(10) 好きなだけじゃ

文字数 1,484文字

 月曜日の朝。

 今日もまた、飼育委員の仕事をさっさと片付けて、始業のチャイムまで余裕を持って歩く。
 すると、途中の渡り廊下で、美樹ちゃんとすれ違った。

 咄嗟に声を掛けると、彼女は少しだけ顔を引きつらせたものの、笑顔で会釈してくれた。
 そのまま向こうへ行こうとしていたところを、思い切って呼び止める。

「待って。ちょっとだけお話ししない?」

 少しだけ考えてから無言で頷く美樹ちゃんを、階段のそばまで誘い込む。

「ねえ、おとといはあんなことになっちゃって本当にゴメンね。悪気はなかったの。そりゃ、いつか一緒に歌えたらなって思ってたのは本当のことだけど、それ以上にわたしは美樹ちゃんたちと友達になりたかったんだ。普通に仲良くお喋りして、仲良く遊べる関係。その延長でもし歌にも興味を持ってくれたらな、って思ってたの。でも、イヤだったらもう無理に誘ったりなんて絶対しない。だからさ、よければまた仲良くしてくれないかな?」

 美樹ちゃんはわたしの話をじっと黙って聞いてから、小さく口を開いた。

「ううん、いいよ。うちも、桜良ちゃんたちとは仲良くなりたい、って思ってる。今だって、それは全然変わらない。それに……。うち、本当は歌うのだって、好きだし、やってみたいんだ」

「え? それじゃ、どうして……」

 美樹ちゃんは急にわたしに背を向け、か細い声でゆっくり呟く。

「……確かに、歌は大好き。でも、好きなだけじゃ、どうしようもないことだって、あるんだよ。うちは、もう自信を持って歌えないの。だから、その一緒に、だなんてできるわけないよ」

 そしてその場を取り繕うように静かに手を振ると、教室の方へ走っていく。
 依然あのもやが小さな身体の周りを覆っていた。


 放課後になり教室を出ようとしていると、紅葉ちゃんが早歩きで駆け寄ってきた。

「おーい、桜良。隣のクラスからお客さんだぞー」

 その指さす方にいたのは、釣り目で整った顔立ちの、背の高い女の子だった。
 あまり見ない顔だったので恐る恐る近づいてみると、その子は無言のままで中庭の方へとわたしを連れ出した。

 やがて校舎の陰で立ち止まると、その子は唐突に頭を下げてきた。

「……この間はすまなかった。昔から短気な性格だから、つい頭に血が上って、あんな態度を取ってしまった。この通り、許してくれ」

 突然の謝罪に一瞬戸惑うも、その後上がった顔をよくよく見てみると、だんだんうっすらと見たことがあるような気がしてきた。

「……もしかして、野薔薇ちゃん?」

「おいおい。一体誰だと思ってたんだよ」

「ごめん、ごめん。お化粧してなくて、髪型も違っていたから気づかなかった」

「あー。……まあ、あれはプライベートの格好だから。学校でやったら即停学になるよ」

 そう言って、野薔薇ちゃんはふっと微笑む。
 この間と比べだいぶ見た目も柔らかくなって、いくらか緊張がほぐれた。

「それで、どうしたの? こんな所まで」

 野薔薇ちゃんは、急に真剣な表情になると、わたしから視線を逸らし校舎の窓辺りを眺めながら言った。

「用件は、美樹についてのことだ。あいつ、普段は馬鹿が付くくらい元気なのに、朝からずっと萎れてたから。それで問い詰めたら、朝、アンタと少し話した、って言われた。てっきりまたしつこく勧誘されたのかと思って急いで教室を飛び出そうとしたら、あいつ、強い口調で『違う』って否定したんだ。で、ひとまず話を聞くことにしたわけ」

 それから、野薔薇ちゃんは遠くを眺めながら、美樹ちゃんのしたという話を聞かせてくれた。
 グラウンドの喧騒から離れたせいか、中庭のここだけ不意に時間が止まった気がした。
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登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

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