第93話 告示十日前

文字数 678文字

 六月十一日の告示が、翌週に迫っていた。金曜の午後、西條さんの老人ホームを訪ねた。出陣式への参加をお願いするためである。
 二週間前に名刺を持って、すでに挨拶に行っている。今回は「理事長にも挨拶しておこう」と理事長室へ案内してくれた。
 しかし、「うちらのところは、谷村さんの地盤やで」と返事もすげなく、取りつく島もなかった。谷村さんとは、ホームのすぐ近くの村から出ている、七十歳過ぎの最年長議員である。
「演説のこともあるで、一応は顔をつないでおかなあかんでな。谷村さんに負けんようにがんばれや」
 部屋を出たところで、西條さんが小さな声で励ました。実際の運動期間に入ったときに、二百人余りのお年寄りの前で選挙演説をさせてもらわなければならない。そのための挨拶なのだ。
 事務所に戻ると、出陣式の時間を伝え、ぜひ来てほしいとお願いした。西條さんは手帳を繰りながら、「その日は法事があるから難しいかもしれんなぁ」と首を傾けた。
 しばらく話をしていると、話題は市長選へと移った。笠島市議が立候補するという噂があることを伝えると、西條さんは「それは困ったなぁ」と溜め息をつく。
 今晩、青年会議所の創立五十周年のパーティーがあり、OBとして浅田市長も笠島市議も来るのだという。
「二人から応援を頼まれるんやろうなぁ。二人とも先輩やから返事しにくいわ。『がんばってください』としか言えんな」と苦笑いした。
 それから、「日曜に夕涼み会があるから、その時にもう一度理事に挨拶しておいたほうがいい」と勧められ、あさってもう一度訪ねることを約束して事務所を後にした。
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