ミリオンダラー・ベイビー (2004)

文字数 1,288文字

【いまや頑固、意固地】 2005/6/25



拝啓、
シネマを愛する友たちに / 2005年6月25日

いろんなご意見ありがとう、僕からも感想を述べます。
そうなんだよね、シネマは見る人の感性を反映できる芸術なんだ。
いろんな受け止め方が多ければ多いほど、いい作品だろうな。
それでいくと、こいつは超名作だね、間違いなく。

さて、《ミリオンダラーベイビー》に戻るけど、
クリントはアメリカの宗教タブーに挑戦していたんじゃないかと僕には思えた。
へっへっ、いつもの僕のスタンスじゃないかって、そのとおり。
僕が面白いと思ったのは主人公フランキーが毎日教会に祈りに来ては、
そして神父をからかう、その真意?
ところで、
ついこの間の大統領選で宗教派といわれたブッシュが圧勝したよね、
僕もそのとき改めて「宗教に裏打ちされたアメリカの保守性」を実感したものだ。
恐らくは、リベラル派(少数派だが)もこの点では歯が立たなかった、
敗北感一杯だったことだろう。
フランキーが保守的人間には見えないのは僕だけだろうか?
だったら、フランキーは何のために毎日教会に通ったのか??だったね。
想像だけど、
神の不在をうすうす感じながらも、
それでも生身の人間が感じるこの世の理不尽さを訴えたかったのだろう。
本来宗教はこういうシステムで成りたつものだとは思うけどね。
途中、彼の祈りが通じたように思わせて最後に、
神は酷い仕打ちをフランキーとマギーに平気で下す。

これを試練とするか裏切りと感じるか?
これも宗教のベーシックな信仰チェックシステムのひとつだよね。
最終的に彼が選択した行動は、神の教えに従わなかったのではなくて、
最後の最後で彼が神を見限ったんだと僕には思えたが、どうだろう?

フランクは神に頼ることなく、人間の尊厳に従ったんだな。
神の教えにある大罪、「殺人」と「自ら命を絶つこと」を選択した
フランクとマギーは神からの罰を受けるのかな?
わるいけど僕にはよくわからない。

一方で僕は、さほどに二人の愛が深く信頼の絆が強いことを痛烈に見せ付けられながら、
二人の愛の形が、父娘の愛なのか、男女の愛なのかも、よくわからない、
このあたり意見の分かれるところだったね。
少なくとも僕は、本シネマから、
フランキー自らの信仰心、いやアメリカ人、いや人類の信仰心に対する
痛烈な異議を嗅ぎとったわけだ。

死に臨み、「悔いない生き方が出来たか?」と自分に質問することは
いまに始まったテーマではないが、

「そこに神の思し召しがないとすればどうする?」
クリントは、これに真っ向から挑んだ
・・人の生き様に神は立ち入ることは出来ない・・・と、
それも宗教システムではマイナーポジションの女性を巻き込んで、
ジェンダーを超えた問いかけになってるね。

さすがクリントらしい気配りと揺るぎない信念だけど、
いまや頑固、意固地の領域に入ってるようで愉快だね。
マギーはそのための女性ボクサーだった・・・って気づいたかな?
今、世界は宗教戦争、十字軍再来の様相を呈しているかと思えるほど。
そんな危機感の先に見える
陽炎のような宗教の《あやうさ》が見えてきた気がしたものだ。
それでは、
      敬具
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