夕凪の街 桜の国 (2007)

文字数 955文字

【真の赦しに至るために】 2008/4/6



桜満開の今宵に、こんなに素晴らしいシネマを観る幸せ、
僕はこの桜の国に生きている。
シネマの質にはまったく文句などない。
だが、
強烈な、ダイレクトな挑戦的メッセージに僕は圧倒される。

戦後63年を経てようやく僕は何かの啓示を受けたのだろうか?
シネマは広島発のメッセージの形をとっているが、
サブタイトルにもことさら強調されているように、
世界にあまねく、時間軸を超越して訴えかけられる。
かの人たちは戦争で死んでいったのではなく殺されたのだ・・・・
その恨みの視点に僕の思考は裏サイドを突破される。

「なにをいまさら平和ボケなことを!」と怒りの声を浴びそうだが、
団塊の世代とは戦争の罪悪について完璧なリセット操作された集団であり、
その白紙状態からの書き込みのベースは「平和、生命の尊さ」だった。
慰霊碑にある「・・・過ちは繰り返しませぬ・・・」の誓詞に
疑問を持つことがなかったのは
本シネマで主張される「殺された人々」の怨念すら浄化させ、
赦しの概念のその先に平和を念じた、博愛の発露だった・・・いや皮肉などではない。

本シネマ前半の主人公「みなみ」の静かな告白にこめられる熱い想い、
「必要ではない生命」、このキーワードにこめられた悔しさに僕は今頃覚醒する。
被害者を国家単位で論ずる空疎な平和論の筋違いに気づく。
すくなくとも日本人の役目は、
一人ひとりの被害者の恨みを世界の一人ひとりに、
時間枠を取り外して伝えていくことだ。

同様に、
「戦争はいけない」、「戦争の責任は何処に」の安直な考察が
効力を持たなかったことを、
この63年間繰り返し見てきている事実も素直に受け止めよう。
実はこの想い、敗戦国の愚痴、繰言である。

現代世界情勢図の中で日本国の地位を組み替えない限り、
敗戦国の恨みは表舞台に上がることはできない。
大勢の「みなみ」にしてあげれることは、
「みなみ」を伝え、継いでいくこと、決して忘れないことだ。
長い人類の歴史では「広島の殺人」は一瞬に過ぎないが、
無為にその罪を問うことのなかった63年間も短い時の流れ。

この罪が正しく問い直される日が必ず来ることを信じて、
「みなみたちに原爆が落とされた」事実を継承していかなければ、
人類は真の赦しに至ることもないだろう。
63年目の強烈なカンフル注射だった。

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