第3話

文字数 5,127文字

 冷たい静寂が流れ、重い波の音だけがこだまする。エイラは高野内の言葉に、眉ひとつ動かさず、目の前の探偵の顔を射抜くような目で睨みつけている。
 ふと、エイラの表情が崩れ、さっきまでの笑顔に戻った。
「面白い事を言うのね。そんな冗談のために、わざわざレディーの部屋に訪ねてきたのかしら?」
「冗談ではありません。私の推理が正しければ、君の正体は怪盗シャッフルのはずです」
「そこまで言うのなら何か証拠があるのかしら。もし、そうなら見せてください」
「君はさっきクレオパトラの涙の事を、“ダイヤ”と言いましたよね」
「あら、違ったかしら?」
「間違いではありません。……ですが、私はクレオパトラの涙の事を“宝石”としか言っていません。――それが、どうしてダイヤだと判るのですか。クレオパトラの涙の事を知らないと言ったばかりなのに」
「……急に思い出したのよ。きっとテレビか何かで見たのをね。もしかすると、雑誌だったかもしれないけれど」
「あの宝石はどこにも公表されていません。ですから、メディアで紹介される事などあり得ないのです」
「……じゃあ、なんとなく、そう思っただけよ……まさか、それだけの事で、私を泥棒呼ばわりするつもり?」
「もちろん、それだけではありません。ひとつお願いしてもいいですか?」
「あら、何かしら?」
「コロコロを見せてください」
 それまで身構えていたエイラが、急に拍子抜けした表情になる。
「コロコロ?」
「一昨日の晩に、君が持っていた袋に入っていたやつですよ。その時、峰ヶ丘が袋から突き出たプラスチックの棒の事を尋ねたら、こう答えましたよね。『これはコロコロよ。ちょうどいい大きさだから、自宅用に雑貨屋で買った』と」
「ああ、そうだったわね。――あれは、やっぱり気に入らなかったから、すぐに捨てたわ」
「どこに捨てたのですか? あんなにかさばるものを」
「確か、広場にあるゴミ箱の横に立てかけておいたのよ。あのあと前を通りかかったら、もう無かったから、既に回収されたのね」
「もし、回収されたのならば集積所にあるはずです。実際に確かめた訳じゃありませんが、そこには無いと確信しています。必要なら、飯田橋さんに頼んで、スタッフに確認してもらいますが」
 エイラの言い訳が続く。
「回収されたとは限らないわ。――誰かが見つけて、持って帰ったかもしれないじゃない」
「コロコロをですか? 船旅に来て、あんなにかさばる物を誰が持っていくというのです。しかも、ここは人の出入りが滅多にないスイートルーム専用フロアですよ」
「……思い出したわ、そこの窓から捨てたのよ。わざわざゴミ箱に出すのも面倒くさくて」
 しかし、高野内はエイラを追い詰める。
「苦しい言い訳ですね。――では、はっきり言いましょう。海に捨てたのは本当ですが、あれはコロコロなんかじゃなかったのです!」
 断言する高野内に、エイラは明らかに気後れしている様子。
「じゃあ、あれは何だったと言うんですか? 人を侮辱するのも、いい加減にしてください」
「ちょっと待っていて下さい、すぐに戻ります」
 高野内は、一旦、部屋を出ると、オートドアが閉まらないように、扉にライターを挟み、急いで広場から紙袋を取ってから再び戻ってきた。
 ソファーに腰を下ろし、取ってきた袋を膝の上に乗せると、高野内は、いよいよといった風に笑顔を浮かべる。
「ここに来る前にコンビニで買ってきたのです……あの時、君が持っていたのはこれじゃないですか?」
 紙袋に手を入れると、細長い棒のついた、ある物を取り出す。
 エイラの目が一瞬曇った色に変わったが、高野内はそれを見逃さなかった。
「魚釣り用の玉網です。あなたは一昨日の晩、これを袋に入れていたのです。――どうです? 棒の部分の色や形が同じでしょう? ちなみに、君が購入したと言った雑貨屋の店員に訊きましたが、コロコロは売っていないと言われました。念のために、他の店も廻りましたが、やはり、どこも取り扱っていません。――当たり前です。船旅には必要が無い物ですからね。――猫を飼っているというのも嘘です。あなたのインスタをフォローしていますが、そんな情報なんて、今まで一度もありませんでしたから」
