第19話 白いメモ帳が苦手なはなし

文字数 2,261文字

 リワークプログラムの一環として、毎週金曜日の午前に『写字』なる取り組みがあります。新聞記事の内容を一字一句、マス目のついた用紙に書き写すという作業です。

 短めの記事は5分、長めの記事では15分かけて写字ります。終了後には書けた文字数、誤字脱字の数、あとは『疲労度』を自分で数値して評価する。

 毎週、記事を変えながら同じ作業を繰り返すのですが、日によってスピードが異なったり、ある時は誤字脱字が爆増したりと、シンプルな数字であるが故、自身の調子を図るのに有効なのだと感じます。

 また、取り組む際の目標も各個人に任されていました。スピード重視、正確さ重視という方もいれば、綺麗な文字で書く、なるべくゆっくり書くなど。僕はなるべく丁寧に、かつ疲労感を残さないことを目標にする日が多かったですが、毎週積み重なっていく文字数、誤字脱字、疲労度は中々に奥深いものがありました。

 そんな写字要約について、リワーク仲間の藤本さんからこんな話があったのです。

「最近、筆記用具を変えたら、写字のスピードが上がったんですよ」

 とのこと。

「文字数だけじゃなくて、数字を見返すと疲労度も減ってるんですよね」
「筆記用具って、シャーペンとかですか」
「です。前々からビミョーな違和感というか、書きにくい感じがあったんですが……道具でびっくりするほど変わるもんですね」
「そんなにですか」
「カバネさんも試しに変えてみるのはどうです?」

 ふむ。
 確かに、道具を変えて疲労が減り、かつスピードも上がるというのは魅力的な話に思えます。

 なのでリワーク終了後、病院近くの大型書店へと足を向けました。豊富な文房具も取り揃えているので、あそこに行けば何かあるだろうと。

 問題なのは、どういう筆記用具が良いのか。思い返せば僕はシャープペンシルなるツールが少し苦手でした。何だか書き心地が好きでないというか、ボールペンの方がまだ扱いやすいような。

 以前から愛用している筆記具といえば、あるメーカーの使い捨てボールペン。超極細タイプが僕の好みで、力を入れなくてもサラサラ書けるタイプのペンです。ということはシャープペンシルも同じように、極細で力を入れなくても書ける……そんな品があれば好きになれるのでは?

 そんな都合が良いものあるかしら、と思ったらありました。

 さすがは街中の大型書店。0.3ミリ、2Bの芯に対応した極細タイプのニクイやつ。少し値段は張りましたが、これも投資かなと思って購入。

 そしたらば藤本さんと同じく写字のスピードが飛躍的に向上したのです。しかも疲労度は軽減されて、今までのシャーペン嫌いは何だったんだっていうレベルで。まさに劇的。いやもうビックリ。

「藤本さん……道具って大事ですね」
「おっカバネさんも変えたんですか」
「こんなに楽になるとは思いませんでした……」
「そしたら、メモ帳とかも変えてみるのはどうです?」
「メモ帳?」

 道具にこだわりのある男・藤本さんからのご提案。これは傾聴に値します。

「実はぼく、メモ帳の合う合わないがハッキリしてるんです」
「合わないとかあるんですか」
「あるんですよそれが。カバネさんも色々と試すのはどうかなって」
「ふむ……でもどうやって選べば」
「大事なのは色ですね」
「色?」

 え、色?

「真っ白な紙が苦手なんです。目がチラつくっていうか、カバネさんもそういうのありません?」
「いや全然」
「気にならないのなら良いんですけど。ノートも自分に合うのがあれば楽だと思いますよ」

 僕の頭の中では『ノートと言えば白』というイメージしかなかったので、これはちょっと驚きの情報でした。白地を避けようなんて発想、今までの人生で考えたこともありません。ひょっとすると私がそう思い込んでいるだけで、白地以外を試す価値もあるのだろうか……?

 ともあれ、藤本さんからの情報は信頼できる筋のもの。またしても書店に寄った僕は新たな色合いのノートを探してみました。あまり種類はなかったけれど、目に入ったのは『camino』と記されたダークブラウンの表紙。

 A5スリムという独特の長さを持つサンプルを開いてみると、少し茶色がかった紙質。何となくピンと来たので早速購入し、帰宅して新しいノートに試し書きしてみると、

「めっちゃ書きやすいやんけ!!!!」

 思わず声が出ましたよ。スラスラと文字が書けちゃう不思議。

 はえ~すっげぇ、なんて独り言ちながら文字を埋める内に、僕は以前から日記を書こうと思いつつ、続けられなかったことを思い出しました。

 ひょっとして、この薄い茶色地のノートと激細シャープペンシルがあれば、日記帳も書けるのでは……?

 そんな思いつきは現実のものとなり、僕はしばらく日記を書き続けました。

 本当に衝撃的な出来事。日記を書けないのは自身の怠惰、或いは意思の弱さだと思っていたのです。いずれも事実ではありますが、まさか道具を変えるだけでここまで劇的に変わるとは。白いノートが苦手だと、今の今まで自覚していなかったとは……!

 何だったら小・中学生の頃からノートの色を変えていれば、その後の進学まで影響していたんじゃないかと思えましたが、それは考えても致し方ないこと。ともあれ、目から鱗が落ちまくるとはまさにこのことで、常識を疑えとはよく聞く言葉だけれど、自分が何を『常識と感じているか』なんて、こういう体験をした後で気付くものかも知れません。

 それからしばらくの間、藤本さんから文房具について質問しまくる時折カバネでした。藤本さんありがとう、ありがとう。
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