(1) 思わぬ来訪者
文字数 2,422文字
病室の中は、何もすることがなくて退屈だ。
でも、そう考え始めていること自体、既に人生において退屈なんじゃないか。
そんなわけの分からないことを考えながら、ただ無為な入院生活を送っている。
お父さん以外、基本的に面会には誰も来ない。
鎌倉なんだから、そりゃ当たり前か。
早百合たちは、先に島に帰ったみたいだ。
わたしもそれを望んでいたから、別に寂しさなんてない。
でも、胸の奥の痛みは未だにしつこく残っていた。
そろそろ、大晦日になる。
生憎時期が悪く、退院は年が明けてからになるらしい。
思えば、島でない場所で年を越すのは生まれて初めてだ。
去年までは家族でテレビを観ながらお祭りみたいな気分で新年を迎えていたけれど、今年はそれもできない。
みんなバラバラな所にいるし、そもそもお母さんは未だに目を覚ましていない。
こんなことになるだなんて、去年の今頃の自分は想像できただろうか。
少し暗い気分になってしまい、気を紛らわそうと身体を起こしてみる。
軽く腕を伸ばし、身体をほぐしていた丁度その時、ナースコールで面会依頼を伝えられた。
お父さんに今の間抜けな顔を見られるのは、思春期の自分にとってはかなり恥ずかしい。
慌てて顔を軽く叩き周りを整えていると、軽いノックの後に意外な人が入ってきた。
「……シオリさん!」
その女性は、かつて鹿児島のバーで出会った『ハミングバード』のリードボーカル・シオリさんだった。
彼女たちの演奏を聴いて、わたしたちもアカペラバンドを結成した。
それ以来だから、もう半年ぶりになる。
シオリさんは颯爽とベッドまで近づくと、お見舞いだよ、と言って高そうなクッキーをくれた。
香ばしそうな匂いに思わず顔を綻ばせていると、心配そうな顔で尋ねられた。
「ねえ、ほんと、大丈夫? 驚いたよ、客席で演奏聴いてたら、突然倒れちゃったからさ」
「……え。シオリさん、会場にいたんですか?」
思わず聞き返すと、シオリさんは少しだけ意外そうな顔をしてから答えた。
「そうだよ。特別ゲストでね。昔、あのコンテストで優勝したから、デビューの記念に一回歌ってくれって頼まれて。チラシ、見てないの?」
そうだったっけ、と思いながらも、無理やり自分を納得させる。
近くの椅子に腰かけて長い脚を組むと、シオリさんは残念そうに眉を下げた。
「にしても、惜しかったねー。一応予選から全部観てたけど、君たち、なかなかレベル高かったよ。初めてだから正直優勝は厳しいにしても、何かしらの賞には引っかかるんじゃないか、って思うくらいにさ。
だから、次は体力つけて頑張りなよ。メンバーみんなで応援してるからさ」
そうして明るい笑顔を見せるシオリさんに、わたしは暗い顔をして俯く。
「……ねえ、どうしたの? みんなと何かあった?」
何も答えないわたしを、シオリさんはしばらくただ黙って見ていた。
けれど、やがてゆっくりと言葉を選びながら呟き始めた。
「うーん。何て言ってあげたらいいのか、わかんないんだけど。私はやっぱり、桜良ちゃんやみんなには、一緒にアカペラを続けてほしいと思う。嬉しかったんだ。私たちの演奏に影響を受けてアカペラを始めた後輩たちが、コンテストで活躍してくれたのが。
特に、梢ちゃん。あの子は本当に見違えるほど立派になった。おどおどした感じが、全然ないの。きっと、周りのメンバーに恵まれたんだよね。ステージの彼女は、一人の可愛いシンガーだったよ。
だから、できればこれからも頑張って、コンテストや演奏の回数を重ねて、そしていつか私たちと一緒に演奏しようよ。いつまでも、待ってるからさ」
そう訴え掛けるシオリさんの声には、普段の大人びたものではなく、まるで、一緒に遊ぼう、と無邪気に誘ってくる子供のようなあどけなさがあった。
対しわたしは、はい、とも、いいえ、とも答えられないまま、ありがとうございます、と小さく礼をする。
シオリさんは少し寂しそうな様子で静かに手を振ると、やがて病室を去っていった。
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年が明け、島に帰る日になった。
帰りの機内で、数日前のシオリさんの言葉を脳内でリピートさせる。
わたしだって歌うことが好きで、みんなと一緒に演奏するのはもっと大好きだ。
できることなら、ずっと何年も、何十年だってみんなで歌っていたい。
でも、わたしにはもうできない。
周りを不幸にしてばかりのわたしは、みんなのそばにいることは『絶対に許されない』んだ。
きっと、そのことをしっかり伝えれば、早百合たちもわかってくれるはず。
そう信じ、到着までの間少しだけ寝ることにした。
しばらくしてお父さんに起こされ、飛行機を出る。
島の気候は、鎌倉よりもだいぶ暖かかった。
同じ日本なのに、こんなにも違うのか。
そう考えだすと、つい笑ってしまう。
少しだけ気分が戻ってきて、わたしはいくらか早歩きで、出入口まで向かった。
建物の外に出て新鮮な空気を吸っていると、遠くの方から長い髪の女の子がこちらまで近づいてきた。
初めはよくわからなかったけれど、その子は駆け足でどんどん距離を縮めていく。
やがて顔を確認できるほど近くなり、わたしは思わずその名前を口にした。
「早百合?」
わたしの目の前まで一気に駆け寄ると、早百合は間髪入れずに早口で言った。
「……明日の朝、七時に、福祉館前の海辺まで来て。絶対、だよ!」
そう伝え終えると、そのまま何事もなかったかのように振り返って、元来た道を帰っていく。
段々小さくなっていく後ろ姿を茫然と眺めながら、今時ラインも使わず、直接わざわざ空港まで伝えに来てくれた早百合の望みを無碍にできないな、と思った。
少しの間、そのままで強い向かい風を身体全体に浴びる。
そして、お手洗いからお父さんが戻ってくると、一緒に車で家まで帰った。