- 014 ロイガー(2) -

文字数 4,795文字

 エレナ達よりも一足先に、アリシアとエイジが森の中を進んでいくと、突然アリシアの足が止まった。そして、エイジもつられて足を止めた。

「誰かいる。気をつけて」

 だが、エイジには、人影も見えず、またそのような気配も感じなかった。

「伏せて。危ない」

 アリシアは、エイジをかばうように覆いかぶさって抱きついてきた。
 その瞬間、森の中を全部さらけ出すような閃光が走った。そして、次の瞬間には、閃光が消え、エイジに抱きついていたアリシアの体から、白い煙が立ち上がっていた。

「え? アリシア、アリシア先輩! どうしたんです?」

 エイジの腕に抱きかかえられたアリシアは気を失っていたが、彼女の服の背中は焼け焦げていた。

「先輩、しっかりしてください!」だが、アリシアはぴくりとも動じない。「先輩!」

 エイジのその大声にも反応がなかった。
 エイジは、アリシアの脈を見た。脈はあった。エイジは少し安堵した。
 やがて、道の先に人影が見えた。その姿はやはりベルナスであった。この技は彼の電撃だと直感していたからだ。

「ベルナス先輩!」エイジが叫んだ。「これは、ベルナス先輩のせいですか?」

 その問いにベルナスは答えず、ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべていた。
 まずい。ベルナスは完全に操られている。さらに、肝心のアリシアは怪我をして気を失っている。エイジにとって体勢は絶望的だ。多分、ベルナスのフサッグァの電撃は、射程距離がかなりあるはずだ。逃げられない。
 そうしている間にも、ベルナスが近づいてくる。どうするか?
 操られているなら交渉は無理だ。おそらく、ベルナスの役目は、アリシアの無力化とエイジの足止めだ。いや、もしかしたら、エルディリオン神族の力か? なら、ロイガーとやらの怪物も自分の血を必要としているのではないか? そうならば、ベルナスに捕まることで、そいつの所へ案内してくれるかもしれない。
 やがて、ほんの近くまで来たベルナスは掌打をエイジに向けて立ち止まった。

「エルディリオン神族よ、来い」

 ベルナスはそう言った。

「アリシア先輩を置いて行くわけにはいかない」

「エルディリオン神族よ、来い」

 ベルナスの台詞は、先と同じだった。操られているため、自分で思考できていないのだ。やはり、彼と交渉はできない。エイジは思い直し、アリシアをここへ置いていくことにした。

「アリシア先輩、ちょっと行ってきます。すみません、少しここで休んでいてくださいね」

 エイジは、そう言うと、抱きかかえていたアリシアを木の根元に寝かせてから立ちあがった。もしかしたら、これで自分は死ぬかもしれない。人生の最後に、好きになったばかりの女性を、ほんの少しの間だけでも腕に抱けたのは幸せだったかなと、エイジはふと思った。
 あ、そうか、自分の気持ちがはっきりした……。
 しばらく、アリシアと訓練を続けていて、ずっと一緒にいたからかもしれないが、アリシアは小柄な体型の女性ということであっても、あまりにもかっこよかった。何度も自分を救ってくれ、今も自分のために犠牲になってくれたのだ。
 そうだ、今度は俺がアリシア先輩を守る! そして、何としても生きてアリシア先輩とまた訓練するんだ、とそう決めた。
 ベルナスは指で道から外れた方向を指すと、エイジにそちらへ進むように指示した。エイジがその方向へ進み出すと、その後ろからベルナスは追い立てるように歩きだした。
 森の中の道なき道を二人が歩いていくと、何か巨大なものがあたりの草木をすべてなぎたおしたような開けた場所に出た。広さは学校の体育館ほどはあるだろうか。
 その場でエイジは立ち止った。そして、よく見ると、その広場の中央に人影が見えた。正確には二人。どうやら男がジェシカを腕に抱き抱えているようだった。
 そのジェシカはぐったりとしており、見た目には気を失っているようだった。

