第3話

文字数 4,607文字

 また稲妻が光った、続けざまに三回も。
 惨劇を演出するかのように雷鳴がとどろき、愚者どもの千秋楽の幕が上がる。
 部屋の空気が海底に沈んだかのように、全員の体を押しつぶしていく。
 切れかけた蛍光灯が瞬きを始めたが、誰もそれを指摘しようとはしない。高野内は咳ばらいをすると、いよいよ最後の推理を披露し始めた。
「動機は判りません。常習的にDVが行われていて、その延長で誤って殺したのか、または痴情のもつれか何かかもしれませんが、正直、私には興味が無いところです。――北鳴門氏は、この二人の部下と結託して、彼女たちの死体をどこかへ遺棄すると、この船を予約したのです。それから、さも二人が生きているかのように母娘の分もチェックインし、ついでにダイヤの保険金をだまし取ろうと私に声を掛けたのです。――本来ならば、携帯と別にGPSを用意するべきでしたが、急ごしらえの計画だったので、そこまで頭が回らなかったんでしょう。ひょっとしたら、デービッドが鈴香さんから声を掛けられた時に、彼は北鳴門氏の指示でGPS付きの携帯を探していたのかもしれません……だが、結局は徒労に終わりました。この船には、プリペイド式のシンプルな携帯しかありませんから。――だから仕方なく、危険を冒してまで峰ヶ丘を襲ったのでしょう。小夜子ならきっと船員に知らせないと踏んで」
 そこまで話すと、高野内は自分でお茶のおかわりを入れた。
「昨夜の事件はこう推理します。北鳴門の計画は、まず私たちをフラワーガーデンのある広場にスタンバイさせると、用意していたタイマー付きの発煙筒と着火装置をセットして、午前一時を待つ。その間、北鳴門は寝室でダイヤの偽装盗難の作業に入り、ダイヤをすぐに海に落とした。――ただし、その事は部下の二人には内密だった。彼らには、ダイヤを一時ちょうどに落とすとでも言っていたのではないでしょうか。そして、一時少し前に鈴香さんをトイレへと移動させ、やがて時間が来ると、予定通り停電になり、同時に発煙筒から煙が発生した。そこで三人はパニックになったふりをして、部屋を出て私たちのところに駆け付ける“予定”だった。やがて、睡眠剤で眠りに落ちるふりをして、私たちに部屋の中へ入るように仕向け、ダイヤと母娘がいなくなっていることを確認させる。私の目を盗んで、鈴香さんが部屋を出て、ロックが解除された防火扉を開け、非常階段経由で彼女の部屋へと帰る。――全てを怪盗シャッフルのせいにして、二人の殺害を永遠に闇に葬ることができる上、ついでに、保険金をだまし取るつもりだった……」
「なんてことだ。もし、本物の怪盗シャッフルがこれを知ったら、それこそ、財産を根こそぎ取られるぞ。もちろん騙し取った保険金ごとな」飯田橋の声には力が込められていた。
「寺山田さん、あなたは煙に巻かれて出てきた時に、こう言いましたよね。『突然、白い煙が発生して、心配になり社長の寝室に向かった』と。あの時、部屋の中は真っ暗でした。停電の上、窓にはカーテンが引かれてありましたからね。もっとも、外は雨だったので、仮にカーテンが開いていたところで、月や星の光は望めなかったでしょうが。――あの暗闇の中で、どうして煙が“白い”事が判ったのですか? それは、あらかじめ煙が出ることを知っていたからに、ほかありません」
 寺山田は無言でうなだれている。
 飯田橋は肩を震わせていた。それは、正義感から来るものなのか、それとも、この船でトラブルを起こされた事に対する怒りなのか、高野内には判別しかねた。
