2021/9『九月大歌舞伎 第三部 東海道四谷怪談』

文字数 3,788文字

 またまた、観ることができるとは思わなかった仁左衛門×玉三郎の「東海道四谷怪談」。鶴屋南北作では、一番知られているタイトルだと思います。私も歌舞伎に興味を持つずっと以前から、お岩さんが夫に裏切られ、毒を盛られて怖い顔の幽霊になる怪談話、という認識を持っていました。何となく話は知っているような気でいたのです。でも、今回、舞台を観て、筋書を読んで、自分が「四谷怪談」と「東海道四谷怪談」をごっちゃにしていたことにようやく気が付きました。
 「東海道四谷怪談」は、「四谷怪談」に忠臣蔵が絡まっているのですが、ストーリーもキャラも複雑で物語性が強く、見ごたえがありました。今回は全幕ではなく、始まりと終わりを外した、お岩が幽霊にならざるを得なかったくだり、一番のクライマックスを中心とした上演でした。
 忠臣蔵がどう絡むのか。今回の上演では、民谷伊右衛門とお岩の父親は塩谷家(浅野家)の元家臣で、高師直(吉良上野介)の家臣が伊右衛門たちの隣に住んでいるという設定ぐらいでした。




 舞台は、傘張りをする民谷伊右衛門(片岡仁左衛門)の姿から始まります。零落した二枚目は絵になります。この眼福な姿の伊右衛門、中身は、せこいは、意地は悪いは…。病の元主人のために、民谷家に伝わる薬を盗もうとした下男の小平を、子分を使って折檻するは、産後で体調の悪い女房のお岩(坂東玉三郎)にはモラハラ、パワハラ三昧と最低男です。芝居が始めって早々から、ひどいことしかしないのでびっくり。でも、あぁ、眼福。見た目最高、中身最低な男を色悪と言うんですね。
 そして、この姿に魅せられたのが裕福な隣家の娘。跡取り娘のお梅の恋を成就させるため、その祖父と母が画策して女房のお岩に薬と偽って毒を乳母に届けさせ、乳母は民谷家の借金の支払いまでしていきます。毒とは知らず、ありがたがって押し頂くお岩の哀れさが胸をつきます。その毒のせいで、お岩の顔は痛み出してしまいます。

 その頃、借金支払いの礼に隣家を訪れていた伊右衛門は、手厚くもてなされ、さらに娘と夫婦になって欲しいと懇願されます。ところが、伊右衛門は元塩治家の家来で、隣家は高師直の家来なのです。さすがに一旦は断ります。でも、娘がその場で自害しようとしたり、お岩に渡した薬が実は顔の面体が変わる毒だと告白されたりして、心変わりします。醜くなった女房との貧乏暮らしをあっさり捨て、裕福な隣家の婿になり、あろうことか高家に仕官しようとするんです。

 ここからが、最低男伊右衛門の本領が発揮されます。さっそく内々の祝言をということになります。なんとその日のうちにです。その前にお岩を追い出そうと帰って来た伊右衛門を待っていたのは毒薬で醜くなったお岩でした。そのお岩の前で金がいるからと、着物をはぎ取り、赤ん坊の着物も取り、蚊帳も持ち出そうとします。赤ん坊を蚊から守る蚊帳、これだけはとお岩も激しく抵抗します。蚊帳にすがりついて引きずられるお岩に、伊右衛門は、親ならおまえが蚊を追い払ってやれ、と言い捨て蹴り上げ蚊帳も持ち去ります。ひぇ~。しかし、この修羅場ですら美しく妖艶に魅せる仁左衛門、玉三郎コンビ、すごいです。この凄惨な場面で、お岩が醜い顔になっていても優雅な美しさを感じさせるからこそ、その哀れさが見る側にぐっとせまってくるんですね。そして、女を蹴ろうがどつこうが二枚目は二枚目、これも悪を際立たせます。はぁ~、すごい話です。
 さて、お岩を追い出すために伊右衛門は、さらに一計を案じます。お岩の世話をさせていた按摩を脅して、お岩と不義の仲にさせようとします。これは、お岩が按摩に刀を抜いて抵抗して未遂に終わりましたが、激しくなじられた按摩が伊右衛門の悪だくみ、不行跡を全部ばらしてしまいます。

