第100話 ただの人

文字数 580文字

「落選したら、ただの人」というが、当選してようやく普通の人に戻れた気がする。
 これまではずっと、それ以下の存在であった。実際に、他の候補の支持者から「落ちたら、ただの人以下や」と、面と向かって言われたこともある。
 有権者は選挙が終われば、日を追うごとに誰が当選したかも忘れ、自分が投票した議員が議会でどんな質問をしているのかさえ知らないであろう。まして落選した人間なら尚更だ。
 しかし落選した当人は、この三年四ヶ月のあいだ、片時も忘れることはなかった。
 常に目に見えないレッテルが貼られているように感じていた。自分を売り込むために、人の集まるところへ出かけていくときは余計に、そう見られていることを強く意識していた。
 それでも、負けを認めて引き下がることはできない。自分を応援してくれた多くの人を、失望させたことが忘れられないのだ。
 罪を償える日まで、消えないレッテル。汚辱。見えない烙印。
 その証拠に、一週間後の市長選の投票に、公民館へ出かけたとき、市の職員の目が一切気にならなくなっていた。スティグマは消えたようだ。
 これでようやく、四年前の帰郷から始まった、長い選挙戦の幕が下りた。
 次の本選挙に出るつもりはない。
 八ヶ月の任期を勤め上げたあとは、コピーライターに戻ろうと思う。これからの生涯を、好きに文章を書いて生きていくつもりだ。
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