第14話 認知行動療法、とは?(前)

文字数 2,168文字

 リワークのカリキュラムでは、認知行動療法に関する座学、なんてのもありました。

 この認知行動療法……別名『CBT』とも呼ばれる治療法について、僕は専門家でもないので中途半端な知識で説明するに(はばか)られる、というのが正直なところです。

 ここで語るにあたって体験を整理するべく、ネット等で概要を調べてもみたのですが、いまいち具体的なイメージが湧かないというか、引用できる文章も少ない感じ。

 なのであくまで一例ということで。こういう考え方もあるんだな、程度で振り返りにお付き合いいただければ幸いです。

 …

>認知行動療法は、うつ病、パニック障害、強迫性障害、不眠症、薬物依存症、摂食障害、統合失調症などにおいて、科学的根拠に基づいて有効性が報告されている。

>1950〜60年代の論理療法や認知療法に起源をもつ。共に、不適切な反応の原因である、思考の論理上の誤りに修正を加えることを目的としており、認知、感情、行動は密接に関係しているとされる。従来の精神分析における無意識とは異なり、観察可能な意識的な思考に焦点があり、ゆえに測定可能であり、多くの調査研究が実施されてきた。

 以上、Wikipedia先生より。

 さっくりまとめると、いわゆる精神的病理に効果がある取り組みで、『無意識』ではなく『意識的な思考』にフォーカスをあてた治療法、ということみたい。

 リワークで僕が体験したのは座学、といってもワークショップ的なものでした。テキストを元に心理療法士さんからの説明を受けて、自分に当てはめて考えてみる。振り返ってみる。

 場合によっては仕事のことも思い出しながらなので、辛い頃の記憶と言いますか、ちょっと心理的負荷の高い側面もありました。その辺は無理を避け、療法士さんのフォローも受けつつ進めます。

 非常に奥深いものではありますが、実際に受けたカリキュラムをベースに、このエピソードでは2つの点に絞って振り返ってみたいと思います。

―――
①認知の歪み

 人には『認知』というものがあり、自分の回りで起きる出来事も『認知』を通して知覚している、とのこと。そして心身が不調を来していると『認知の歪み』が発生しやすくなる、とも。

 例えば、僕みたいに文章を書いてWebに公開した場合。

 ある人が『ここはこうした方が読みやすいよ』と意見を伝えてくれたとします。
 これをアドバイスと受け取るのか、批判と受け取るのか、或いは誹謗中傷と受け止めるのか……ここに認知の歪みが介在するそうです。

「ここはこうした方が読みやすくなるよ」

 言葉通りに受け止めればアドバイスに思えます。
 ですが『あなたの文章は読みにくい』と受けてしまうと批判に思えてくるでしょう。
 さらには『お前の文章など読めたものではない。言う通りに修正せよ』と感じた日には、誹謗中傷と感じて怒りを覚えるかも知れません。

 そんな極端な、と思われるかも知れませんが、実際にダウンした頃の僕は認知が歪みまくっていたのだと思います。

 例えば仕事でのこと。

 自身の業務負荷を少しでも下げようと、僕は上司に直談判を繰り返していました。それでも対策がとられず暖簾に腕押し状態。ならばと勝手に部下を作ろうとしたのですが、それも上司によってストップが掛かる。

 この時、僕はこう感じていたのです。

『この上司は自分の邪魔ばかりする』

 冷静に考えれば、わざわざ上司が仕事を邪魔する必要もないですし、今にして思えば彼も大変だったのだと理解できます。対策を求められてもどうしたら良いか分からないし、勝手に部下を作るなんて黙認するわけにもいかないし。
 なので、『邪魔ばかりする』とは事実ではない。事実ではないのだけれど、僕には明確に事実として認知されていました。

 このように、事実を歪めて認識することは、誰にだって起き得るものだと思います。

 災害や事故で電車が止まったとき、駅員にどなり散らしているオジサンなどを例に挙げてみましょう。電車が止まったことは事実ですが、オジサンにとっては『スケジュールに間に合わないなんて理不尽だ』『電車は常に時刻通り運行するべきだ』『この鉄道会社は俺の邪魔をしているんだ』等といった認知の歪み数え役満状態なのかも知れません。

 正直、僕も『そんな極端な』って思っていました。

 けれど上述の通り、ダウンする直前はどうだったのか。自分が事実として認識していたものは、本当に客観的事実だったのだろうか……?

 受け取り方を間違っていたのは僕なのではないか。駅員にどなり散らしているオジサンは、ひょっとすると僕のことだったのだろうか。そう考えて過去を見つめ直す、現在を見つめ直すことは、当時の僕にとってやはり心理的負荷の高いものでした。

 だって『僕は悪くない』と考えていたのですし。

 無理に考え方を変えようとしても『じゃあ僕が悪い』みたく、明後日の方向に歪む可能性だってあります。

 療法士さん達は慎重に、とても丁寧に、僕が傷つかないようにして、これらの振り返りに付き合ってくれました。やっぱり一人では無理だったと思う。まして家族や友人と言った、近しい人に同じことを言われてもストレスになるだけだったかも知れません。

 リワークで専門家の方々、そして仲間たちと受けたこの授業は、自分にとってとても貴重な時間だったと思います。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み