第18話 腰痛消えた事件

文字数 2,333文字

 消えたんですよ。

 何がって、腰痛が。

 あれは休職して4カ月ほど経ったころの話です。僕は10代から腰痛に悩まされていて、もう一生この痛みと付き合わないといけないんだな、とか思っていました。

 その痛みも休職する前にはかなり酷くなり、休職してからも治まらず、もう立ち上がる時には『ヴァッ!』って声が出て、これは流石になんとか出来ないかと考えるに至りました。

 休職して時間もありますし、近くの整形外科に行ってみたのです。

「筋肉が極度に硬直してますね」

 とは先生の診断。レントゲン写真を見ながら。

「ヘルニアとかではないんですか?」
「関節や骨は問題ありませんね。時間は掛かるかも知れませんが、ストレッチなどの運動で解消していくしかないですね」
「運動ですか」
「えぇ。このあと時間ありますか? トレーナーから幾つかストレッチをお伝えしますので、試してみませんか」

 お恥ずかしながら、僕はこの運動という言葉がとても苦手で。出来得る限り運動を避けて生きていきたいという不可思議な信念を持っていました。
 更に言うと、時間を掛けて毎日コツコツ行うというのが凄く苦手なのです。継続は力なりとは言うけれど、何かと即効性のあるものになびいてしまうと言うか。

 その日は一応、何種類かのストレッチを教えて貰って帰宅。1日15分、まぁこれで痛みが無くなるならいいけど……取りあえず時間だけはあったので、渋々取り組むことにしました。

 そんな話をしたところ、反応を示したのはリワーク仲間の猪瀬さん。

「カバネさん、実は僕、ボクシングジムのトレーナーやってたんです」
「トレーナー!?」
「そうなんです。なので腰痛とか筋肉とか詳しいですよ」

 そう言われて猪瀬さんの身体つきを見るに、確かに鍛えられた肉体のアレ。凄いなリワーク、本当に色んな人がいるな……。

「腰痛対策にはお尻の筋肉が大事です」
「腰ではないんですか?」
「そうです。筋肉は全て繋がっているんです。なのでスクワットをお勧めします。大殿筋も必要ですし、腸腰筋も大事です」
「ちょ、ちょう……?」
「ダイデンキンとチョウヨウキンですね。腸腰筋は身体の前側にあるんですが、腰の筋肉と繋がっているので効果的なんです。あと朝は避けた方が良いです。怪我のリスクもありますし、やるなら夜の方が効果あります」

 そうして言われるがままスクワットのやり方を教えてもらい、僕は日々、家でストレッチとスクワットを試みました。

 他にもリワークで『ストレッチ』なるプログラムがありました。スクリーンにDVD映像が映され、見様見真似で身体を動かす感じです。その中で、

『これ、けっこう効くんじゃね?』

 という動作があり、これも取り入れてみようとなって毎晩15~30分、お風呂上りにスクワットしたストレッチしたり。本当に意味あるのかなぁとか思いつつ、1カ月程が過ぎました。

 それらの試みが複合的に効を奏したのか、前話で触れた『睡眠環境を整える』こと、或いは入浴習慣が身に着いたことも関係するのか、ある時期から夜にぐっすり眠れる様になってきたのです。

 ぐっすり眠る……これは僕にとって久しぶりの感覚でした。というか、今まで眠れていなかったことに気付いたと言いますか。

 あ、寝るってこういうものなんだ。知らぬ間に眠りに落ちているし、途中で目が開かないし、夢も覚えていないし、そんな感覚を本当に忘れていたのです。考えてみると中学生以来の睡眠だったかも知れません。

 んで、ある朝。

 腰が痛くないんです。
 最初は驚きました。目がパチっと開いて起き上がる。そのときに腰が痛くないんです。いやもう本当に『無』って感じ。えっ人間の腰ってこんな感覚なの? みたいな。

 うっわ~スゲエ。何の違和感もねぇ。

 世の人々はこんな感覚で夜に寝起きして腰も痛くないのか……いや、信じられない話でした。明日の朝とか大丈夫ですよね。また『ヴァッ!』ってならないですよね、と恐る恐る翌朝を迎えたものの、やっぱり痛くない腰の筋肉。

 人間、眠れていない時は不眠と気付かず、腰痛のときもそれが普通と思う。正常性バイアスと呼ぶのでしょうか、まともになって初めて、

「あの時はヤバかったんだな」

 と分かるのだと改めて感じ入りました。いや、僕だけなのかも知れませんが。途中で『あっヤバイ』って分かったなら、つぶれるまで無理してませんしね。

 もう少し踏み込んで言うと、やっぱり僕は日々コツコツ小さな事を積み重ねる、というのが苦手なんだと思います。

 仕事中に眠気を覚えれば栄養ドリンクを飲み、カフェインを摂取し、なんなら激辛スナックを喰らい、腰が痛ければフェイタスを張り、眠れなければ酒をあおり……思えばそんな毎日でした。

 激務でそうせざるを得なかった、という部分もありますが、対症療法ではなく根本解決、つまり生活リズムを整えて毎日お風呂に入り、少しずつ身体を動かして健康を手にする。そんな『長い目で見た行動』が根本的に苦手だったのです。

 この腰痛消失事件は僕にとってかなり衝撃的で、長い目で見る効果、『継続は力なり』というありきたりな言葉を実感する出来事でした。

 逆にこういった成功体験を得ないと、コツコツ積み重ねるなんて無理だとも思います。

 予防措置は小さな積み重ね。それを怠り壊れてしまうと、修復には多大なコストが掛かる……腰痛以外にも通じる話で、僕にとっては身につまされる体験。

 こうなってくると欲が出て来るのも人間のサガ。実は今も気付いていないだけで『それ普通じゃないよね』って思う事もあるのかも知れない。

 僕はもっと元気になれるのかも知れない、健康になれるのかも知れない。
 休職する前よりも。
 そんな、少しの希望が湧いた気がしました。
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