(8) 祝福

文字数 1,943文字

 手術室のランプが、真っ赤に点灯している。
 その紅色をじっと眺めていると、どうしても目の前がぼやけて滲んでしまう。

 あれからどのくらい時間が経ったのか、もうわからない。
 演奏の時昂った感情は、既に跡形もなくどこかへと消え去ってしまった。

 医学知識も何もない、無力なわたしたちに今できるのは、ただひたすら手を組んで祈ることだけだった。

 突然、傍らで梢が泣きながら自分を責め始める。

「……わたし、わたしのせいだ。ミニコンサートをしたい、なんて病院に言わなければ。ロビーで、歌わなければよかったんだ!」

 言い終わらないうちに、誰かが彼女の胸倉を掴む。
 瞼を拭いて見上げると、椿だった。

「馬鹿か! 梢だけのせいなわけないでしょ。これは、みんなで決めて、みんなで歌った結果じゃん。
 だから、そんなふざけたこと、二度と言わないでよ!」

 叫びながら、彼女の頬にも涙の線がたくさん伸びていた。

 梢は、ごめんなさい、と一言だけ言ってから、へなへなと椅子に座り込む。
 その後も、鼻をすする音が至る所から聞こえてきた。

 しばらくの間、わたしたちはむせび泣いたり、目を閉じて俯いたりしていた。
 やっていることは全員バラバラだけど、両手を固く組んだポーズだけは、みな一緒だった。

 わたしも強く手に力を込めながら、ナナ様に向けて祈りをこめる。
 さっきまで確かにいた彼女は、気づいたらいなくなっていた。

 ねえ、こんな時に、一体どこにいるの。
 どうかお願いだから、お母さんを、赤ちゃんを、助けてあげて。

 突如あの赤いランプが消えた。
 みんなの視線が、一斉に無機質なドアに集まる。

 その刹那、ドアは両側一杯に開かれた。
 そして、中から勢いよく飛び込んできたのは、まるで聞く人の心臓に直接何かを訴えかけるような、叫びにも似た元気な赤ちゃんの泣き声だった。

 先程からドアの周りをせわしなく動き回っていた男性が、泣きそうになりながら急いで中へと入っていく。
 きっと、その子のお父さんに違いない。

 やがて、お医者さんが廊下に出て、わたしたちを見るなり無言で首を縦に振った。
 無我夢中で、わたしはみんなと手を合わせた。



 数日後。

 午前中に珍しく梢からの招集で病院に集まったわたしたちは、そのまま二階のとある病室に入った。
 そこには、あの女性がベッドに横になって休んでいた。

 その傍らでは赤ちゃんがすやすやと気持ちよさそうに眠っている。
 それを見て思わず「かわいい!」と叫びそうになったものの、その子が起きたら大変なので、小声でお母さんに挨拶した。

 その人はわたしたちに気づいて身体を少し起こすと、笑顔で手を振ってくれた。

 後から聞いた話では、生まれてきた子は女の子で、突然の出産だったために最初は命が危ぶまれたものの、手術は無事成功し、今や母子共に健康だそうだ。
 まずはそのことに改めて一安心する。

 ここで後ろから早百合が謝り始めた。

「すみません。きっと私たちの演奏のせいですよね。こんな危険なことになってしまったのは」

 その言葉を聞いて、思わず全員が黙り込んでしまう。
 しかし、意外にも女性はすぐ笑い飛ばしてくれた。

「……えー、どうして? そんなわけないじゃない。この子が生まれるタイミングは、神様だけが決められるのよ。絶対に、貴女たちが気に病むことなんてないんだからね。
 それに、むしろ貴女たちには感謝しているくらいなの。この子が生まれる前に、私は素晴らしい演奏を聴くことができた。それも、とびきり心がワクワクするような、そんな歌声をね。きっとこの子も、お腹の中で同じように思ったはずよ。
 今私はね、強く実感しているの。この子は、島の神様に守られて生まれてきてくれた。そして貴女たちの音楽に祝福されて、こうして生きているって。だから、この子はきっと、これから何十年先もずっと幸せでいることができる。
 これも全て、貴女たちのおかげよ。本当にありがとね」

 そう言って、彼女は目を閉じたままの赤ちゃんの手に、そっと触れる。
 小さな掌が、ゆっくりと人差し指を包み込んだ。

 わたしは、溢れてくる涙を抑えられないまま尋ねた。

「名前は、もう決めているんですか?」

 女性は優しい表情でみんなの顔を見回すと、小さな声でそっと囁いた。

「さっき主人と決めたんだけど、みのり。幸せに祝うで『幸祝』っていうの。いい名前でしょ?」

 女性はとても嬉しそうにニコッとはにかんだ。

 彼女がその名前を口にした瞬間、隣の赤ちゃんが一瞬だけ笑ったような気がした。
 今は相変わらず気持ちよさそうに寝ているから、きっと見間違いだろうけど、強引にでもそう思うようにした。

 だって、こんなに素晴らしい名前を付けてもらえたこの子が、嬉しくないわけなんて、きっとないだろうから。
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登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

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