第4話
文字数 3,037文字
エレベーターに向かいながらお互いの気持ちを確認し合うと、ふたりは部屋に戻るふりをして、美咲たちが向かったというレストラン街へ降りることにした。心配で居ても立ってもいられないのだ。
ランプが徐々に上がってくるのが、心なしか遅く感じ、高野内はもどかしい気持ちで昇降ボタンを何度も押す。
「そんなに何度も押さなくても、エレベーターの来る時間は変わらないわよ」
「判ってるよ、そんなことぐらい」
やがて、エレベーターの到着するチャイムと共に、扉が音もなく開く。すぐさま乗り込むと、急いでレストラン街のフロアのあるボタンを押した。
誰も居ない籠の中で、ふたりは口を開くこともせず、ただ、じっと階数の表示されているランプに目を注いでいた。
レストラン街のフロアに到着すると扉が開いたと同時に二人は駆け出して、辺りを見廻す。当然というか、そこに美咲たちの姿は見えない。とりあえず、目についた店を片っ端から回ってみたが、やはり、どこにも見当たらない。ひょっとしたら従業員が憶えているかもしれないと、訊いて廻ったが、どこからもそれらしき情報を得ることは出来なかった。ランチの時間帯はどこも混雑するので、それは仕方がないが、驚くことに、あれだけ目立つデービッドの姿さえも、記憶にないとの事だった。おそらく、一緒に食事を取らず、店の前で待機していたのだろう。ある意味、ボディーガードとしては優秀なのかもしれないが、ここではそれが裏目に出た形となる。
「次はショッピング街に行ってみよう」
確か、ランチの後はショッピングに行くと北鳴門が言っていた。ふたりは、その下の階にあるショッピング街のホールに向かい、フロア中央の大きな階段を駆け降りた。
とりあえず、最初に目についたオシャレな化粧品店に足を向けると、昨夜、大野城エイラと一緒にいた副船長の飯田橋が、店から出てくるところだった。今日の彼は、ちゃんと制帽を被っているので職務中なのかもしれないが、もしかして恋人へのプレゼントを買いに来たのかもしれない。その相手が、大野城エイラでないことを願う高野内だった。
飯田橋と目が合うと、彼は近づいて来て、右手を差し出しながら握手を求めてきた。
「これはこれは高野内先生ではありませんか。昨日は失礼しました。もっと、お話を聞きたかったのですが、あいにくエイラはプライベートだったもので」
先生と呼ばれると、やっぱりこそばゆい。だが、今はそんな事よりも、飯田橋が大野城エイラのことを呼び捨てにしたのが気に掛かった。やっぱり二人は付き合っているのだろうか?
「こちらこそ失礼しました。せっかくのデートを邪魔してしまって」
高野内は探りを入れた。もし彼女が飯田橋の恋人でないのなら、否定するはずだ。もっとも、大野城エイラはトップアイドルなのだから、仮に否定したところで、スキャンダルを恐れて、本当の事を明かさない可能性もあるが、それでも、なんらかの反応が見込めそうだった。名探偵を名乗るだけあって、表情から心理状態を読み取ることを得意としていた。問題はその的中率の低さだが。
「デート? まあそんなところかな」
まさかの肯定。高野内の顔がみるみる引きつっていく。彼はショックを隠し切れずにいた。小夜子を見ると口元を押えて、必死に笑いをこらえている。
「ところでどうですか? この弥生丸の乗り心地は。船旅を満喫していますか?」
高野内は美咲たちのことを話すべきかどうか迷った。もし、打ち明ければ、スタッフが捜索してくれるだろうが、それでは、北鳴門との約束を破ることになる。探偵家業は信用が命。もちろん人の命と天秤にかけることはできないが、まだ彼女たちに危険が及んだとも限らない。飯田橋に報告するのは後回しにして、癪 だが、ここは寺山田とデービッドに期待することにしよう。
「ええ、噂通り最高の船ですね」正直、今はそれどころではないが、「すっかり満足しています」と、高野内は当たり障りのない返事をした。
「それは何よりです。副船長としては、お客様に満足していただけることが、最高の喜びです」さり気なく手のひらを上に向けて、飯田橋は小夜子の方にその手を差し出す。「ところで、そちらの可愛らしいお嬢さんは娘さんですか?」
