- 001 禁断宙域(1) -
文字数 3,448文字
ギアをローにして少年は自転車を止めた。
まだ十代にも満たない風貌ではあったが、たった一人、恐々と薄暗い森の中の小径を自転車で走らせていた。しかし、やがて橋のない小川に差し掛かってしまい、それ以上進めなくなってしまったのだ。
「どうしようかな?」
独り言を言い、その小川の端から眺めると、溜め息をついた。
小川といっても流れは激しく、自転車で渡るのは難しそうだった。かと言って、自転車を置いて歩いて渡ったとしても、その先を徒歩で行くのは無謀に思えた。
引き返すという選択もあった。事実、施設に置いてきた二人の弟も気がかりではあった。だが、弟達も、大人達も、自分の逃走にはまだ気づいてはいないだろう。
それでも、今なら自転車で森を走っているうちに迷子になったと言っても信じてもらえるかもしれない。
だが、さっき決めた決意はどうなる?
施設を脱出し、助けを求めるという壮大で勇敢な計画はどうなるのか?
だが、逃げ出したことがばれて、見つかりでもしたら、大目玉を喰らうだろう。いや、それで済むとも思えない。もしかすると、見せしめに弟達が犠牲になるかもしれない。
そう考え出すと、サグダは足が震えだした。さらに、自分の愚かさと浅はかさが恨めしくなると、薄暗い森の中で前にも後にも動けなくなってしまった。
見上げると、木々の枝葉の隙間に見える空に、大きな影が見えてきた。
しまった、夜が来る!
もし、こんな森で夜を迎えれば、どんな恐いものに出会うかもしれない。サグダは自分のとった行動を責める前に、途方もない恐怖にかられだした。
まだ来た道がわかるうちに自転車で戻れば、夜になる前に施設に辿り着けるかもしれない。
よし、決めた。戻ろう。まだ間に合うはずだ。迷子になった、と言い張ればいいだけのことだ。こんな森で一夜を明かすなんて、とんでもない。今日のところは一旦戻って出直せばいいことだ。今日は、森に入る小径を真っ直ぐ行けば、小川にぶつかって道がなくなるということがわかっただけでも、収穫としよう。さぁ、早く家路に着かないと、言い訳もできなくなるぞ。急ぐんだ。
そう、自分に言い聞かせると、サグダは今来た森の道を逆に向けて走り出した。
そして、もの凄いスピードで自転車を漕ぎ始めたのだ。しかし、行けども行けども木々を掻き分ける道は険しくなるばかりで、さらには陽が翳りだし、鬱蒼とした枝葉の影響でその暗さは倍増していた。
また、悪いことに自転車はその漕ぎ手の焦りをもろに受けて小径でない所を突き進んでいることになっていた。それに気づいた時は、もうすっかり暮れていて辺りは真っ暗闇だった。
だめだ、もうわからない!
そして、泣き叫びたくなるような気持ちで一杯になったサグダに、追い討ちをかけるような出来事が待っていた。
目の前には、小川があったのだ。
ぐるりと一回りしただけなのか、それとも別の小川なのか、そんなことはどうでもよくなっていた。
既にサグダの心はパニックを起こしており、現実を受け入れる余裕はとうになくなっていた。
遂に、少年は泣き喚きだした。
「サグダ、泣いちゃダメだよ」
暗闇の中で声がした。
「だ、誰? 誰かいるの?」
サグダには恐怖でしかなかった。だが、その声の主はよく知っている人物のものだった。
「私だよ」
返答があった。だが、声の主の姿は暗闇の中で何も見えなかった。
「テコレイなのか?」
「そこを動いたらダメだから。すぐにカフデルさん達が迎えに来るわよ。じゃあ、私はもう行くから」
その声の主は明らかに年下の幼馴染みのテコレイのものだったが、そう告げるとどこかに行こうとするのがわかった。
「待って、テコレイ! 僕を置いていかないで!」
そう叫んだが、その相手の気配は消えてしまった。
「テコレイ!」
サグダは茫然とした。
そこにいるなら、自分の所に来てくれればいいのに。しかし、そんな自分の気持ちに応えるわけでもなく、テコレイは行ってしまった。しかし、この暗闇の中、テコレイが一人で帰るなんて有り得ないことだ。
そして、茫然としたサグダが振り返ると、そこには赤い巨大な一つ目があり、じっと自分を見ていたのだ。
うわぁ!
