- 016 グロース(1) -

文字数 3,342文字

 翌日の朝。
 エイジが家を出ると、ちょうど隣家のドアが開いて、中からジェシカが出てきた所だった。
 二人は、おはようとあいさつをすると、学校へ向かって歩き出した。昨日、争ったことなどは全く覚えていないような雰囲気で。

「ジェシカだもんなぁ」

 エイジは思わず、そう口に出してしまった。言った瞬間に、幼馴染とはいえ失礼なことを言ってしまったと後悔した。これというのも、昨晩、姉がジェシカにしなさい、と言っていたからだ。
 そうとはいっても、彼女はよく見慣れた幼馴染であり、付き合うなど考えられなかった。エイジから見ても確かにかわいいことはかわいい女性ではあったが、家族と同じ感覚でしかない。

「なんのこと?」

「あ、ごめん、なんでもない。それより、昨日、ジェシカもついにツァールの力が目覚めたな」

「でも、全然記憶にないんだよね」

「俺はジェシカと戦いそうになったんだぜ」

「そうなの?」

「なぜか、戦いたくなってしょうがなかった。でも、今はそんなことはないよ」

「やっぱり、そうだったんだ」

 ジェシカは静かになった。
 そして、不安になったエイジはジェシカの顔色を窺った。

「大丈夫? やっぱり顕現とかしたくないんじゃないの?」

「そうじゃなくてね。……私の知らない所で……なんか怖い感じ」

「平気さ。俺も先輩方もついてるし」

「でも、エイジと戦うなんてイヤよ……」

 ジェシカは暗い顔をしていた。

「それより、ベルナス先輩、大丈夫かなぁ」

 エイジが話題を変えようとした。

「そうね、私も心配だった。昨日の帰り際は大丈夫そうだったけど。二人で昼休みに謝りに行こうよ」

「そうだな」

「あのね、あと一つ気になっていることがあるんだけど」

「なに?」

 ジェシカはその問いには中々答えなかったが、渋々と言った。

「アリシア先輩のことよ。エイジ、アリシア先輩のことをどう思ってるの?」

「なんで、そんなこと訊くの?」

「だって、アリシア先輩の背中にいる時のエイジ、とても嬉しそうだったもの。その後で、アリシア先輩をエイジがおぶった時には、アリシア先輩がとても嬉しそうだった。あの表情を変えないアリシア先輩が」