 上演されなかった場面で、伊右衛門はお岩と自分を離縁させたお岩の父を殺し、お岩には父親の仇をとってやると言って復縁していたんです。

 仇を取ってもらうために、伊右衛門のモラハラ、パワハラ、暴力に耐えて来たのに!しかも、この時初めて自分の顔が醜くなっていることも知らされて、不幸の大波をかぶったお岩、しかし気丈に隣家にモノ申しにいこうとします。
 ここからが、玉三郎さんの見せ場です。江戸時代の女性の身支度の所作、鉄漿(おはぐろ)をつけたり、櫛で髪を梳く動作を美しく、ゆったりと時間を掛けて見せてくれました。お岩の哀しさ、苦しさが客席の私たちに浸透していきます。ところが、梳いた髪は抜け落ち、お岩をいっそう凄まじい容姿にしてしまいます。そして、お岩が隣家へ行くのを止めようとした按摩ともみ合っているうちに、さっき抜いた刀にささってお岩は死んでしまいます。あまりにむごい死に方で、茫然としました。
 当然、按摩は逃げ去ります。そこへ戻ってきた伊右衛門は、動じません。逆に好都合と、折檻のあげく押し入れに閉じ込めていた小平をひっぱりだして殺し、お岩と一緒に戸板に括り付け、心中に見せかけて川に流します。ここでの、伊右衛門はすでにお岩への情の欠片もありませんでした。南北らしい、現代から見ると猟奇的ですらありますね。
 子分も使って証拠隠滅したところに、隣家の娘が白無垢で祖父と一緒にやって来ます。二人ともここにお泊り。あれ?内々の祝言とは、既成事実を作ることなのかしら…。娘と部屋に入った伊右衛門が、よしよしと二枚目の助兵ぶりで綿帽子を取ると…、娘の顔がお岩です。驚いた伊右衛門は即座に首を切り落としてしまいます。ところが、落ちた首はまぎれもなく娘の首。伊右衛門が祖父の方に声をかけると、出て来た祖父の顔が小平でした。これもすぐに首を落とすと、元の祖父の首。お岩の怨念にやられたと悟った伊右衛門ですが、そこでも後悔も懺悔もありません。お岩のやつか…、とあっさり納得してその場から逃げ出します。お岩の怨念なら、邪魔されても仕方ないか、という自覚はあるらしい。

 次の隠亡堀の場で出て来る直助(尾上松緑)は割愛された前半で重要だった役なので、物語的には再会なのですが、私には誰?状態。筋書をチェックすると、お岩の妹お袖に横恋慕して、その夫を殺してお袖の亭主になった男でした。堀で鰻取りをしていると、伊右衛門が魚を釣りに来ます。二人は知り合いです。伊右衛門の母親も登場して、追われる伊右衛門を心配し、死んだことにしたらどうかと、土手に卒塔婆を立てて帰ります。息子に大甘な母親です。また、土手下には、隣家の母親と女中が、家を失って堀のほとりで路上生活をしています。伊右衛門を父と娘の仇と恨んでいましたが、卒塔婆を見て、仇に死なれたと嘆きます。それに気づいた伊右衛門、躊躇なく堀に蹴落として殺してしまいます。こうして、隣家全滅。これは、けっして塩谷家のお殿様の仇を打ったわけではないと思いますが、結果、塩谷家(浅野家)の元家臣が、高家(吉良家)の家臣一家を滅ぼしたことになりました。
 あいかわらず非道な伊右衛門の前に、お岩と小平の死体が括り付けられた戸板が流れてきます。ここで、有名な戸板返しがありました。最後は、生きている人の役(別役)で玉三郎さんと中村橋之助さん、伊右衛門に直助で、ゆっくり遭遇しないように動く、「だんまり」と呼ばれるシーンで終わります。夜になって暗いから近くにいてもわからない、という設定ですが、舞台は明るく、伊右衛門がかっこよく見得を切り、全員決めポーズで幕になります。
 最後はまさにカーテンコールですね。特に玉三郎さんは、やつれたお岩からの…、でしたから、最後はきれいな姿で登場してくれて嬉しいです。

 しかし、その場の自分の欲望のためにのみ生きる伊右衛門という男は、邪魔者は殺す、捨てる、それもその場の思いつきを実行するようないい加減さでした。南北の作品に出て来る悪人は、だいたいこんな感じで、最後は仇を打たれる形で死んでいきます。今回上演されなかった伊右衛門の最後も同様です。悪人に理由も語らせず、同情も引かせない。伊右衛門は、隣家に行くさいにお岩がもうお金に変えたと思っていた羽織を出してきた時に、お岩にやさしい顔を見せ、高家の家臣の家で、娘の婿にと言われる場面では躊躇します。そこは、順調な人生(お家が取り潰しにならなけでば)だったら、こんなひどい人間にはならなかったのかしら?と微かに思わせます。やはり、忠臣蔵が絡んできますね。

 この欲望以外の心情を語らない悪人を徹底的にかっこよく演じる仁左衛門さんと、不幸しかないお岩を憐れながら美しく気丈に演じる玉三郎さん。見事な対比、均衡で、唯一無二の組み合わせだと、つくづく思いました。

 今回は二回観劇しましたので、色々気づく点が多く、面白かったです。お財布には響きましたが…。

四世鶴屋南北 作
今井豊茂 補綴
四谷町伊右衛門浪宅の場
伊藤喜兵衛内の場
元の浪宅の場
  本所本所砂村隠亡堀の場

お岩/お花       坂東玉三郎 
直助権兵衛      尾上松緑
小仏小平/佐藤与茂七 中村橋之助
お梅         片岡千之助
按摩宅悦       片岡松之助
乳母おまき      中村歌女之丞
伊藤喜兵衛      片岡亀蔵
後家お弓       市村萬次郎
民谷伊右衛門     片岡仁左衛門

劇場:歌舞伎座

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み