第44話 転職を決めたはなし

文字数 2,141文字

 別部署から声を掛けてくれたのは、僕のよく知る先輩でした。

 佐藤先輩が責任者を務める大型案件。とにかく人手が足りないので、リハビリで良いから手伝って欲しいと。

「ていうか、カバネ使えるとかラッキーやん。来てくれてめっちゃ有難うやわ」

 そう言葉を掛けてくれるような、とても頼りになる兄貴分です。

「体調はどうなん? 大丈夫?」
「今は9~16時で精いっぱいですね。来月からは通常勤務という感じで」
「せやな。来月からも、よほどの事情がない限りは定時退勤で良いから」
「えっ良いんですか?」
「無理だけはせんようにな。これから先の方が長いんやから」

 この方との付き合いも思えば長く、僕が会社に入った頃からの仲でした。もの凄く仕事のデキるマネージャー。年齢は10も変わらないのですが、若い頃から実績を残してきた人です。

 知らない部署、初めての仕事。
 元いた部署では僕もプロジェクトを任されていましたが、ここでは復帰明けの一兵卒。若いメンバーと机を並べての仕事は、なんだか新鮮な感じがしました。

 知らない単語、聞いたこともない業界用語。部署が変わるとこんなにも違うのか、という軽いカルチャーショックもありました。ついていくのに必死でしたが、何とかかんとかこなす日々。

 そんな中で、幾つかの気付きも得られました。

 どれだけ頭が動くのか、自分の能力はどうなっているのか。そんな不安が常にあったのですが、思いのほか大丈夫だったのです。

 新しい分野の仕事にもどうにかついて行ける。これまでの技術も問題なく思い出せる。コミュニケーション能力も不安なし。日々の疲労という点は否めませんが、PCを前に頭があばばってなったりだとか、呆然とする様なことはありませんでした。

 あれ? 結構イケるんじゃね? みたいな。

 先輩も最初に話した通り、僕をひたすら定時で帰してくれました。『お前の仕事は17時半に帰ることだ』と厳命してくれて、もう本当に有難かったです。

 ◇

 仕事を終えて帰宅した後は、PCで小説を書いたり、小説仲間とチャットで遊んだりしていました。流石に書くペースは落ちましたが、仲間とワイワイやるのが僕のストレス解消になっていた気がします。

 気が付けば10月に復帰してはや3ヶ月。時間はあっという間に過ぎていき、いつの間にか年末年始のお休みがやってきました。

 寒さが厳しくなってくると、ちょっと身体がシンドいことも。疲労もそうなのですが、どうも寒さに弱くなった気がする。気分の波も少しあり、気温が低い日は思考がネガティブになることが多かった感じ。

 双極性障害を発症したことで気候の変化に弱くなったのか、或いは体力が落ちたのか。それとも以前から寒さに弱かったけれど、気合と根性で鈍麻していただけなのか。

 恐らく全部だと思います。その境目は曖昧で見えにくいけれど、お風呂に入って身体を温め、ストレッチを繰り返すことで何とか乗り切る日々でした。

 先輩からは年明けもしばらく定時退社をするように、と厳命されていました。プロジェクトが佳境に入るゴールデンウィークには、残業をお願いするかもとの事で。

 参加したプロジェクトの状況はどうかと言うと、ぶっちゃけ炎上必至な案件でした。佳境に入れば以前の僕と同じように、家に帰れない人や休めない人が多く発生しそうな気配。猫の手も借りたいとは本当で、僕がこの案件のリーダーだったらと考えるとゾッとします。佐藤先輩も疲労困憊なご様子ですし。

 考えるに、IT業界と炎上プロジェクトは切っても切り離せない関係なのでしょう。
 僕のいるこの業界は、当たり前ですがユーザからの注文を受けて仕事をします。

 まず、ユーザからはシステム要件、つまり『こんなシステムが欲しいんだ』を提示してもらいます。併せて費用や期限なども。もちろん交渉の余地はあるけれど、いつまでにこんな金額でよろしくね、という条件はほぼ最初に決まっていることがほとんど。

 んで、システム会社というのは他の企業と同じく、1年間で稼ぐべき金額を設定しています。いわゆる予算というものですね。4月から翌年3月までにこれだけ稼がなきゃいけない的な。

 予算を達成することで、事務所の家賃を払い、従業員の給料やボーナスを払い、株主に配当を支払い、銀行からの借り入れを返済し、設備に投資し、残ったお金が利益になる。

 なので予算を達成するためには、厳しい条件でも引き受けることが多々あります。むしろ余裕のある案件は少なく、無理をしないとこなせない、場合によっては赤字が見えているのに引き受けるケースも。

 そんな案件を誰が受け持つかというと、大体において優れた人材です。例えば佐藤先輩の様に。

 これはもう誰が悪いとかいうものでもない、構造的な問題に思えました。僕一人が頑張った所でSEの過重労働は防げるものではない。僕がダウンする前に画策していた部下を勝手に増やす、スケジュールを調整する、そんな方策は焼け石に水。もっと川の上流の部分で、既に激務は見えているのですから。

 と、ここまで考えて。

 ひょっとすると、今ってチャンスなのではないか?
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