(8) 『Bleθ』ファーストコンサート!
文字数 2,017文字
それは島の北側にあるホールを借りて、春にブレスのファーストコンサートを行うことだった。
胸を張って言いだしたものの、初めの頃は会場との交渉や様々な手配などが大変そうだなと思ってずっと不安だった。
でも、ビギナーズラックなのか、それともナナ様の暗躍なのかはわからないけど、さほど大きな問題も起こらないまま着々と準備は進められた。
そして、賛同してくれる人たちも多かった。
ホールの方も、ご厚意で色々と相談に乗って下さったし、紅葉ちゃんを始め、クラスのみんながボランティアで裏方として協力してくれることになった。
とはいっても、今年度内の開催となれば時間はあまりない。
限られた日数で、わたしたちは精一杯練習に打ち込んだ。
早百合はあれから菫さんの話を断り、引き続きブレスの活動に専念してくれている。
聞いたところによると、菫さんは怒るどころか、精一杯そっちを頑張ってきなさいと激励し、コンサート当日も、可能なら島まで観に来てくれるそうだ。
その早百合はといえば、コンサートのことを提案した次の週、彼女が突如として出した意見には、みんな驚かされた。
なんと、あれほど反対していたオリジナルソングを作ろう、と自ら言い出したのだ。
特に驚いて口が半開きのまま戻らない椿と美樹に対し、彼女は申し訳なさそうに言った。
「実はね、流石にコンテストは無理だと思っていたけど、正直オリジナルソング自体には、ずっと興味があったんだ。それで、コンサートの話が出て、いくつかメロディーを考えていたら、止まらなくなっちゃって。
それで気づいたら、何十個かフレーズができちゃってました」
そして早百合が鞄から出した紙には、五線譜の上に無数の音符がひしめいていた。
誰か歌詞を作ってくれたら、フレーズをうまく組み合わせて曲にする。
そう彼女が告げると、その場にいた全員の目がぎらりと光った。
それから一週間が経ち、(早百合も含めた)各々が自信作を何遍もしたためて現れた。
もちろんわたしも毎晩考えていたから、常に寝不足状態だ。
集まった歌詞を吟味し、選んだりメロディーと組み合わせたりしていくうちに、歌詞付きの曲が五つもでき上がってしまった。
その多さに提案者の早百合は深くため息を零すと、黙々と編曲作業に入っていった。
やがて、会場や日程など、基本的な段取りがほぼ仕上がった。
まず、会場は費用や集客見込みを考慮し、一番小さな多目的ホールになった。
メインの大ホールにはだいぶ劣るものの、小さいながらステージや音響機材もあり、身の丈を考えれば全く問題ない。
次に、日程は三月最後の日曜日、お昼の二時に決まった。
丁度春休み期間中のため、関係者全員にとって都合が良かった。
なお、費用については、高校生主催のコンサートである以上、お客さんから料金を頂いたりすることはできなかった。
しかし、どこから噂を聞いたのか、地元のラジオ局がわたしたちの活動に興味を持って、取材する代わりにほぼ全面的に資金援助をして下さった。
非常にありがたく思う反面、今度こそ何が何でも絶対に成功させなきゃ、と改めて身を引き締めた。
練習の合間には、チラシを作って各自宣伝もした。
南山町では毎週の床屋コンサートの甲斐もあって、元から知名度が高かった。
北平町はそれほどではなかったものの、早百合たちが色々と頑張ってくれたみたいだ。
そして、やっぱり全国規模のコンテストで、強豪たちに交じって予選を突破したのが大きかったのだろう。
コンサート当日、開演前に袖口の窓から少しだけ客席を覗くと、予想をはるかに上回る数のお客さんが座って待ってくれていた。
その中にはわたしたちの家族の他に管理人さんや神社で会った女性、そしてユラのおばあちゃんの姿もあった。
コンサートで披露する曲数は、全部で十曲もある。
今までの演奏会の中では、もちろん最多だ。
その内訳は、五曲が今までやってきたカバー曲、後の残りが新しく作ったわたしたちだけのオリジナルソングとなっている。
それらをバランスよく交互に配置することで、最後まで楽しんでもらえるようなコンサートになればという思いを、プログラム上に表現した。
曲の合間には、自己紹介や軽いトークも交ぜようと思っているので、終了まである程度の時間にはなるだろう。
袖から一旦控室に戻って、精神統一をしながら今までのことを考える。
二人でのスタートから、練習場所を決め、仲間を増やして、演奏を重ねて、それ以外の活動もして、コンテストに出て、喧嘩して、仲直りして、それからずっとこの日のために、日夜準備をして練習した。
わざわざ部室から慎重に運んできたジグソーパズルの写真を一瞥し、新たな気持ちで再び袖の方まで向かう。
ボランティアのみんなも交えて、一か所に集まる。
そして、お客さんに聞こえないよう小さな声で、わたしはみんなに精一杯感謝の言葉を伝えた。