第38話 まさかの転院①

文字数 1,742文字

 職場復帰して5日。最初の月曜から金曜を終えた僕は、まさに疲労困憊・這う這うの体。

 毎朝おなじ時間の電車に乗り、会社に向かい、16時になったら退勤し、まだ明るい内に帰宅する。ただそれだけなのに疲れ切ってしまうこの身体。

 きっと慣れの問題もあると思うのですが、改めて僕は疲れやすいんだなぁと。様々な音、会話、光、景色、人の姿。それらの情報を上手くフィルタリングできない感覚過敏には、職場という環境そのものが刺激で溢れているように思えます。

 幸いやることはそれなりにあったと言うか、暇でボーっとすることはありませんでした。かといって忙しいという程でもなく、PCのアップデートや溜まった通知を消化し、合間を見つけて各フロアの人に挨拶したりして。

 それでも最初の一週間、5日目を終える頃にはかなりの疲労感。本当に仕事を振ってもらわなくて良かった……心からそう思えるほどに。

 何とか金曜の勤務を終えた僕は、尾長メンタルクリニックへと足を向けました。

 緊急での通院というわけではなく、復帰前から予定していたものです。きっと凄まじく疲れるだろうから、少し先生に話を聞いて貰おうと。我ながらいいタイミングで予約していたなと自画自賛。

「やぁ、カバネさん。職場復帰はどうでした?」
「いやぁ本当に疲れました。会社ってものすごく疲れるものですね」
「でしょう。まぁ慣れもあるだろうけど、ここでダウンしてしまう人も多いからね」
「仰るとおりです。なんの仕事もしていないんですが、けっこうキツいですね」

 そんな簡単な近況報告。
 聞いて貰うだけでも助かるというか、自分の状況を整理するのに有効な気がしました。客観的に見てどんな状態なのかを確認するためにも、アウトプットすることはとっても大切。

「とにかく慎重には慎重を期してね。ここからが本当のリハビリだから」
「そうですね。正直、不安の方が大きいですし」
「ふむ、どんな不安?」
「自分はどこまで仕事が出来るのか、どこまで能力が落ちているのか……正直、プログラミングとか出来なくなってたらどうしようとか、そんな不安がありますね」

 1年も仕事を休んで体調を整えてきたわけですが、自分の能力にとっても不安を感じていました。
 一度は壊れてしまった身体と脳ミソ、そして心。今まで当たり前に出来ていたことが、ダウンした頃みたく出来ないのではないか。判断力、思考力、決断力、集中力……実際にどこまで戻るものなのか。

 もう少し踏み込むと『自分は社会人をやっていけるのか?』という漠然とした不安が強くあったのです。

「なるほどね……まぁ、どこまで出来るのか試す、みたいなのは止めておいた方がいいよ」
「試す、ですか?」
「上限を見たってしょうがないでしょ。いま出来ることから積み上げて行く。今日はここまでやった。じゃあ明日は少しだけプラスする。そして疲労感はどうか、生活リズムはどうか、常にチェックしないと」

 なるほど、なるほど。

「もうちょっと出来るかな? で止めておくことやね。それがペースを掴むってことやから」

 全くもって仰る通りでして、これまでの僕のやり方、つまり焦りや不安を解消しようと無茶をすれば元の木阿弥。『まだ出来そうやけど止めとこ』の精神は通院中も口酸っぱく言われたものでした。

「アフターリワークも参加してくれるんかな?」
「もちろんお願いします。来週の土曜日ですね」
「そうそう。じゃあそれまで無理をしないようにね。自分が思うより更に気を付けてね」

 そんな言葉で診察終了。
 自分自身に言い聞かせてきたつもりですが、やはり先生に言われると胸に刺さる。とにかく無理をしないこと。無理を無理と自覚すること。

 病院を出ると秋の夕暮れで、ビルの合間には傾きはじめた陽射し。リワークに参加していた時よりも少し遅い時間。藤本さんが近くにいれば連絡を取ってご飯でも、なんて考えが浮かびましたが、この疲労感でそれはさすがにマズイと自重する。

 この土日はゆっくり身体を休め、また来週に備えなければ。

 次の週末はアフターリワークがあります。心理療法士の工藤さん、それにリワーク卒業者の皆さんともお話できる。それまで何とか持ち堪えていこうと心に決めて。

 尾長先生が倒れたと聞いたのは、その翌日のことでした。
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