「ところが、寺山田とデービッドの二人が北鳴門を裏切り、ダイヤを奪おうとして、彼を襲った。直接、手を下したのはデービッドでしょう。彼は元軍人と聞いていますから、ナイフの扱いはお手の物だったに違いありません。自分の拳銃を使わなかったのは、私たちが銃声を聞きつけることを避ける為でもあり、後で、警察に施条痕や硝煙反応を調べられないようにする為でしょう。さっきも言いましたが、ナイフを選んだのは盗んだ防災グッズの中に登山ナイフを見つけ、峰ヶ丘に罪を着せる為でした。……ところが、すでにダイヤが海に落とされた事を知った二人は、結局、なす術もなく、そのままミッションを続行した。――後は飯田橋さんの知っている通りです」
「でも、どうして彼らはダイヤが海に落とされたことが判った? もしかしたら、この二人がまんまと手に入れたかもしれないじゃないか」
「駆け付けた船員たちが彼らをボディーチェックしましたが、何も出てこなかったのを覚えていますか? 部屋中はもちろん、あのフロア全体からもね。もし、彼らがダイヤを奪ったとしても、あの短時間では到底どこにも隠し切れず、ましてや、大事なダイヤを鈴香さんに預けるなんてとんでもない。鈴香さんにはダイヤの偽装盗難どころか、誘拐の話も知らせていなかったでしょうからね。このフロアには出入り口がエレベーターしかなく、そこからは、警報を聞きつけた警備員が、いつ飛んでくるか判りませんから、そもそも、隠しようがなかったのです」
「でも、例えダイヤが落とされたことが判っても、二人は北鳴門氏の番号を知っているのだから、後で捜索するつもりじゃなかったのかな?」
「当初の計画では、峰ヶ丘の携帯が使われる予定でした。だから、殺害した時、床に落ちている携帯を見て愕然としたはず。……実際には北鳴門の携帯が使われた事を知らなかったのでしょう。何せ外見は同じなのだから」
「お前らいい加減にしろ!」
 とうとう怒りが爆発したようだ。飯田橋は一気に立ち上がると、うなだれている寺山田の元へと向かった。そして首根っこを掴むと、怒鳴り声を上げる。
「おい、今の話は本当か! お前らが共謀して北鳴門氏を殺したのか!」

 ようやく観念したのか、寺山田は「……そうです。彼の言う通りです。わたくしたちが殺しました」と、生気の抜けた顔で罪を認めた。
「デービッド。寺山田は認めたぞ。お前も黙ってないで白状したらどうなんだ」
 遂に山が動いた。 
 デービッドは突然立ち上がりながら、唸り声を上げる。サングラスを外してジャケットの中に右手を入れると、そこから拳銃を取り出し、飯田橋の眉間に銃口を突き付けた。
「ヘイ。こうなったら、お前たちみんな殺してやるぜ! 一緒に天国へ行こうぜベイビー!」
 これまでと違い、デービッドは流暢な日本語でわめき散らす。目が血走り、今にも発砲しそうな勢いだ。
「おい、バカな真似は止めろ。自棄《やけ》になるな」
 飯田橋は懸命にデービッドをなだめる。
「エブリバーディー! イッツ、ショータイム!!」
 すると、デービッドは拳銃を天井に向けて、引き金を引いた。
 パシュッ。
 乾いた音が鳴った。その音に高野内は聞き覚えがあった。拳銃から発射された小さな丸い玉は、天井に跳ね返ると、数回弾んだのちに床を転がっていった。
「な~んてね。ジョークさ、ジョーク」
 デービッドは拳銃をテーブルに置き、両手を挙げた。高野内は慎重に手を伸ばすと拳銃を手に取った。
「これはエアガンじゃないか。クルーたちにモデルガンだと言ったのは本当の事だったのか」
 一同の緊張がほどけた。あちこちで安堵のため息が聞こえてくる。
「さてはショッピング街の『オモチャらス』で買ったでしょう。みんな考える事が一緒ね」
 小夜子はポシェットから自分のエアガンを出して、デービッドの銃と見比べる。
「だから、北鳴門氏を殺した時にナイフを使ったんだな」
「あなたの推理、外れたわね」小夜子は呆れ顔で言った。
「それくらいいいだろう。誰だってミスくらいはする。この小説だって、誤字や矛盾だらけなんだから」
「? 何を言っているの??」
