室で話しあいましょう」

 と、エレナは、そそくさと行ってしまった。
 エイジは、あてにならない姉だと思い、ジェシカを連れて、高校部校舎へ戻ろうとした。その時、二人はアリシアと出会った。

「こんにちは」

 エイジとアリシアがあいさつしたが、相変わらず、アリシアは黙っている。

「あ、あの、ですね」

 エイジが言いかけた時、アリシアが言った。

「二人がここへ来た理由は、言わなくても大体わかる」アリシアが言った。「ツァールの顕現に問題があると思われる。よくあること。フサッグァの時も、ヴルトゥームの時も、問題はあった。もちろん、クティラの時も。慌てずに対処すればいいだけのこと」

「はい。……手慣れていますね」

「問題は、むしろエルディリオン神族の顕現。誰もやり方がわからない」

「ああ、そうですか……」

 エイジは項垂れて、俺のことかい、と言いそうになった。



 放課後。
 部室には、全員が集まっていた。

「今日は、議題が二つあるので、野外活動はなしね」

 部長が言った。

「まず、一つ目。私の父、つまり連邦軍からの要請で、あの三兄弟の捕獲作戦に部として協力します」

 部内はシーンと静まっていた。エイジは、この件で誰も何も言わないことに驚いた。

「場所、時間は、まだ聞いていません。指揮は、ラザフォード少佐という方が取られます。いいかしら?」

「質問があります」

 ベルナスが言った。

「見返りは、あるのでしょうか?」

「そうね、特に聞いていないけど、大金が欲しいわね。言っておくわ」

 エイジは、金目当てなのかい! と突っ込みそうになったが、黙っていた。

「それから、顕現したばかりのツァールの状態が良くないので、儀式をします。全員参加でね。もちろん強制よ。時間は、今日の夜。場所は、エイジ・ロックウッドの部屋」

「え、なんだって!」エイジは素頓狂な声を上げた。「そんことは聞いてない!」

「あら、昼間は、自分の部屋にジェシカを泊めるんだ、とか喜んでたじゃない」

 ああ、そんなことを昼に言わなければよかったなぁ、とエイジは後悔した。それに、言ったことを面白いようにデフォルメしているよ……。
 案の定、ミラの視線が怖い。

「もう、お泊りの件は、なくなっちゃんですか?」

 やはり、ミラがニコニコして訊いて来た。その微笑みの奥には、怒りの炎が感じられるのは気のせいか?

「最初から、俺の部屋にお泊りとかは、ないですから……」

 エイジは応えた。

「そうなんだ。私もエイジくんのお部屋にお泊りに行きたいなぁって、思ったんだけど」

「誰も泊めません!」

「はい、もういいかな?」部長が言った。「お泊りは、それぞれ計画してもらって結構だけど、今晩は儀式よ、いいね」

「って、部長!」エイジが言った。「俺の汚い狭い部屋じゃなくてもいいだろう。それに儀式って、何するのさ?」

「ここでは、言えないわね」

「それじゃ、部長さん。よくわからないけど、俺は、今日もう帰るよ。急いで、部屋を片付けるから」

「あら、エイジの部屋の使用許可が出たわ。みんな、エイジに拍手!」

 エイジ以外は全員拍手した。

「それじゃ、エイジ以外のメンバーは、好きなお酒とつまみを買って、ウチへ来るのよ」

「え、酒? つまみ? 何するの?」

 エイジは、呆気にとられた。

「もう、いいから、エイジはさっさと部屋を片付けに帰りなさい」

 夜。
 ぞろぞろと、部のメンバーがエイジの部屋に入ってきた。
 はぁ、こんなことは絶対にありえないと、エイジは溜息が出た。どうして、自分の部屋に陰陽部の全員がいるのか……。
 ベルナス。アリシア。ミラ。エイジ。ジェシカ。エレナ。この順番で、狭い部屋の中、六人が輪になって座っている。