 明らかな証拠を突き付けたつもりだったが、エイラの表情は、まだ余裕があるように見えた。
「仮に、私がその網を持っていたとして、怪盗シャッフルと何の関係があるのかしら?」
「まだ、しらを切るのですか。――いいでしょう。名探偵であるわたくし高野内和也が、これから名推理を披露しますので、とくとご堪能下さい」そして、軽くウインクをした後で「特別ですよ」と口角を上げる。
 高野内はその場で立ち上がると、一礼をして軽く咳払いをした。
「エイラさん、君はすべてを知っていたんですね。北鳴門が二人を殺害していたことやクレオパトラの涙を所持し、この船に持ち込んだ訳を。……いくら公表されていないとはいえ、あらゆる情報網を使ってその事実を掴んでいたのでしょう。そして北鳴門の部屋に忍び込み盗聴器を仕掛けると、彼らが怪盗シャッフルの名を騙ろうとしている事や、偽装誘拐の件を知ってしまった。その時、君は怒りに震えたでしょう。――だが、その計画を逆手に取ることを思い付いた。北鳴門氏らの会話を盗み聞きしているうちに、ダイヤ消失詐欺のトリックを知り得ることが出来た。それからコンビニへ玉網を買いに行き、その帰りに私たちと偶然遭遇した。――あの時、君は、『バーで飲んでいたところを、ウォッカ片手の松矢野に捕まって、ようやく逃げてきた』と言っていたが、君の顔はいつも通りだった。君ほどの白い肌ならば、僅かなお酒でも赤くなるはずだ。初めて会った夜もそうだったからね。――それに、松矢野さんは、日本酒か焼酎“しか”飲まないと言っていた。なのでバーでウォッカを飲んでいたというのも、あり得ない話。では、その時、君はどこにいたのでしょうか? あの時間に開いていた店は、飲み屋以外ではコンビニだけだ!」
 すると、高野内は先ほどの玉網を両手で持ち、竿の部分を左右に伸ばした。
 話を続ける高野内は、獲物を捕らえたハンターのような目つきで、エイラを睨みつける。
「御覧の通り、これは伸縮自在になっていて、最長三メートルになるそうです。君はあの夜、盗聴でダイヤの落とされるタイミングを知り、それに合わせてこのリビングの左隅の窓を開け、そこから玉網を北鳴門の寝室の窓の下に伸ばした。窓は十センチしか開きませんが、玉網なら余裕で入ります。私の見積もりでは、リビングと寝室の窓の間隔は約二メートル半といったところでしょうか。――そしてダイヤが落とされるのを待ち、それを受け止めて回収すると、部屋の中に引き上げる。それから、ダイヤだけを抜き取ると、後は玉網もろとも、海へと捨てた。――以前、この部屋は飯田橋が用意したと言っていたけど、本当は自分で予約したのではありませんか? 隣の北鳴門の部屋と同じ間取りだから、調査もしやすかったのでしょう。それに、これまでの犯行の手口から見て、私は怪盗シャッフルは単独犯ではないと考えています。――君には他に仲間がいますよね?」
 話し疲れてダージリンに手を伸ばした、いやアールグレイか。しかし、ひと口飲んだだけでカップをソーサーに戻す。
 それまで口を閉ざしながら、ひと言も口を利かずにいたエイラは、ようやく唇を動かし始めた。
「なるほどね。なかなかいい推理だと思うわ……でも、私が盗聴器を仕掛けるために部屋に侵入したと言ったけれど、どうやって鍵を開けたの? ドアはオートロックのカードキーになっていて、ピッキングくらいでは開けられないわ。カードキー無くして、どうやって室内に入ったのかしら。……それに、私に仲間がいたとしても、一緒に乗ったとは限らないでしょう」
 その質問にも高野内はちゃんと答えを用意していた。
「あの部屋の誰か――例えば寺山田かデービッドに接近して盗んだ可能性もありますが、たぶん違うでしょう。――君は有名人だから、かなり目立ちますし、仮に、盗んだとしても、彼らが部屋に帰れば、カードを盗まれたことがすぐにバレてしまいますからね。とてもリスクが高すぎる。それに仲間の件ですが、ここのエントランスに男性のものと思われる靴跡が残っていた。しかも、サイズ違いの二種類です。慌てて靴を隠したから、君はそれに気づかなかった。つまり、君の他に二名の男性がこの部屋にいることになります」
