(1) 白昼の泥棒

文字数 2,168文字

第二章  さなぎ


「合唱始めようなんて、気軽に言ったけどさぁ」

「うん」

「歌える場所なんて、そんな簡単にはないよね」

「……そうだよねぇ~」

 白い息と共に二人の口から零れ出たのは、今後に対する弱音と素っ気ない相槌だけだった。


 島の真ん中らへんに、高校の敷地よりも広い公園がある。
 西の方から入ってすぐの辺りに屋根付きのベンチがあって、そこにわたしたちは向かい合って座っていた。

 公園では、週末になると年中何かしらのイベントが行われていて、遠くの方からマイク越しに司会者のひょうきんな声が聞こえてくる。
 そうした賑わいに加えて、鬼ごっこをしている子供たちの笑い声や、ジョギングする人たちの軽快な足音、地べたに座り込んだお兄さんが奏でるギターのしらべなど、あちらこちらから色んな音が耳に入ってきた。

 こんな華やかな空気の中にいると、こうして何も喋らずただじっと見つめ合っているわたしたちって、実はもの凄く浮いているんじゃ? と思えてきて、だんだん居心地が悪くなる。
 とりあえず、思い付きで何か言ってみるか。

「学校の空き教室か、それか、屋上を使わせてもらうとか。どう?」

「私たち、高校違うじゃん」

「ですよねぇ」

 まあわかっていたことだけれど、改めてはっきり論破されると、がっくりする。

 合唱を始めよう、と早百合に提案してからはや一週間。
 今日は、初めてそのことについて具体的に考えてみる日だ。

 言い出しっぺにもかかわらずたいして真剣に考えていなかったわたしに、真面目な顔で早百合が持ち出した議題は、「活動場所をどうするのか」ということだった。

 普通に考えて、活動拠点なんてものは真っ先に決めなきゃならない、とても重要なことだ。
 なのに、今まで「どうやって仲間を集めようか」ばかり悩んでいたわたしは、そんなことくらいなんとかなるさ、とはじめはたかをくくっていた。

 しかし、いざこうしてじっくり考えると、この問題はなかなか難しい。
 島にはカラオケボックスみたいな場所がないし、お互いの家とか、海辺などの屋外で行うのも果たしてどうなんだろう。

 一応そこまではちゃんと考えて学校を提案してみたけれど、早百合の言う通りそもそも別々の高校だし、仮に一緒だったとしても正式な部でない以上、校内施設の使用はすんなりとは認められないだろう。

 再び嫌な沈黙が流れる。

 何となく考えるのに飽きてきて、ボーっと遠くの遊具を眺めてみた。
 子供は風の子元気の子、とはいうけど、長袖をまくりあげ、滑り台を勢いよく駆け上る小学生くらいの男の子たちを見ていると、もう自分は子供じゃないのかな、と感じてきて、少しだけ寂しい気分になってしまう。

 やがて子供たちも帰っていき、そろそろちゃんと考えようかと思ったその時、早百合が咄嗟に声を上げた。
 驚いて視線の先を見ると、赤い首輪をつけた茶色い犬が、そばに置いていたはずのわたしのポーチをいつの間にかくわえていた。

「あっ」

 犬は人間の声を聞くなり、入口の方に向かって走り出す。
 呆気にとられてしまっているわたしをよそに、早百合が立ち上がった。

「待て、ドロボー!」

 そしてそのまま犬の後をを追いかけていく。
 わたしも気を取り直し、「ワンちゃんは、泥棒じゃないよ!」とさりげなく訂正しながら、さらに後を追った。


 追いかけっこを始めてから、どのくらい経ったのだろう。

 細い道を走りながらそろそろ疲れを感じてきた時、ワンちゃんが突然右に大回りして空き地を横切った。
 そしてそのまま向こうに見える白い建物の方へと、全速力で走っていく。

 やがて片隅にある大きな犬小屋に飛び込むと、そこで安心したのかワンちゃんは何事もなかったかのようにのんびりくつろぎ始める。
 ポーチはその途中で離してしまったようで、近くの草むらにぽつんと放置されていた。

「よかったぁ、何とか取り戻せて。もう、本当にわんぱくなんだから」

 呑気に大あくびをしているワンちゃんを横目に見ながらポーチを回収する。
 奇跡的に目立った傷はないようだ。

 一方、早百合はそのこでもわたしのポーチでもなく、建物の看板をじっと眺めていた。

「ねえ、桜良。見てよ、これ」

 その建物は住居というよりは、どこかの施設みたいだった。
 壁の塗装は少し剥げていて、所々ツタが絡まっている。

 しかし、遠くから見るとさほど古さは感じない。
 きっとそれは、玄関前に車椅子のスロープが伸びていたり、自動ドアから見える内装が明るかったりしたせいだろう。
 外壁に取り付けられた看板には、黒い文字で

 『音美ふるさと福祉館 会合、趣味活動御自由にどうぞ』

と書いてあった。

「ここさ、使わせてもらえないかな?」

 早百合の提案に、段々と身体が高揚していくのを感じた。

「でかしたぞ、きみ! 大手柄だよ」

 思わず犬小屋に向かって叫ぶ。
 ワンちゃんは相変わらずあくびをしながら、へらへらと笑っていた。

「……メロちゃん! 帰って来てたのね」

 突然後ろで声が聞こえ、原っぱの向こうから四十代くらいの女性が駆け寄ってきた。
 その呼び掛けに反応しワンちゃんも小屋から駆け出すと、彼女の周りをくるくると回り始める。

 しゃがみこんで頭を優しくなでながら、女性はわたしたちに気づくと声を掛けてきた。

「あら、可愛いお嬢さんたちじゃない。何か、福祉館にご用かしら」
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登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

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