サグダは驚き、遂に森の化け物に遭遇してしまったんだ、とたじろいだのだった。
「大丈夫よ。もうすぐ助けが来るから」
その声は、その化け物が発しているのだ。テコレイの物真似をして。
その巨大な赤い目以外の部分は暗闇に溶け込んでいて、その化け物の姿はよくわからなかった。
しかし、その一つ目が少しずつ近づいてくることがわかると、サグダは恐怖のあまり、気を失ってしまった。
その後、サグダが目覚めた場所は施設内の病室だった。
さらに、その部屋の明るさは彼の心を安堵させるには十分だった。
「お兄ちゃん、気付いた?」
その声の方を見ると、弟のギュトとシュファがベッドの傍らに立っていた。
「ああ、ギュト、シュファ。心配かけてごめん」
「よかった……」
すると、サグダはベッドから起き上がった。その瞬間、病室から誰かが出て行った。その後ろ姿は、紛れもなくテコレイだった。
「あ、テコレイ! 待って……」
サグダは呼び止めた。
いや、何で呼び止めたんだ? 何かテコレイに言いたいことがあったはず。でも、なぜか思い出せない。と、サグダは思った。
そして、病室から出るテコレイは、幼女には似つかわしくない表情で何やらほくそ笑んでいた。
◇
それは漆黒の空間の彼方に現れた。
やがて、その大きさがわかるようになると、レドは驚愕した。
「あれは何だ! こんなバカデカいものは、生まれてはじめて見たぜ」
宇宙輸送船のパイロットとして、自分は銀河の端から端まで行って見てないものは何もないと思い込んでいた。しかし、これほどのものを見たことはなかった。
「全部、人工物だ」
その通りだった。
船内からのスキャンでは、その大きさを計測することを既にあきらめたかのような数字をはじき出していた。
狂ってる。
こんなものを作るなんて、一体どういうつもりなんだ? それに、これほどまでに大きなものを作るその材料はどうやって調達したんだ? そして、そこにどんな奴等が住んでる? 何人? いや、この中に人が住んだとしても、その数は我がコミトロン帝国の人口よりも多いはずだ。何しろ、その表面積だけでも、惑星表面の数千個、いや数万個分あるにちがいないのだから。
レドには次から次へと疑問が湧いて出てきていた。いや、疑問を通り越して憤りすら感じられた。
「オーグの連中が恐れているのもわかるな。それにしても、誰が作ったんだ?」
それは、Bクラスの恒星くらいの直径があった。
それにしても、その重量は大きさに比べるとすこぶる小さい。おそらく中は空っぽなのだ。さらに、内部から放出される莫大な赤外線の量は半端ではない。つまり、内部には恒星か準恒星が囲われているのは素人でもわかりそうなことだった。
これが人工球殻天体、いわゆるダイソン球と呼ばれるものであるのは一目瞭然だった。
その形については完全な球状であるが、センサーによれば、その表面には何やらレーダーサイトのような触手がいくつも生えており、レドの船に反応して捕えようとして蠢いているのだ。
人工球殻天体の半径は恒星からの居住最適範囲、つまりハビタブルゾーンまでの距離と同じものと思われた。つまり、そこは年中気温が一定に保たれ、気候変動の少ない快適な天国に違いない。
そこまでの距離は、レドの船からまだ180ビフェツもある。
レドの任務は、この人工球殻天体の中で待っている三人の子供を軍司令部のあるルティミス星に連れて行くことだった。
「本当にこの中にも、我が軍の基地があるってのか?」
この辺りの宙域は禁断の地とされ、一般のコミトロン帝国人民であれば、誰もその存在を知ることはない。政府か軍部のごく一部の者がその存在を知っているだけである。
そして何よりも、この宙域は暗黒星雲に閉ざされ、帝国の支配的種族であるオーグ族によってその立ち入りを禁止されているのだ。
「オーグよりも遥かにデカいんだからな。こんなものがあることがバレたら、オーグもカタなしだ」
その時、亜空間通信チャネルの呼び出しがあった。
「ゼルテクスフィアに接近中の船に告ぐ。船籍と船長の名前を通知せよ」
「こちらは、輸送船プリドマサのレド・マセフェン船長。そちらの積荷を受け取りに来た。あと30分でそちらの圏内に入る」
「了解」
まだ十代にも満たない風貌ではあったが、たった一人、恐々と薄暗い森の中の小径を自転車で走らせていた。しかし、やがて橋のない小川に差し掛かってしまい、それ以上進めなくなってしまったのだ。
「どうしようかな?」
独り言を言い、その小川の端から眺めると、溜め息をついた。
小川といっても流れは激しく、自転車で渡るのは難しそうだった。かと言って、自転車を置いて歩いて渡ったとしても、その先を徒歩で行くのは無謀に思えた。
引き返すという選択もあった。事実、施設に置いてきた二人の弟も気がかりではあった。だが、弟達も、大人達も、自分の逃走にはまだ気づいてはいないだろう。
それでも、今なら自転車で森を走っているうちに迷子になったと言っても信じてもらえるかもしれない。
だが、さっき決めた決意はどうなる?