「俺の背中でアリシア先輩が嬉しそうだったって?」

「うん」

「俺は、アリシア先輩の無表情以外の顔を見たことないな。それは見たかったって言うか、う~ん、ジェシカには隠し事ができないなぁ」

「どうなの?」

「まぁ、うまく言えないけど、アリシア先輩には何度も助けられたし、何か惹かれちゃったっていうか……」

「そうなんだ……」

 ジェシカは、みるみる悲しそうになった。

「あれ、どうしたのさ」

「だって……」

「でもさ、姉貴に釘さされた。アリシア先輩とは、付き合えないって」

「そうなの?」

「ああ。師弟関係を恋愛関係にしてはダメだってさ」

「でも、アリシア先輩はエイジのことを気にいってるみたいだよ」

「それも理由があるらしい。アリシア先輩が心を開いたのは、唯一姉貴だけだったらしい。その弟ってことで興味があるだけだろうってさ」

「そうなのかな? でも、心を開いたのがお姉さんだけって、どういうことなの?」

「さあ。深い事情は教えてくれなかったけど、以前に何かあったらしい」

「そうなんだ」

 すると、今度はジェシカの表情は明るくなった。
 だが、その時、曲がり角を過ぎた所にミラが歩いて来ていた。

「あ、エイジくんを見つけた!」

 ミラがエイジに駆け寄って来ると、いきなり腕を組んだ。
 それを見てジェシカも対抗心を燃やした。

「ミラ先輩、ずるいですよ」ジェシカが言った。「私もずっと我慢してたのに」

 と、ジェシカも反対の腕に腕組してきた。

「あのう、エイジくん、今度、二人でどこか行きたいですね」

 と、ミラ。

「ダメですよ、来週から中間試験なんですから」

 と、ジェシカ。
 エイジは試験のこととか、頭にすっかりなかったので、ぎくりとした。

「大丈夫です、エイジくん。高校二年の私が、教えてあげるから」

「いえ、先輩も高校二年の試験勉強をされたら、いかがですか? 高校一年同士で勉強した方が効率いいですし」

 二人の女子の言い争いに、エイジはただニヤニヤしているだけだった。



 昼休み、エイジとジェシカは大学棟に出向いて、ベルナスのもとを訪れた。そして、ベルナスの火傷と怪我の様子を聞いて、二人で昨日のことを詫びた。
 火傷は左腕に少しあるくらいらしかったが、その部位は包帯が巻かれてわからなかった。
 ベルナスはいつもの笑顔で、何でもない、もう平気です、ということを強調していた。確かに火傷も怪我も意外と大したことはなさそうであった。それから二人に、これに懲りずこれからも一緒にやっていきましょう、のような話を、ニコニコというかヘラヘラというか、そのような笑顔で延々と話し続けた。いつものベルナスのように、長いおしゃべりで二人の表情は徐々に曇っていった。ベルナスと別れて高校部へ戻る二人は、かなりげんなりとした。
 その日の放課後、エイジが部室へ行くと、ベルナスが既に来ていた。昼休みの件もあって、部室でベルナスと二人きりというのも気が滅入るというものであったが、ベルナスが早速声をかけてきた。

「おや、お一人ですか?」

「ええ。ジェシカは日直の仕事で遅れます」

「そうですか、それはお忙しいですね」

「火傷は本当に大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ、これくらいのことなら放っておいても治ります」

「フサッグァの力って、電撃だけでなく炎撃とかもあるんですね」

「フサッグァというのは雷の神ですが、元々は火の神の眷属でしたので、その力も使えるようになったのでしょう」

「そうですか」

 そこで会話が一時途切れたのだが、エイジは居たたまれず切り出した。

「ところで、ベルナス先輩は、どうして陰陽部へ入られたのですか?」

「部長に救われましたので」

 またか! 一体、ウチの姉貴は互助会でもやっていたのか。

「と言うと?」

「詳しくお話するのも恥ずかしいのですが、中学の頃に私の母親が死んだ後、私がぐれた時期がありましてね。ちょうどその頃、自分に常人にはない能力が芽生えつつあって、それを使って友人を恐喝するみたいなことをしてしまったんです。その時、同じ中学の一つ上の先輩、つまり部長がその話を知りまして、部長が私の中のフサッグァの力を顕現させて、私を正しい方へ導いてくれたのです」

「恐喝? ベルナス先輩がそんなことを? 全く信じられませんが。でも、そうだったのですか」

「昔は、こう見えてワルだったのですよ。それを更生させてもらいました。だから、部長には、本当に感謝しています」

 それまでの話を、ベルナスは終始にこやかに話した。
 すると、そこへミラがやってきた。

「こんにちは」ミラが嬉しそうに言った。「あ、エイジくん、もう来てたんだね。ジェシカちゃんは?」

「彼女、今日はクラスの日直当番なので、少し遅れます」

「ふふふ。それじゃ、ちょうどよかった。これ、ジェシカちゃんに見られるとまずいんだけど……」

 ミラは何かのチケットを二枚持っていて、そのうちの一枚をエイジに渡した。

「何です?」

 エイジが見ると、ドリームランドという遊園地の前売り券だった。

「試験が終わったら、二人で行こうね。朝、エイジくんに渡そうと思ってたんだけど、邪魔者さんがいたから渡せなくって」

 ジェシカは邪魔者扱いですか、ついに。

「あ、これは、その……」

 エイジは、はははと笑いつつも、おどおどとした。どうしようか。ミラのような美少女に誘われるなんて滅多にない。でも、また、ジェシカがうるさいだろうし、何と言ってもアリシアに誤解されたくなかった。

「行ってきたら、いいじゃないですか」ベルナスが言った。「ミラさんが、こんなに明るくなったのもエイジさんのおかげですものね」

「ええ、そうです。エイジくんといると、とても楽しくなりますから」

 ミラにも何か秘密がありそうだったので、エイジはつい尋ねてしまった。

「ミラ先輩も、もしかして姉貴に何か救われるようなことがあって、陰陽部へ入ったクチですか?」

 エイジが言った。

「ええ、よくわかりましたね。そうです。ベルナス先輩もそうですよね。私達、部長がいなかったら、どうなっていたか、わかりません。部長には、本当に感謝しています」
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