「ジェシカ!」エイジは叫んだ。「おい、ジェシカを放せ」

 エイジがその男に向かって走りそうになるのを、背後からベルナスがエイジの腕を掴んで止めた。エイジが振り返ると、ベルナスは首を横に振った。

「畜生。何が望みだ!」

 再びエイジは叫んだ。

「私はサグダだ」その男は周囲に響き渡る高い声で言った。「ロイガーの化身である。おまえの持つエルディリオン神族の力と、この娘の身柄を引き替えようではないか」

 それは明らかに嘘とわかった。
 だが、ロイガーの双子の兄弟ツァールの力を持つジェシカをこのまま放っておくはずがない。

「行け」

 背後のベルナスがエイジに言った。そして、エイジはサグダの方を凝視して、その方向へゆっくりと歩み進んだ。



 やがて、エレナとミラは道に横たわるアリシアの姿を見つけた。

「アリシア!」

 エレナが叫び、アリシアの元へ走り寄って抱きかかえた。

「しっかりしてください、アリシア先輩!」

 その場へと、ミラも駆け付けてきた。
 エレナはアリシアの背中が焼けているのに気づいた。だが、傷はそうたいしたことはなさそうである。
 エレナはフサッグァの電撃を受けたのだ、と直感した。そして、アリシアのことであるから、ふいに背後から先制されたわけでなく、おそらくエイジを庇って、撃たれたに違いということまで見抜いた。
 すると、抱きかかえられていたアリシアの瞼が少し開いた。

「ぶ、部長」

 瀕死のアリシアが喋った。

「アリシア!」

 エレナとミラは一瞬安堵したが、アリシアはやっとの思いで声を出しているのがすぐに判り、また心配した表情となった。

「すみません、……エイジは……いますか?」

「いえ、ここにはいなかったわ」

「精神制御された……ベルナスに……連れて……行かれたと……思う」

「ミラ、」エレナは言った。「アリシアを連れていけるかしら。ここからは私だけで行くわ」

「はい」

 ミラがそう言うのと同時にアリシアが言った。

「私も……行く」

「だめよ」

 エレナが断固として言った。

「どうしても……行きます。このままでは……エイジも、ジェシカも、ロイガーの一部にされる」

「ミラと帰りなさい」

「お願い……私も……行く。私の力が……必要」

 エレナは、アリシアの頑固さに厭きれたが、クティラの力が必要なことは分かり切っていた。

「仕方ないわ。ミラ、アリシアをおぶって」

「はい」

 ミラはアリシアをおぶった。

「ごめん、ミラ」

 アリシアはぼそっと言った。

「エイジ達の姿は見える?」

 エレナがミラに訊いた。

「はい。この先に少し開けた広場のような場所があります。ベルナス先輩もエイジくんもジェシカちゃんも見えます。あと、おそらくロイガーの方も」

 エレナ、ミラ、おぶられたアリシアは、エイジが連れ去れた方角へ向かった。



 エイジはサグダの前まで来た。

「ジェシカに何をした? ジェシカを放せ」

 エイジは語気を強めて言った。ジェシカは気を失っているようだった。

「まだ、何もしちゃいないさ」サグダは言った。「放せと言うなら、ほら」

 サグダは腕に抱き抱えていたジェシカをエイジに差し出した。
 エイジはゆっくりと近づき、ジェシカを受け取った。あれ、アリシアよりも重い。……だが、そんなことは、今はどうでもいい。今日は女の子を二人も抱きかかえられるなんて。……いや、そんなこともどうでもいい。
 エイジはそんなことを一瞬で思ったが、ジェシカを抱きかかえたまま急いで後ずさりした。視線は、サグダに合わせたままで。
 後ろには操られたベルナスがいるはずだったが、後ずさりする足に何か大きいものがぶつかった。それは倒れたベルナスだった。

「ベルナス先輩。どうしたんですか?」

「そいつの役目は終わった」

 サグダが言った。

「ベルナス先輩に、」

 エイジがそう言おうとしたら、サグダが遮った。

「何をした、ってか? 単にヒプノシスを解いただけさ。今度、気がついた時は、おまえの仲間に戻っているさ。よかったな」

 エイジにはもうどうすることもできなかった。ベルナス先輩を助けるのも、ジェシカを助けるのも。何より、自分の命さえどうなるのか、わからなかった。だが、不思議と怖くなかった。