施設を脱出し、助けを求めるという壮大で勇敢な計画はどうなるのか?
だが、逃げ出したことがばれて、見つかりでもしたら、大目玉を喰らうだろう。いや、それで済むとも思えない。もしかすると、見せしめに弟達が犠牲になるかもしれない。
そう考え出すと、サグダは足が震えだした。さらに、自分の愚かさと浅はかさが恨めしくなると、薄暗い森の中で前にも後にも動けなくなってしまった。
見上げると、木々の枝葉の隙間に見える空に、大きな影が見えてきた。
しまった、夜が来る!
もし、こんな森で夜を迎えれば、どんな恐いものに出会うかもしれない。サグダは自分のとった行動を責める前に、途方もない恐怖にかられだした。
まだ来た道がわかるうちに自転車で戻れば、夜になる前に施設に辿り着けるかもしれない。
よし、決めた。戻ろう。まだ間に合うはずだ。迷子になった、と言い張ればいいだけのことだ。こんな森で一夜を明かすなんて、とんでもない。今日のところは一旦戻って出直せばいいことだ。今日は、森に入る小径を真っ直ぐ行けば、小川にぶつかって道がなくなるということがわかっただけでも、収穫としよう。さぁ、早く家路に着かないと、言い訳もできなくなるぞ。急ぐんだ。
そう、自分に言い聞かせると、サグダは今来た森の道を逆に向けて走り出した。
そして、もの凄いスピードで自転車を漕ぎ始めたのだ。しかし、行けども行けども木々を掻き分ける道は険しくなるばかりで、さらには陽が翳りだし、鬱蒼とした枝葉の影響でその暗さは倍増していた。
また、悪いことに自転車はその漕ぎ手の焦りをもろに受けて小径でない所を突き進んでいることになっていた。それに気づいた時は、もうすっかり暮れていて辺りは真っ暗闇だった。
だめだ、もうわからない!
そして、泣き叫びたくなるような気持ちで一杯になったサグダに、追い討ちをかけるような出来事が待っていた。
目の前には、小川があったのだ。
ぐるりと一回りしただけなのか、それとも別の小川なのか、そんなことはどうでもよくなっていた。
既にサグダの心はパニックを起こしており、現実を受け入れる余裕はとうになくなっていた。
遂に、少年は泣き喚きだした。
「サグダ、泣いちゃダメだよ」
暗闇の中で声がした。
「だ、誰? 誰かいるの?」
サグダには恐怖でしかなかった。だが、その声の主はよく知っている人物のものだった。
「私だよ」
返答があった。だが、声の主の姿は暗闇の中で何も見えなかった。
「テコレイなのか?」
「そこを動いたらダメだから。すぐにカフデルさん達が迎えに来るわよ。じゃあ、私はもう行くから」
その声の主は明らかに年下の幼馴染みのテコレイのものだったが、そう告げるとどこかに行こうとするのがわかった。
「待って、テコレイ! 僕を置いていかないで!」
そう叫んだが、その相手の気配は消えてしまった。
「テコレイ!」
サグダは茫然とした。
そこにいるなら、自分の所に来てくれればいいのに。しかし、そんな自分の気持ちに応えるわけでもなく、テコレイは行ってしまった。しかし、この暗闇の中、テコレイが一人で帰るなんて有り得ないことだ。
そして、茫然としたサグダが振り返ると、そこには赤い巨大な一つ目があり、じっと自分を見ていたのだ。
うわぁ!
