ザ・カー (1977)
文字数 442文字
【最後のオカルト】 1978/4/7
「エクソシスト(1973)」から始まったオカルト系列シネマ、無人車が人を襲い殺すという恐怖がモチーフである。
車のフロント面が人の顔のように作られているところは製作者の知恵とはいえ愛嬌ものだったし、車内からの視野がセピア色だったりで、色々な工夫が偲ばれてそれなりに怖くなるのではあるが、最も肝心な車のアクションが安直、コマ落とし見え見えの体たらくだった。
そもそもで言えば、なぜ車が殺意を持つまでに至ったかの説明がされていない、何者かの怨念が乗り移ったらしきことは想像できるが、不可解なままではせっかくの恐怖も半減した。一歩譲って、人知及ばぬのがオカルトだとすればオカルトの命運も尽きた。
オカルトには頼りになる悪魔祓い英雄が必須である、本作ではクラーク・ゲーブルそっくりのジェームス・ブローリングがその大役を担う。
緻密さに欠ける物語の中で、彼の地なのか、ユーモラスなくらい頼りないのがかえってリアルだったのが唯一印象に残った。
(記:1978年4月7日)
「エクソシスト(1973)」から始まったオカルト系列シネマ、無人車が人を襲い殺すという恐怖がモチーフである。
車のフロント面が人の顔のように作られているところは製作者の知恵とはいえ愛嬌ものだったし、車内からの視野がセピア色だったりで、色々な工夫が偲ばれてそれなりに怖くなるのではあるが、最も肝心な車のアクションが安直、コマ落とし見え見えの体たらくだった。
そもそもで言えば、なぜ車が殺意を持つまでに至ったかの説明がされていない、何者かの怨念が乗り移ったらしきことは想像できるが、不可解なままではせっかくの恐怖も半減した。一歩譲って、人知及ばぬのがオカルトだとすればオカルトの命運も尽きた。
オカルトには頼りになる悪魔祓い英雄が必須である、本作ではクラーク・ゲーブルそっくりのジェームス・ブローリングがその大役を担う。
緻密さに欠ける物語の中で、彼の地なのか、ユーモラスなくらい頼りないのがかえってリアルだったのが唯一印象に残った。
(記:1978年4月7日)