(8) 事件発生

文字数 1,643文字

 午後の部もプログラム通りに競技は進み、残すは大トリの部活対抗リレーのみとなった。
 一つ前のPTA種目の頃から、部活動生たちが待機のため入場ゲートに集まり始める。

 人が徐々に少なくなっていくテントの中、ボーっと本部の方を眺めていたわたしは、早百合ちゃんは何番目に走るのかなぁ、なんてのんびり考えていた。
 事件が起きたのはその時だった。

 本部テントに先生たちがどんどん集まっていく。
 やがて校内の至る所のスピーカーから、一斉にアナウンスが流れ始めた。

「諸事情により、部活動対抗リレーは中止となりました。ただいまより閉会式を行いますので、生徒のみなさんはグラウンドに集合してください。繰り返します……」

 突然の放送に、会場は一気にざわつきだす。
 応援テントにいる生徒も、入場ゲートの部活動生たちもみんな一様に動揺していたけど、程なく先生に促されグラウンドに整列した。

 少し遅れてわたしの後ろに並んだ紅葉ちゃんに、一体何があったのか聞いてみる。
 しかし、その返答を遮るように閉会の挨拶が始まり、仕方なく前の方に向き直した。

 それからというもの、まるで何事もなかったように体育祭は閉幕し、生徒はみんな後片付けを始める。
 精一杯背伸びしてテントの紐を外しながら、今度こそ紅葉ちゃんに話しかけた。

「ねえ、リレーで一体何があったの?」

 すると、紅葉ちゃんは耳元まで近づき、声のトーンをそっと落とす。

「ねー、私も急なことだったから驚いたよ。
 で、これはさっき人づてで聞いた話なんだけど、部活対抗リレーのすぐ前、役員の子が備品置き場まで道具を取りに行ったんだ。そしたら、そこに置いてあったはずのバトンが全部無くなっていたんだって。
 三つ前の学年対抗リレーで使った時は、確かに元の場所にあったはず、とその子は言ってるみたいだけど。
 とにかく、あまりに急なことだったし、予備の分まで全て無くなってたから、代わりの物も見つからなくて結局中止になったみたい」

「本当に? ていうか、備品置き場ってどこだっけ?」

「ほら、入場口の近くに青いシートが敷いてあって、綱引きの綱とか色々置いてあったじゃん。そこに一緒に置いていたんだってさ。
 あそこって、場所的に人は集まりやすいけど、一々注意深く見てる人なんて誰もいないから、正直持ち出そうと思ったらいつだって持ち出せるんじゃないかな」

 紅葉ちゃんの話を聞いて、作業しながら考える。
 彼女の教えてくれたことが本当なら、バトンは常に衆人環視の中に置かれていたものの、割と簡単に持ち出せることになる。

 このグラウンドには北平と南山の生徒に先生たち、それに親や地域の人たちなどたくさんの人がいた。
 その中でバトンを持ち出した人を特定するのはほぼ不可能と言っていいかもしれない。

 ていうか、そもそもなんでバトンは消えてしまったんだろう?

 疲れた頭でぐるぐる考えながらようやく一つテントを解体し終えると、なんとなくお昼の早百合ちゃんのことが気になり、こっそり自分の持ち場を離れる。
 意外にもその姿はあっさり見つけられた。

「早百合ちゃん」

「ああ、桜良ちゃん、お疲れ」

 片付けの輪に加わるでもなく、早百合ちゃんは一人校舎の壁に背中を預け佇んでいた。
 その隣に同じようにもたれかかると、自分の靴先に言葉を零す。

「リレー、中止になったね」

「……そうだね」

「バトンの噂って、聞いた?」

「うん、知ってるよ。盗まれたんでしょ?」

「なんか、物騒なことになっちゃったね」

 早百合ちゃんはしばらく黙り込んでから、とても小さな声で、そうだね、と返した。

 片付けの大半が既に終了し、グラウンドはかつての状態に戻りつつある。
 気を取り直し、一緒に帰ろ、と提案するも、「ごめん、ちょっと学校でやることがあるから」と抑揚のない声が返ってきた。

 そのままゆっくり壁から身体を起こすと、早百合ちゃんはずっと向こうの部室棟へ足早に歩いていく。
 遠くから聞こえる虫の声を漫然と聞いてから、わたしは無言で逆の方角を目指した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み