(五) ユラの大先輩

文字数 1,965文字

 部屋の中は、壁にやたらと大きな祭壇が置いてある以外は、特に何もなかった。
 全員が入るのを確認すると、おばあさんはそっと襖を閉めて、適当な場所に私たちを座らせた。

「ほれ、詳しく話してみい」

 言われた通り、さっきよりも詳しく今までの経緯や桜良の状況を、順を追って説明する。
 おばあさんはわたしたちに向かい合って正座すると、まるで眠っているかのようにじっと動かず、目を閉じて私の話を聞いていた。

 やがて話し終えると、おばあさんはおもむろに目を開け、その子の写真はないか、と尋ねた。
 鞄を開けると、さっき紅葉さんから借りた一枚の写真を取り出して、そっと手渡す。

 そのまま二分程過ぎた。

 おばあさんは、写真の桜良の顔だけをただじっと見つめている。
 正座に慣れていないため、段々と足の痺れを感じ始めてきた丁度その時、おばあさんはのっそりと立ち上がった。

 そして、祭壇のそばまで向かうと、そっと手を合わせる。
 そのままじっとしていたかと思いきや、突然何かを呟き始めた。

 その声は次第に大きくなり、はっきり聞き取れるようになったものの、何を言っているのかはさっぱりわからなかった。


 聞こえてくる言葉は、最初のうちは何かの呪文のようだった。
 しかし、段々とそれにメロディーのようなものが付いて、それに抑揚の変化や独特の震えも組み合わさる。

 そして、しまいには一つの歌となって私の耳に届いてきた。

 おばあさんの歌声は、先程のしゃがれ声とは違いとても凛としていて、思わず聞き惚れてしまうものだった。

 そのまま十分ほど、ずっと歌っていただろうか。
 おばあさんの独唱は、一切息が切れたり弱くなったりすることのないまま、突如終了した。

 茫然としている私たちをよそに、そっと元の場所に腰を下ろすと静かに語り始める。

「お主たちは、先程ユラについて知っているかと問うてきたな。無論、知っておるとも。なぜなら、わしもユラだからじゃ。ユラというのはいわば神の代弁者であり、神のお言葉をもとに、現実の世で人々を悩みや迷いから救う者のこと。そして、時には神に頼らず、自身も生き神として人々に寄り添い、正しい方へと導くこともある。
 その娘はわしと同様、ユラとしての天命を受けてこの世に生まれてきた。そして、今最大の試練に立ち向かわんとしているのじゃ」

 一体、何を言っているのかよくわからなかった。

 桜良が、神の代弁者?
 生き神様?

 だめだ。とても現実の世界の話には思えない。
 神様が出てくるなんて、ファンタジーの中だけで十分だ。

 依然として困惑し続ける私に、おばあさんは初めて小さく笑みを浮かべると、ゆっくり語り掛けてきた。

「案の定、信じられん、という顔をしておるな。じゃが、無理もなかろう。今の若いもんは、機械を持ち歩いて、機械に囲まれて生きておる。そんな世でこんな話をしても、とても現の話には思えんじゃろな。でも、嬢ちゃんたち。いい機会だから聞いていきなされ。
 文明開化の遥か前より、この島には幾つもの神がおって、皆をそっと守ってこられたんじゃ。時に争いを鎮められ、時には天災の害を最小限にし、やがて皆が幸せに暮らせるよう、陰ながら努める。生まれてきた子には、恵みとこれから先の眩い未来をお与えになり、死にゆく者には、安らかな眠りと次なる世へのお導きを下さる。そうやって、昔から島の人々や、無論お主たちも、神に守られて生きてきたんじゃよ。そのことを、死ぬまで決して忘れてはならぬ。
 それに、わしにはわかるぞ。お主たちはきっと今までの間、この娘やその神に度々助けてもらったんじゃろ。悩み事をうまく吐き出せたのも、さほど重大な問題も起きずに各々やりたいことをやれているのも、よくよく考えてみれば奇妙だとは思わんかえ?」

 そう言われて、思わず斜め後ろを振り返る。
 みんなそれぞれ、納得したような、全然わからないような、そんな微妙な顔をしていた。

 再び視線を戻すと、私は真っすぐおばあさんを見据えて言った。

「……まだ完全には信じられませんが、桜良が仮にそのユラだとして、では試練とは、『神障り』とは、一体何なのでしょうか?」

 おばあさんは、祭壇の方をちらっと見ると、再び口を開いた。

「うむ。その言葉は既に聞いておるのか。では、まず神障りの話をする前に、その娘にとっての『神』について話そうか。きっとその方が、お主たちにとっても後々よいじゃろう。
 今からわしがする話は、先程わしの主の神から伝え聞いた、ある島の神についての物語じゃ。あくまで伝聞じゃから、いくらかは事実と違ったり、わしの主観が入ったりするやもしれん。それでも良ければ、聞きなされ」

 そして、おばあさんは私たちに、ある不思議な物語を話し始めた。
 誰かが唾をごくりと飲む音が、静寂の中でとてもはっきりと聞こえてきた。
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登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

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