(6) 最後のチャンス

文字数 1,314文字

 やがて応急処置が済み、女性は安心した様子でわたしたち全員を見回すと、深々とお辞儀してから穏やかな声で言った。

「本当にありがとうございました。何とお礼を申し上げたらいいやら」

「いえこちらこそ。念の為病院には早いうちに行って下さいね。何かあってからでは遅いので」

 椿が、物腰やわらかく接する。
 女性はお腹をさすりながら、おもむろに呟いた。

「そうね、そうします。折角宿ってくれた命だもの。最後のチャンスを絶対無駄にはしないわ」

「最後のチャンス?」

 美樹が不思議そうに尋ねる。
 妊婦さんはさすっている手を止めると、ゆっくりと顔を上げた。

「そう。私は過去に二回流産をしているの。もうダメかなと思っていたんだけど、でもこうして神様が再びチャンスをくれた。
 だから、絶対にこの子を産んでみせる。そう決めたの」

「すごい!」

 美樹が咄嗟に叫ぶ。
 先を越されたものの、わたしも同じ気持ちだった。

 椿がその場にそっとしゃがみ込むと、大きなお腹に向けてそっと囁いた。

「それなら、尚更気をつけないと。この子が元気にこの世に生まれてくるかどうかは、お母さんにかかっているんだから」

「はい、気をつけます」

 妊婦さんは反省したように、ぺこりと頭を下げた。

 いえいえ、と小さく礼をすると、椿は立ち上がって手を二回ゆっくりと打ち、おもむろに目を閉じる。
 そのまま何秒か祈った後で、妊婦さんに優しく声をかけた。

「神様は、きっと見守ってくれます。それを信じて、頑張って下さいね」

「なんか、本物の巫女みたいだな」

 後ろから、野薔薇が茶々を入れる。
 それを聞くなり、むきになって椿は叫んだ。

「みたい、じゃなくて、本物です!」

 どこからか笑い声が聞こえてくる。
 わたしたちの笑顔に包まれて、気づけば妊婦さんもクスクス笑っていた。

 やがて、彼女はタクシーを呼んで帰っていった。
 乗り込む時、運転手に指示した場所は、近くの産婦人科だった。


 知らないうちに、空は夕焼け色に染まっていた。

 薄暗くなった境内で、わたしたちはそれぞれ好きな飲み物を飲みながら談笑する。
 ここでふと思い立って、みんなに提案してみた。

「はいはい! 今日会った妊婦さんに、何か力になれるようなことがしたいです!」

「力になれること、か……」

 みんなはじっと互いを見つめ合う。
 やがて、早百合をスタートに、何人かが呟き出した。

「私たちができる、力になれることって……」

「そりゃやっぱり……」

「歌、かな」

最後に出た意見に、わたしは笑顔で同意する。

「そう! わたしたちの演奏を、プレゼントしてあげようよ。きっと喜んでくれるよ」

 他のみんなも、やがて全員が頷いてくれた。
 でも、問題は……。

「どうやって伝えようか」

 野薔薇の言う通りだった。

 女性は去り際に、現在産婦人科に入院していると言っていた。
 病院で歌うことが、果たしてできるのだろうか。

 しばらく悩んでいると、梢が小さな声で提案した。

「明日、病院に相談してみましょう。もしかしたらうまくいくかもしれないので」

 梢の声はいつものように小さいながら、なぜか自信に満ちた口調だったから、わたしたちは彼女に従うことにした。
 遠くの方で、カラスが切なく鳴き声を上げた。
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登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

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