(4) 歌うバスケ少女

文字数 2,098文字

 一体なんだろう。

 音のする方に足を向けると、やがて校舎の裏手にある小さな原っぱに辿り着いた。
 原っぱの隅には柱がひどく錆びついた、バスケットボールのゴールが置かれている。

 そのそばで、一人の女子生徒がドリブルシュートの練習をしていた。

 弾くボールのリズムに合わせ、後ろにまとめた長い髪が激しく揺れている。
 人気のない場所で一心不乱に汗を流すその姿に、つい目を奪われてしまう。

 しかし、それ以上にその子には強く惹かれるものがあった。
 それは、あれだけ激しく運動しながら一切息を切らすことなく、明るく澄んだ高い声で歌を口ずさんでいたことだ。

 か細く息が混じりながらも、ボールの重低音にかき消されない程に芯の通ったその歌声は、何となくいつまでも聴いていたい、と感じさせるものだった。

 しばらく校舎の端に隠れ、練習の様子を眺める。
 やがて、その子の手から放たれたボールが綺麗に弧を描きながら、籠の中へと綺麗に収まった。

 鮮やかなシュートに思わず、おおっ、と声を出すと、その子の目がきょろきょろと声の出所を探し始めた。
 しまった、と頭を掻きながら、のそのそと物陰から顔を出す。

「ゴメンね。練習の邪魔しちゃって。ちょっと珍しかったから、こっそり覗いちゃった」

 女の子は傍に落ちているボールを素早く拾うと、わたしのすぐ目の前まで勢いよく駆け寄ってきた。
 その距離の近さと勢いに、思わず二歩くらい後ずさってしまう。

「ちは! 見ない顔っすね。別に暇潰しでやってたんで、全然いいっすよ。そんでそろそろ飽きてきちゃって、もうやめよっかな、って思ってたところっす」

 女の子は、明るくそう言ってニシシと笑った。

 バスケ部の自主練? と何も考えずに尋ねると、その子は大げさにがっくり肩を落とし、呆れたように言った。

「……きみ、知らないの? バスケ部は、何年か前に廃部になったんだって。ま、うちも入学した後でそれ知ったから、結局どこも入んないで、たまに気が向いた時だけここで練習してるんだ。ここ、滅多に人来ないから、好きなだけ遊んで帰れるし」

 そう言われて気付いたけど、確かに制服姿でスカートの下にジャージを履いていれば、真面目な練習とかではまずないか……。

 それから女の子は、突然何か閃いた顔をすると、ニコニコしながらボールをこちらに渡してきた。

「折角だからさ、1オン1、やろうよ。一人でしてても、全然つまんないからさ。うちに捕られないように、シュートを入れてみてよ」

「えぇ? でもわたし、バスケそんなにうまくなくて……」

「それじゃ、十五秒以内にうちがボールを奪えなかった場合も、きみの勝ちでいいよ。ならいいでしょ」

「うーん。だったら、やってみようかな」

「おっけー。そしたら、あそこからスタートね。うちはこの辺くらいでいいかな」

 そうしてその子が立った場所は、わたしの位置からだいぶ離れた、ゴールの真下らへんだった。
 1オン1って、こんなゲームだったっけ? と思いながら、ドリブルしようとボールを手から離した瞬間。

 前から突風が駆け抜けたかと思うと、気づいた時にはボールはもう手元に無かった。
 すぐ後ろから、得意げに声が投げ掛けられる。

「よーし、次はうちが攻めね!」

 そして彼女は、先ほどとは比べ物にならないくらいのスピードでボールを弾くと、あっという間にゴールに近づいてタイミングよくボールを放った。
 空に真上に打ち上がったボールは、やがて籠の中に綺麗に収まっていく。

 ただその様を呆然と眺めるわたしに、女の子は意気揚々と近づくと、「ちょっと本気出しすぎちゃった。ゴメンね」と言ってペロッと舌を出した。

 なぜかそれで無駄に闘志に火が付いてしまって、「もう一回!」と強くお願いするも、結局それから何回やったところで一度も勝てなかった。
 疲れ果ててその場にしゃがみ込むと、まるで疲れを感じていない様子で「予備で持ってきたやつだけど、いる?」と小さめのタオルを差し出してくれた。

 離れたところでじっと身体を癒している間にも、その子は一人でドリブルシュートの練習を続けている。
 一体あの小柄な身体のどこにそんなバイタリティがあるんだろう、と思いながら見ていると、やがて再び同じ歌を口ずさみ始めた。

 最初は何かわからなかったけど、改めてよく聞いてみるとどこかで耳にしたことのあるメロディーだ。
 少し考えてからその子に大声で聞いてみる。

「それってさ、『きみ恋』のドラマの主題歌でしょ? わたしもそれ好きなんだ!」

 すると、女の子は突然動きがぎこちなくなって、投げようとしたボールを地面に落としてしまう。
 そして、少しだけ頬を赤くしながら、わたしの方に向き直った。

「……うーん、まあそうだね。うちも、好きなんだ。ははは」

 それから弱弱しくうつむくと、なぜか私に向かって謝りだした。

「ゴメンね、超聞き苦しかったよね」

「えぇっ、とんでもないよ! 確かに、バスケしながら歌ってるのは不思議だなぁ、って何となく気になってたけど、でも綺麗な歌声だなって思ったよ」

 女の子はそれでも腑に落ちなそうにしていたけど、やがてもう一度ぺこりと頭を下げた。
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登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

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