第3話

文字数 2,972文字

「大体の事情は分かりました。高野内さんたちも大変でしたね。――まあ怪我も無いようでしたので、それは何よりです……怪盗シャッフルの名前は週刊誌で見たことがあります。その『クレオパトラの涙』とかいう宝石も盗まれ、持ち主は殺され、夫人や娘さんまで行方不明になったのですから、さぞや心配でしょう。――現在クルーたちが、ダイヤとお二人を懸命に捜索しています。必要とあらば客室を回らせたいとまで思っています。広い船といえども所詮は海の上。お二人が見つかるのも時間の問題です。――もちろん、そのクレオパトラの涙とかという宝石もね」
 荒々しい顔で高野内たちの前に腰を下ろす男は、副船長の飯田橋だった。ふたりはこれまでのいきさつを小夜子が襲われ、盗難被害にあった事以外、正直に話した。状況が状況だけに、守秘義務などと言っていられない。
 飯田橋は高野内たちが体験した出来事を、メモしながら確認している。それは災難でしたねという言葉とは裏腹に、まるで容疑者を問い詰める刑事のような、厳しい視線を浴びせていた。以前までとは別人のようだ。
 無理もない。弥生丸といった、この国を代表する豪華客船の船内で未曽有の大事件が起きたのだから。いくら北鳴門が黙っていたとはいえ、飯田橋たちへの責任の追及は避けられないだろう。彼にしてみれば、探偵といえども立派な容疑者なのだ。高野内への呼び方も“先生”から“さん”へと変わっている。もっとも高野内にとっては、その方がかえって都合が良かったが……。
 飯田橋の話によると、すでに警察への通報は済ませており、昼すぎには、捜査のために警察が巡視船で到着する手はずになっている。
 高野内は調査をしたいと申し出たが、当然のごとくきっぱりと断られた。それでも、せめて部屋の様子だけでも教えてもらえないかと食い下がってみたが、彼はまず寺山田とデービッドから話を聞いてからだと答えた。
 その後、ふたりは自分たちの部屋に戻されたものの、ドアの前に警備員が立つことになった。一応、安全のための警護という名目だったが、実際は高野内たちの行動を監視するのが目的なのだろう。
 もうすぐ午前四時になろうとしている。ふたりは疲れた体をベッドに横たえていたが、どちらも興奮して眠れそうになかった。
「ねえ、今回の事件、あなたはどう考えているの?」
「さあね、まだ何とも言えないな。もっと詳細が分かるといいんだけど」
「そうよね。私が襲われた事と関係があるのかしら」
「その可能性が高いだろう……タイミングからしても、とても無関係とは思えない。やっぱり、ちゃんと医者に診てもらえよ」
「だから大丈夫だって言ったでしょ。痛みも全然無いし」
「いや、ちゃんと精密検査してもらった方がいい。ひょっとしたら内出血しているかもしれないし、これ以上頭がおかしくなったらどうするんだ」
「あなたに言われたくないけどね。――判ったわ。この旅行が終わったらちゃんと診てもらいます」
「おいおい、それじゃ手遅れになるかもしれないじゃないか」
「もしそうなったら、誰かさんに責任取ってもらいますから」
「それってどういう意味だ」
「おやすみなさい」
 小夜子は高野内に背を向けると、毛布を頭まで被った。高野内はやれやれと仰向けになり、両手を頭の後ろに回して天井をぼんやりと眺める。
 あの時、フロアに誰もいなかったのは確かだ。問題の午前一時になり、しばらくしてから警報ベルが鳴り出した。おそらく、突如発生した大量の煙に火災感知器が反応したのだろう。ドアの隙間からは白い煙が漏れ出し、寺山田とデービッドが飛び出してきた。ふたりをベンチへと運び、寺山田に話を聞くと、一時ちょうどに停電となり、どこからかともなく大量の煙が発生し、寺山田は北鳴門の寝室に向かったが、そのドアは開かず、呼んでも返事が無かったとの事だった。鍵が掛かっていたのは、ダイヤを守るために北鳴門が中から掛けたのだろう。だが、返事が無かったのは妙だ。推測通り煙に催眠ガスが含まれていたとしても、寝室に向かった時に寺山田たちの意識は、まだはっきりとしていたのだから、先に北鳴門が眠ったとは考えにくい。まさか寝室の中からも煙が出てきていたのだろうか。それなら先に彼が眠っていたとしても納得ができる。
 それとも、既に殺されていたのか? 
 シャッフルは何らかの方法で寝室に侵入し、彼を殺した後で、ダイヤを盗んだのかもしれない。
 もっと不思議なのは、もう一つの寝室から母娘がふたりとも消えた事だ。
 小夜子が目撃したのだから、夫人が室内にいたのは確実だ。きっと美咲も一緒にいたに違いない。いくら煙が充満していたとはいえ、あそこから出たのは寺山田とデービッドの二人しかいないのは間違いない。――ならば、どうやってあの中から美咲だけでなく、母親の妙子夫人まで拉致したというのだろうか? 仮に彼女たちが自分たちの意思で部屋を出ようとしても、寺山田らと俺たちがそれに気づかないはずはない。もしシャッフルに誘拐されたとすれば、奴は一般人の客にまぎれ、この船のどこかに二人を監禁しているに違いない。客ではなく船員の一人なのかもしれないが。
 そこまで考えたところで、高野内はある疑問が浮かんだ。さっきの寺山田の話に矛盾があったのだ。寝室のドアの件ではない、もう一つの矛盾――。
 もしかして混乱していただけなのかもしれないが、もし、そうではないとしたら、なぜ彼はあんな事を言ったのだろうか?
 ふと、小夜子が襲われた件が気になった。飯田橋には、あえてこの事件を話さなかったが、小夜子の話では、襲われた時、携帯とカードキーが盗まれ、その後カードキーはドアにささってあった。部屋の荷物を確認すると、防犯グッズが無くなったという。おそらくシャッフルの仕業だ。
 では奴の目的は何だったのだろうか。
 取りあえず、盗まれた防犯グッズの中身を思い出してみる。乗船した初日に小夜子がベッドに撒き散らしたのは、アイスピック・防犯ベル・催涙スプレー・スタンガン・登山ナイフ……。
 登山ナイフ? 
 北鳴門の死体を思い出した。彼の胸には登山ナイフが刺さっていた。細かい形状までは憶えていないが、小夜子の物とよく似ていたような気がする。まさか小夜子は防犯グッズを盗まれたと嘘をついて、どこかに隠し、北鳴門を殺害した……?
 だが小夜子とはずっと一緒にいたではないか。――いやそうではない。夕食の後に喧嘩別れをして、三時間程離れ離れになっていた。……もし北鳴門がその間に殺されていたのならば、小夜子のアリバイは成立しないことになる。
 高野内は頭を振った。
 寺山田の話では北鳴門は少なくとも十二時までは生きていた。その時、小夜子はずっと一緒に広場で部屋を監視していたではないか。彼らが共犯でない限り、小夜子に犯行は絶対に不可能だ。もしかするとシャッフルは、小夜子に罪を着せるのが目的で、それらを盗んだのかもしれない。
 とにかく詳しい情報が必要だ。できれば、警察が乗り込んでくる前に、何とか自分の手でこの事件を解決したい。美咲のためにも、妙子夫人のためにも――そして小夜子のためにも。
 無理矢理まぶたを閉じると、やがて暗闇の世界に堕ちていった……。
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