第29話 涙の見送り

文字数 393文字

 選挙終盤の金曜日は、土砂降りの冷たい雨だった。
 冷え込んでいく天候とは逆に、選挙戦は次第に熱を帯びてきていた。
「豊ちゃん、がんばってな。おんちゃんらは何もしてやれんで…ごめんのぉ。
 誰のためでもない、自分のためや思うて、がんばれなぁ」
 選挙事務所から僕を送り出すとき、母の実家である天神町のおじさんが涙を流した。涙の見送りは、前日の木曜から最終日の土曜まで三日間続いた。その度にもらい泣きしそうになるのを、奥歯を噛み締めてこらえ、心の中で「自分のためじゃない。星野川市のためにやってるんや」と答えた。
 もはや自分のためにはできなかった。地盤や事務所の内情を考えると、状況があまりに悪すぎて、誰か大勢のため、世の中のためと思わなくては、自分を納得させることができなかった。自分を支えていたのは、感傷的なヒロイズムだと思う。自分のためを思うなら、ただ逃げ出したいと考えただろう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み