 エイラの表情が曇りがちになったが、それでも反撃の手を緩めようとはしない。
「靴の件は認めるわ。関係は言えないけれど、奥の寝室に人を待たせているの。――それは置いておいたとしてよ。どうやって、隣のスイートルームに侵入したって言うのかしら?」
 エイラの余裕はまだ消えてはいない。高野内の推理は更に続く。
「飯田橋を利用したのです。君と初めて会った時、彼と飲んでいましたね。君はその美貌を武器に副船長である彼を誘惑して、マスターキーを手に入れたのではありませんか?」
 パチ、パチ、パチ、パチ。エイラは拍手を送った。
「さすがは名探偵さん。紙袋から飛び出した棒だけで、よくそこまで推理したわね。感心するわ」
「それだけではありません。実は飯田橋から君に近づくなと警告されたのです。最初はただの嫉妬かと思いましたが、後から考えると、君に何か弱みを握られているのではないかと想像したのです。それが、君の袋から出ていた棒と結びついた時、その正体に気が付いたのです。――グラビアアイドルと世紀の大怪盗、ふたつの仮面をシャッフルしているのは君だと」
 エイラの目をしっかりと見据えた。彼女は緊張の糸が切れたのか、安堵の仕草を見せながら、ふっと溜息をつく。
「……正解よ、観念するわ。――最初の夜、あなたと会った後に、二人きりで飲み直しましょうと彼を誘ったの。もちろんこの部屋にね。マスターキーの保管場所を訊き出そうと思って。――上手くいったわ。彼ったら調子に乗って、この船から制服などの備品を盗んで、転売している事までうっかり喋ったの。尤も、情報を訊き出そうと彼のグラスに自白剤を入れていたせいだけどね。ここの制服はオリジナルデザインで、通常では手に入らない代物ばかりだから、マニアには結構高く売れるなの。――マスターキーの情報さえ手に入れば、そんなコソ泥の話なんかに興味は無かったけれど、その後、急に襲い掛かって来て、無理矢理ベッドに連れ込もうとしたのよ。もちろん、急所を蹴り上げて、追い出したんだけど、あまりに腹が立ったから、偶然知り合った松矢野さんに、副船長の悪事を仄めかしてやったわ。こっそり録音しておいたボイスレコーダーと一緒にね。――そしたら、案の定、飯田橋さんに接触して、その事をネタに脅迫したみたい。――自業自得よ。私に手を出すなんて百年早いわ」
 なるほど、飯田橋が更衣室の前で聞き耳を立てていたのは、備品を盗むためだった。きっと誰かいないか中の様子を探っていたに違いない。警備員が制帽を盗まれたと言っていたのも、ごまかしでは無く本当の事だった。
 松矢野が『飯田橋に気をつけろ』と言ったのも頷ける。立ち入り禁止である事務所前の廊下に彼がいたのも、窃盗の話で飯田橋を脅迫した帰りだったのだろう。
「ダイヤは、きっとこの部屋のどこかにあるのでしょう。観念して素直に返しなさい……とは言いませんが、もう二度と犯行を繰り返して欲しくはありません。君を応援しているからです。もちろん、怪盗シャッフルではなく、永遠のトップアイドルとして。私は大野城エイラの大ファンなのですから」
 エイラの表情に、ようやくほころびが見え始めた。
「そうでしたわね。ファンの期待には応えなくちゃいけませんね。――正体を知られたからには潔く負けを認めるわ。……そろそろ潮時なのかもしれないわね」
「君が逮捕される姿なんかみたくはありません。このまま、私の憧れのスターでいてください」
「考えておくわ。今度会ったら、あなたの武勇伝をきかせてくださいね」
「もし、その時が来れば……ですね」
「本当はクレオパトラの涙の精巧なイミテーションも用意していたのよ。専門の鑑定師でも容易に区別がつかないくらいの。おかげで結構な経費がかかったわ。――でも、結局無駄になってしまったから、今回の記念として、あなたにあげましょうか?」
 苦笑いしながらその申し出を断ると、別れの挨拶を告げて怪盗の部屋を去った。
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