「何か、臭うわね、この部屋」

 エレナが言った。

「うるさいよ、姉貴」

「姉ではないのよ、部長」

「この家の中では、姉だろう」

「いいえ、このメンバーの中では、部長と呼びなさい」

「ああ、もう、わかったよ。じゃ、芳香剤とか持ってくるから」

「それは、だめ。それを部屋に入れてはだめ。それじゃ、これから、儀式の説明をします」

 全員、エレナを見た。

「いい? 全員、輪になって座り、隣同士の人で手を握って」

 隣同士で全員手を握った。

「これから、ツァールを召喚する呪文を三回皆で詠唱します」

 エレナは紙を皆に配っていた。

『てぃび まぐぬむ いのみなんどぅむ しぐな すてらるむ にぐらるむ え ぶふぁにふぉるみす つぁーる しじるむ』

 このようなことが書いてあった。

「私が手を六回叩いたら、この言葉を三回。いいね」

 エレナは、ぱんぱんと手を叩いた。そして、正確な間隔で六回打ち鳴らした。
 そして、全員、エレナの配った紙に書いてある意味のわからない言葉を三回唱えた。
 ……何も起こらない。
 全員、キョロキョロと辺りを見渡した。すると、一人だけ震えている者がいた。ジェシカだった。ジェシカはエイジとエレナの間にいたのだが、ぶるぶると震えだした。

「大丈夫? ジェシカ」

 だが、エイジの問いには答えなかった。

「エイジ、頑張れ。おまえの力が必要だ。愛の力だ」

 エレナが言った。

「えっ! 愛の力って、また、そんなことを! で、どうすれば、いいのさ?」

「ささえるのよ。言葉で、体で。ジェシカが一番好きなのは、エイジなんだから」

 まいったな、そんな宣言。でも、このままでは、ジェシカがどうにかなりそうだった。
 突然、ウワォー、ウワォーとジェシカは獣のように叫んだ。

「早くなさい!」

「どうすれば、いいんだよ」

「男なら、女を抱きしめな! それだけでいいの」

 エレナは叫んだ。

「わかったよ」

 エイジは、ジェシカをぎゅっと抱きしめた。

「もう、大丈夫だから、ジェシカ!」

 ジェシカの体は、ガクガクと小刻みに震えていた。目からは涙があふれていた。そして、相変わらず、ウワォーと叫んでいる。
 そして、次の瞬間、ジェシカはエイジを突き放し、床に叩きつけた。

「我を呼ぶのは誰か」

 恐ろしい声でジェシカが言った。

「やっと、憑依レベルになったか」

 エレナが囁くように言った。

「ツァール、」続いて、エレナはジェシカに大声で呼びかけた。「我は、先触れなるものグロース。我に従え」

「おお、その声はまさしくグロース。長い間、探しておりました、あるじよ」

「久しぶりだな、ツァール。あるじの命令だ。そのジェシカの体におまえの力を分けてやれ」

「はい、仰せのままに」

「では酒を飲むか、ツァール」

「嬉しき言葉」

 ベルナスは、酒をグラスに注ぐとジェシカに差し出した。

「これは、フサッグァではないか。おまえの注ぐ酒がまた飲めるとは。おお、これは、よく見れば、ヴルトゥームもクティラもおるではないか」

 ベルナスも、アリシアも、ミラも、エイジも、エレナも、酒の入ったグラスを手に取った。

「では、いただこう」

 全員、グラスの酒を飲みほした。

「では、ジェシカの体を返してもらうぞ」

「はい、仰せのままに」

 すると、ガクンとジェシカが肩を落とした。倒れないように、エイジがそれをささえた。
 ジェシカは、はぁ、はぁ、と息を切らして、疲れ切ったという表情をしていた。

「もう、大丈夫、ありがとう、エイジ。本当にありがとう」

 ジェシカはエイジを見つめた。

「エイジが近くにいるんだな、ってわかってたから頑張れた。ツァールさんも私の言うことを聞いてくれるって、言ってたわ。もう、ツァールさんともお友達になったもの」

 みんな、よかったと安堵した。

「じゃ、残りの酒で宴会を始めるよ」

「高校生も、いいの?」

 エイジが訊いた。

「まぁ、いいじゃない。さっきもちょっと飲んだんだし」

 エレナが言った。
 と、部屋のドアが開き、エレナとエイジの父母が入ってきた。

「高校生は、ジュースですよ」

 母が言った。手にはトレイにのったジュースのグラス。父母は娘と息子の友人に囲まれて嬉しそうだった。

「はい……」

 エレナは、しゅんと、おとなしくなった。
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