第31話 建前だけの選挙協力

文字数 934文字

 しばらく走るうちに、一番後ろの車だけ窓が閉まり、誰も手を振っていないことに気づいた。身を乗り出していると、道路を曲がるたびに、まだ曲がり終えていない最後尾の車がよく見える。区長と役員が乗っていた。
 応援してくれている人は皆、雪が降っていても、外に立って手を振っている。それなのに、町内の利益のために選挙運動を手伝っている人が、車に乗っているだけで支持者に応えて手を振らないとは、どういうことだ。運動に協力してやったという体裁だけのためなら、ついてくる必要はない。
 地区に関係ない人が応援してくれている。今はその気持ちに応えて、少しでも多くの支持を集めるため、自分の思いを伝えるために、精一杯手を振り続けようという熱い気持ちが自分自身を支えていた。それだけに、一番後ろで座席に踏ん反り返っている人間が許せなく思えた。
 曲がり角では何度も後ろの車に向かって懸命に手を振り、一緒に手を振ってくれるように繰り返しアピールし続けた。
 休憩のとき車を降りると、僕は早足で後ろの車に向かった。すると、二台目を運転していた従兄のノリちゃんが、体重百キロを超える大きな体で立ちはだかった。
「どこ行くんや。そんな狐みたいに目つりあげて。車戻れや」
 僕の腕を片腕で強くつかみ、押し戻す。どうしてやることもできないことは、自分でも分かっている。年寄り相手に説教してやろう、車から引きずり下ろしてやりたいと、感情だけが先走るだけで、実際にやったらすべてお仕舞いである。応援してくれる人たちの気持ちを、自ら踏みにじってしまうことになる。冷静に考えれば、すごすごと引き下がるしかなかった。
 そこからは、ノリちゃんが区長らの乗る車を運転すると言った。そして次に、天神町の総会で立候補の挨拶をするために、車は止まった。演説を終えて戻ると、ノリちゃんが事務所から届けられた熱い缶コーヒーを差し出した。
「あのあとな、窓を下げてウィンドウロックかけといたんや。年寄りやで分からんで、『あれ? あれっ?』とか言って、窓を上げようとしてたでな、『故障したんですかね』て言うといてやった。そしたらな、今コーヒーもらって、泣きそうな声で『あったか~い』て言うてたわ」と、人懐っこい笑顔で笑っていた。
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