(9) もやの正体

文字数 1,515文字

「……うーん。やっぱり、そうなっちゃったかぁ」

 わたしの部屋で、ナナ様が静かに呟く。
 段々とその呟きに虚しさが込み上げてきて、思わず天井のシミを見上げた。

 美樹ちゃんが去った後、結局練習はお開きとなった。
 館内の清掃をしている間も、早百合とは一言も話せなかった。

 家に帰ってから、わたしは居てもたっても居られなくなり、ナナ様を呼ぶことにした。
 といっても、どうしたら呼び出せるのかはわからなかったから、なんとなく手を合わせてお願いのポーズをしてみると、案外あっさりと目の前に出てきてくれた。

 ナナ様は話を聞くなり、申し訳なさそうな顔をして謝る。

「昨日の夜、はっきり助言しておけばよかったわね。桜良の思惑と、早百合ちゃんの思惑が違うこともあるかもよ、って」

「ううん、いいよ。今回のことは、わたしが悪かったの。上手くみんなとやり取りできてればよかったんだけどね。それと、実を言うとね、気になっているのはそこだけじゃないんだ。美樹ちゃんが帰る時、周りに黒いもやみたいなのが広がっていたの。そう、前早百合の周りにあったのと同じやつ。ねえ、あれって、一体何なの?」

 ナナ様は身体を向き直すと、この間みたいにわたしの目をじっと見据えて言った。

「いい、桜良? あのもやはね、言うなれば、心の状態をそのまま写す鏡みたいなものなの。悩んだり葛藤があったりすると、人の心は暗くなって、次第に周りと距離をおいてしまう。その時広がった心の暗い部分を、ユラの天命を受けた子は、神との繋がりによって見ることができるの。だから、周りにもやが広がっている時、その人は困っていて、心のどこかで貴女に助けを求めている。それを見つけて救い出すのが、ユラの使命なのよ」

 なるほど……。
 それを聞いて、わたしはゆっくりと考え始めた。

 美樹ちゃんは明るく元気な女の子で、すぐに打ち解けることができた。
 でも、今日歌を歌った時、もどかしそうに唇を閉じ、何かに思い悩んでいるようにみえた。

 その悩みが、一体何なのかはわからない。
 きっと先に帰ってしまった野薔薇ちゃんのこともあったかもしれない。

 だけど、ナナ様の言う通り、もし美樹ちゃんが無意識のうちにわたしに対し何か助けを求めているのだとしたら、ユラとして放っておけない。
 ……絶対に、助けだしてあげなきゃ!

 やがて真っ直ぐナナ様の瞳を見つめると、その思いをくみ取ったのか、真剣な眼差しで見つめ返される。
 その後、次第に安心した表情をしてじんわりと目の前からいなくなった。


 さて、そろそろ寝ようかな。

 そう思いだしたところで、何となく喉の渇きを感じてきて、ゆっくりと台所まで向かう。

 冷蔵庫を開けて麦茶を取り出し、お気に入りのコップに注ぐ。
 それを一気に飲み干すと、ふとテーブルでノートとにらめっこしているお母さんの姿が視界に入った。

 わたしの家は、一階の一部が理髪店になっている。
 夫婦そろって切り盛りするお店は、町の床屋として長年親しまれてきた。

 わたしも、小さい頃は進んでお手伝いをしていたけれど、今ではもうほとんど関わらなくなってしまっている。
 今お母さんが見ているのは多分経理ノートなんだろうけど、その表情はあまり芳しくない。

 時折ため息を零すお母さんに、そっと話し掛けてみた。

「あんまりうまくいってないの?」

 すると、お母さんは顔を上げてから、うーん、と頬杖をつく。

「ちょっと前までは良かったんだけどねぇ。最近、少し離れた所に新しいお店ができて、お客さんがそっちに流れちゃってるのよ。うちも、そろそろ何か手を打たなきゃいけないかもね」

 再びノートに目をうつすお母さんを軽く労ってから、わたしは自分の部屋へと戻った。
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登場人物紹介

遠矢 桜良 (とおや さくら)

 この物語の主人公。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 幼馴染の早百合との再会により、合唱に興味を持ち始める。

 ひょんなことから島の女神との交流により、自身が『ユラ』の資質があることを知らされる。

 前向きで社交的な性格だが、悩みを抱え込む癖がある。

横峯 早百合 (よこみね さゆり)

 桜良の幼馴染で良き理解者。北平高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではボーカル・コーラスを担当する。

 従姉の菫の影響で合唱音楽にのめり込み、高校では真っ先に合唱部に入部した。

 音楽への信念と確固たる実力を併せ持ち芯も強いが、反面融通が利きにくいところが玉にきず。

相星 美樹 (あいぼし みき)

 桜良と同学年。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではコーラスの高パートを担当する。

 スポーツ大好き少女で、特にバスケが得意。体幹と安定した高音を活かしグループを引き立てる。

 ノリが良くムードメーカー的存在。勇気を出すのに少し時間がかかるところがある。

藁部 野薔薇 (わらべ のばら)

 桜良と同学年で美樹のクラスメート。南山高校の一年生(後に二年生)。

 Bleθ ではベースパートを担当する。

 ビジュアル系ロックバンドのファンで、派手な風貌・荒い口調で一見とっつきにくいが、心は誰よりもロマンチストで乙女。

 面倒見の良い姉御肌でグループの大黒柱。

稲森 梢 (いなもり こずえ)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではコーラスの低パートを担当する。

 絶対音感の持ち主で、早百合に負けず劣らず音楽への情熱と知識があるが、

 引っ込み思案のためずっと仲間の輪に入ることができなかった。

 打ち解けるとたまに鋭い毒を吐くようになる。

酒瀬川 椿 (さかせがわ つばき)

 桜良たちの一つ後輩で、北平高校の新一年生。

 Bleθ ではヒューマンビートボックス(ボイスパーカッション)を担当する。

 由緒正しい神社の家に生まれ、厳しく育てられる一方、動画配信サイトでは人気の生主として活動している。

 ツンがかなり強めだが真面目で頼りになる存在で、梢や野薔薇といいコンビである。

ナナ様

 島に古くからいる神様の一人。元々名無しの神だったが、桜良によって「ナナ様」と名付けられる。

 桜良にとってのお姉さん的存在であり、頼りになるあるじだが、

 悪戯好きで小悪魔な性格で、桜良によくちょっかいをかけからかっている。

 万能な存在である故か、人間特有の感情の機微に疎い。

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