(2) 期待の後輩

文字数 1,515文字

「……ええっと。わたし、合唱とかアカペラの曲が好きなんですけど、今日聴いてて、なんか凄く、楽しい気持ちになれました。
 練習の余地はまだあると思いますけど、でもそれを感じさせないような、なんだかわくわくするような、そんなものを強く感じました」

 そして数秒後、急に慌て出したかと思うと、膝に顔が付くくらい深く頭を下げた。

「……あ、ご、ごめんなさい。練習の余地がある、とか、とても生意気なこと言ってしまって。そんなつもりじゃなかったんです。
 でも、それだけ応援したくなったというか、なんというか……。あ、また、ごめんなさい!」

 何度も謝り過ぎて目に涙を浮かべているその子に再び顔を上げさせると、震えている頭をそっと優しく撫でてみる。
 驚いたように、二つの瞳がじっと見つめてきた。

「ありがとね、そんな風に言ってくれて。応援してくれるって、とてもありがたいことだし、わたしたちも始めたばっかりだから、これからまだまだ頑張らなきゃいけないもん。だから、全然気にしなくていいよ」

「そうそう。今日も桜良は、ちょっと音を間違ったもんね。まだまだ頑張らないと」

 横から早百合が珍しく茶々を入れてくる。
 周りの視線に堪えられなくなってきて、思わず言い返した。

「だってさ、主旋律ならともかく、ハモりの部分が難しいんだもん。どうしてもそこの出だしが他のパートと混ざってずれちゃうんだよ」

 すると、女の子がおずおずと口を開いた。

「あの、その音って、もしかして『アー』じゃないですか? 和音の構成から考えてみて」

 その瞬間、わたしたちは再度お互いの顔を見合わる。
 早百合が驚きを隠さず言った。

「え、よくわかったね。しかも、音も正確に合ってるし」

 その子は、またもやってしまったとばかりに俯くと、頬を赤らめながらぼそぼそ呟いた。

「え、ええと。わたし、実は音感を持ってるんです。何ていうか、音のずれとか、ピッチの高さとか、全部わかってしまうんです」

 早百合は急いでカバンからスマホを取り出し、ピアノのアプリを開くと試しに一つの音を出してみた。
 その子は間髪入れずに答える。

「ソの、フラットですか?」

 続いて二つの音を同時に出す。
 彼女はまたしても即答した。

 早百合が、参りましたと言わんばかりに無言で頷く。

「……すごい、すごいよ!」

 美樹が女の子の手を取る。
 わたしも思わず羨望の眼差しで尋ねた。

「ねえ、きみの名前、教えてもらってもいい? 何年生なのかな?」

 その子は少しだけ黙ってから、小さな声で名乗る。

稲森(いなもり)(こずえ)です。三月に中学を卒業して、四月から、北平高校に通います」

「早百合! 後輩だよ、良かったね」

 まるで自分のことのように嬉しくなってきて、早百合の方を見る。
 わたしみたいにわかりやすく顔には出さないけど、やはりどこか喜んでいるようにみえた。

「ねえねえ、梢ちゃん。良かったら、わたしたちと一緒に歌おうよ。梢ちゃんがいたらすごく心強いなあ」

「賛成! よろしくね、こずちゃん!」

 勝手にハイタッチして盛り上がるわたしと美樹。
 その横で、早百合と野薔薇はヤレヤレと呆れたような顔をしている。

 しばらくして梢ちゃんは、わたしたちに深々と頭を下げた。
 次にくる言葉は、よろしくお願いします、だと勝手に確信していた。

 でも。

「ごめんなさい」

 ピタッと動きを止めるわたしたち。
 一瞬にして、沈黙が辺り一面に広がる。

「……わたし、これからも先輩たちのこと、応援してます。でも、一緒に歌うことはできません。本当にごめんなさい」

 梢ちゃんは申し訳なさそうにそう伝えると、そのまま走って店の外に出て行く。
 彼女が去った後、わたしたちも含め、店中のみんながしばらく動けずにいた。
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登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

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