「お前には関係ない」
 飯田橋の携帯が鳴る。それは、警察の巡視船が到着する目処がたった事を告げる電話だった。
 いつの間にか嵐が過ぎ去り、白みを帯びた雲たちはゆっくりと流れ、遠くの空に明るい晴れ間が見えた。
「あの……高野内さん、私はどうしたらいいでしょうか?」
 三佐樹鈴香は震えながら尋ねた。
 高野内は、とぼけ口調で口を躍らせる。
「あれ? あなたは誰ですか? ここは関係者以外立ち入り禁止の筈ですよ。――ね? 飯田橋さん」
 高野内は配せをした。飯田橋はそれを了解したようにコクリと顎を引く。
「ああ、高野内さんの言う通りだ。他のみんなも判ったな。彼女は無関係で、誰もこの人の事は知らない。予告状は最初から一枚しか無かったし、三佐樹母娘も、あの部屋には一度も入っていない」
 すると鈴香を除く全員が笑顔で頷いた。寺山田やデービッドも例外ではない。
「皆さん、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました。北鳴門さんから頂いた報酬はお返しします」
 だが、高野内はそれを制した。
「あなたは巻き込まれただけですから、迷惑料として、そのまま貰っておけばいいんです。――そうだ! 娘の琴美ちゃんに何かプレゼントでも買ってあげてください。今回の旅行の記念として」
「本当にいいのですか。見逃してもらった上に、このままお金まで頂いても」
 そこで小夜子は、明るい声を出した。
「今度、遊びに行くからと琴美ちゃんに伝えてください……もれなくスケベなオッサンも付いてきますけど」
「誰がスケベなオッサンだ!」
 頭をゆっくりと下げながら、鈴香は言った。
「そう言っていただけると、本当にありがたいです。きっと琴美も喜ぶと思います。その時は『琴美ちゃん』と呼んであげてくださいね」
「もちろんです。琴美ちゃんによろしく伝えてください」
「判りました、必ず伝えます。みなさん、本当にありがとうございました」
 涙を浮かべて何度もお辞儀をすると、鈴香は扉へと向かい、振り返ってからもう一度頭を深く下げる。
 高野内は鈴香に駆け寄り、耳元で小さく囁いた。「ちなみに報酬はいくら貰ったのですか?」すると彼女は指を三本立てた。「三万円ですか?」
「いえ、三十万円です」
 高野内の報酬は十万円の約束だったから、彼女はその三倍だ。しかもその十万円すらも、結局、貰わずじまいだった……。

「あーあ。結局、骨折り損のくたびれ儲けかぁ。報酬は貰い損ねるし、手柄は飯田橋に横取りされるし」
「そういう約束なんだから仕方ないでしょ? あなたの活躍に、みんな感謝しているわ」
 部屋に戻ったふたりは、ぐったりしてベッドに寝転んだ。
 あの後、高野内の発案で警備員を見張りにつけ、寺山田とデービッドを事務所に拘束した。それから高野内と小夜子と飯田橋、そして鈴香の四人は北鳴門の部屋を訪れ、鈴香と琴美の残したと思われる指紋を丁寧に拭き消した。作業を終えると鈴香を自室へと帰して警察を迎え入れたのだった。
「しかし、警察の事情聴取ってのは、何回やっても疲れるな。探偵だって言っても最初は全然信じてくれないし」
「あら、職務質問なら慣れているんじゃないの?」
「人を変態みたいに言わんといて、霧ヶ峰はん」
「その言い方やめて!」
 時刻は午後の七時。疲れ果てたふたりは、夕食をルームサービスで済ませると、テレビをつけながら、ベッドに潜り込んだ。テレビでは録画放送のドッキリ番組が流れており、お笑いタレントの段田フミヒロが落とし穴に落とされて、顔中、真っ白い粉に覆われながら何かを叫んでいる。
 次第にまぶたが重くなると、安らかな霧の中に沈んでいった……。
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