サグダは驚き、遂に森の化け物に遭遇してしまったんだ、とたじろいだのだった。
「大丈夫よ。もうすぐ助けが来るから」
その声は、その化け物が発しているのだ。テコレイの物真似をして。
その巨大な赤い目以外の部分は暗闇に溶け込んでいて、その化け物の姿はよくわからなかった。
しかし、その一つ目が少しずつ近づいてくることがわかると、サグダは恐怖のあまり、気を失ってしまった。
その後、サグダが目覚めた場所は施設内の病室だった。
さらに、その部屋の明るさは彼の心を安堵させるには十分だった。
「お兄ちゃん、気付いた?」
その声の方を見ると、弟のギュトとシュファがベッドの傍らに立っていた。
「ああ、ギュト、シュファ。心配かけてごめん」
「よかった……」
すると、サグダはベッドから起き上がった。その瞬間、病室から誰かが出て行った。その後ろ姿は、紛れもなくテコレイだった。
「あ、テコレイ! 待って……」
サグダは呼び止めた。
いや、何で呼び止めたんだ? 何かテコレイに言いたいことがあったはず。でも、なぜか思い出せない。と、サグダは思った。
そして、病室から出るテコレイは、幼女には似つかわしくない表情で何やらほくそ笑んでいた。
◇
それは漆黒の空間の彼方に現れた。
やがて、その大きさがわかるようになると、レドは驚愕した。
「あれは何だ! こんなバカデカいものは、生まれてはじめて見たぜ」
宇宙輸送船のパイロットとして、自分は銀河の端から端まで行って見てないものは何もないと思い込んでいた。しかし、これほどのものを見たことはなかった。
「全部、人工物だ」
その通りだった。
船内からのスキャンでは、その大きさを計測することを既にあきらめたかのような数字をはじき出していた。
狂ってる。
こんなものを作るなんて、一体どういうつもりなんだ? それに、これほどまでに大きなものを作るその材料はどうやって調達したんだ? そして、そこにどんな奴等が住んでる? 何人? いや、この中に人が住んだとしても、その数は我がコミトロン帝国の人口よりも多いはずだ。何しろ、その表面積だけでも、惑星表面の数千個、いや数万個分あるにちがいないのだから。
レドには次から次へと疑問が湧いて出てきていた。いや、疑問を通り越して憤りすら感じられた。
「オーグの連中が恐れているのもわかるな。それにしても、誰が作ったんだ?」
それは、Bクラスの恒星くらいの直径があった。
それにしても、その重量は大きさに比べるとすこぶる小さい。おそらく中は空っぽなのだ。さらに、内部から放出される莫大な赤外線の量は半端ではない。つまり、内部には恒星か準恒星が囲われているのは素人でもわかりそうなことだった。
これが人工球殻天体、いわゆるダイソン球と呼ばれるものであるのは一目瞭然だった。
その形については完全な球状であるが、センサーによれば、その表面には何やらレーダーサイトのような触手がいくつも生えており、レドの船に反応して捕えようとして蠢いているのだ。
人工球殻天体の半径は恒星からの居住最適範囲、つまりハビタブルゾーンまでの距離と同じものと思われた。つまり、そこは年中気温が一定に保たれ、気候変動の少ない快適な天国に違いない。
そこまでの距離は、レドの船からまだ180ビフェツもある。
レドの任務は、この人工球殻天体の中で待っている三人の子供を軍司令部のあるルティミス星に連れて行くことだった。
「本当にこの中にも、我が軍の基地があるってのか?」
この辺りの宙域は禁断の地とされ、一般のコミトロン帝国人民であれば、誰もその存在を知ることはない。政府か軍部のごく一部の者がその存在を知っているだけである。
そして何よりも、この宙域は暗黒星雲に閉ざされ、帝国の支配的種族であるオーグ族によってその立ち入りを禁止されているのだ。
「オーグよりも遥かにデカいんだからな。こんなものがあることがバレたら、オーグもカタなしだ」
その時、亜空間通信チャネルの呼び出しがあった。
「ゼルテクスフィアに接近中の船に告ぐ。船籍と船長の名前を通知せよ」
「こちらは、輸送船プリドマサのレド・マセフェン船長。そちらの積荷を受け取りに来た。あと30分でそちらの圏内に入る」
「了解」