「もう、それ以上動くな」

 急にサグダは言った。
 なぜか、エイジはその言葉に従った。
 そして、サグダの右腕が触手のように変化し、するするとエイジに伸びてきた。エイジは避ける間もなくその触手に捕まり、ジェシカを抱える左腕に絡みついてきた。さらに、その触手の先端がずぶりとエイジの心臓あたりの胸に刺さった。いや、食いついてきたという方が正しかった。
 一瞬の激痛にエイジは立っていられなくなり、ジェシカを落とさないように、静かに膝を付くのが精一杯だった。ジェシカを地面に降ろして、エイジは右手で触手を掴んだ。そいつを引き抜こうと試みたが、抜けなかった。エイジは徐々に意識が遠のいていった。
 ジェシカ……アリシア先輩……姉貴。……俺は、これまでかもしれない……。
 少し離れた所にいるサグダの笑い顔が、だんだんとぼやけていく。
 ちくしょう……。
 その時、どこかで声がした。サグダの声ではない。ジェシカでも、ベルナスでもないようだった。誰だ? だが、何を言っているのか、聞き取れない。何を言ってる?

「だ、だ、だれ、だ……?」

 いや、その声はエイジだけに聞こえたようだった。何かの呪文のような声。
 ……俺を呼べ……。
 そう、聞こえた。俺を呼べ? 誰なんだ。

「何者だ?」

 ……死にたくないなら、俺を呼べ……。

「わ、わかった、よ、よ、呼んでやるよ……なら、い、い、今すぐ……来い」

 エイジは、呟くように言った。
 ……では、念じろ……。

「な、な、何を念じろってんだ」

 ……アイツを倒したい、と……。

「ああ、倒したいよ。そうか、念じるんだな……倒れてくれ!」

 その瞬間、エイジは光を見た。何の光かはわからない。辺りを照らすものでもない。すると、サグダの身体が何かにブッ飛ばされたように吹き飛んだのが見えた。そして、エイジは力がみなぎってくるのを感じた。

「何だ、この感じ?」

 体の中から凄いエネルギーが湧いてくるのが感じられた。
 それどころか、物凄い気分の高揚感だ。
 エイジは立ち上がると、サグダの触手を右腕で引きちぎった。さっきは、いくらやっても取れなかったのに、今は簡単にできた。
 今度はサグダが立ち上がった。

「ついに顕現したか、エルディリオン神族よ。では、この姿では力不足だな」

 サグダの体はみるみると触手の化け物へと変身した。
 その姿はこれまで会った二体のイーヴァイラスよりも大きく、邪悪そうな緑色の目が輝いており、全身に奇妙な触手がうねうねと蠢いてはいるが、そのシルエットは立ち上がった蜥蜴のようであった。

「その醜い姿がロイガーか」

 エイジは言った。

「醜い、だと。この俺にその言葉を言った者は、握り潰されることになる」

 ロイガーの触手が何本か伸びてきて、再びエイジに絡みついた。

「化け物め。俺の力が欲しいのか?」

 エイジはわざとロイガーの触手を腕に絡ませ、その先端を自分の胸に突き刺した。

「ほら、やるよ」

 エイジがそう言うと、ロイガーはぐいぐいとエイジの生体エネルギーを飲み込み始めたが、そのうち苦しみ始め喘ぎだした。

「何の真似だ……」

 ロイガーは、その場でのたうち回った。

「もう腹一杯なのか」

 エイジは短時間の間で過剰に生体エネルギーをロイガーに与えた。そのため、吸収しきれなくなったロイガーが苦しみだしたのだ。だが、それでもエイジはピンピンしていた。
 エイジはロイガーの触手を引き抜くと、地面に叩きつけた。さらに、ロイガーのすぐそばまで行くと、アリシアやベルナスと同じように右腕を水平に伸ばした掌打の構えで手のひらをロイガーの頭に向けた。

「俺は、まだこの技を使ったことがない。だが、おまえの頭くらいなら、軽く吹っ飛ばせるような気がする」

 エイジは、言った。
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