慌てて首を振る小夜子。
「いいえ、私は助手の峰ヶ丘といいます」
「そうでしたか。私はてっきり……これは失礼しました。それにしても、霧ヶ峰さんとは変わったお名前ですね。確かエアコンのCMで……」
「み・ね・が・お・か、です」小夜子は強調するように言った。「副船長だったら、人の話すことくらい、ちゃんと聞いてなさいよ」
「これは重ね重ね失礼しました。助手の峰ヶ丘さんですね。今度はちゃんと覚えました」
「よろしくお願いします」小夜子は口を尖らせた。
「お詫びにシャンパンを送らせてください。どちらのお部屋ですか?」
まさかD号とも言えない。もっとも副船長である飯田橋なら、乗客名簿をチェックして部屋番号を割り出すことくらい朝飯前だろう。
「いえいえ、それには及びません。急いでいますので、これで失礼します」
「そうですか。それは引き留めてしまって申し訳ございませんでした。やっぱりシャンパンを……」
「本当に大丈夫ですから!」
そう言って半ば強引にその場を離れ、美咲たちの捜索に戻った。
三軒目のネイルサロンに入ったところで携帯が鳴った。急いで取ると、北鳴門の明るい声が耳に入ってくる。
『高野内くんか。娘たちは今戻った、デービッドも一緒だ。心配かけて悪かった、何でも、ランチの後ショッピングには行かず、甲板で海を見ていたそうだ。食事の時にマナーモードにしていたことをうっかり忘れていたらしく、着信には気づかなかったらしい』
心配げな顔の小夜子に親指を立ててそれを伝えると、彼女は安心したのか、近くのベンチにフラフラと座り、ぐったりとしながら笑顔を浮かべている。
「無事で何よりです。二人とも怪我はありませんでしたか?」
『大丈夫だ。こうなったら、妻にも事情を説明して、取りあえず、今夜は部屋に籠らせようと思うのだが』
「それがいいと思います。正直いいますと、二通目の予告状が届く前は、お二人を別の部屋に避難させた方がいいと進言するつもりでしたが、今は彼女たちを二人きりにすると、かえって危険なような気がしていたんです」
『そこまで考えてくれていたのか。さすがは名探偵だな』
「ありがとうございます。……ですが、やはり船の方にも警備をお願いしてはいかがですか?」
『……心配してくれるのは有り難いが、それは出来ない。あれから考えたのだが『大事なもの』は、自宅や会社に思い当たる物がいくつかあった。そっちには、私から連絡しておくから、君たちは、今夜の警備に全力を尽くすために、体を休ませて欲しい。勝手に出歩いたりせずにな』
まるで高野内たちが、美咲たちを索していることを、判っているかのような口ぶりだ。
『それに、ここで騒ぎを大きくしては、今後の船旅が台無しになりかねないし、これ以上、他人に迷惑をかける訳にもいかんのでね』そこで通話が切れた。
のど元過ぎれば――か、調子のいいやつだ。
もし、シャッフルからダイヤを無事に守り切れば、報酬が十万円、即金で貰える約束だ。仮に、シャッフルのもうひとつの狙いが本当に美咲であるならば、彼女を守り切ることで、更なる報酬アップも期待できる。
お金の問題では無いが、一晩でこれだけ稼げるならばと密かにほくそ笑んだ……。
ランプが徐々に上がってくるのが、心なしか遅く感じ、高野内はもどかしい気持ちで昇降ボタンを何度も押す。
「そんなに何度も押さなくても、エレベーターの来る時間は変わらないわよ」
「判ってるよ、そんなことぐらい」
やがて、エレベーターの到着するチャイムと共に、扉が音もなく開く。すぐさま乗り込むと、急いでレストラン街のフロアのあるボタンを押した。
誰も居ない籠の中で、ふたりは口を開くこともせず、ただ、じっと階数の表示されているランプに目を注いでいた。
レストラン街のフロアに到着すると扉が開いたと同時に二人は駆け出して、辺りを見廻す。当然というか、そこに美咲たちの姿は見えない。とりあえず、目についた店を片っ端から回ってみたが、やはり、どこにも見当たらない。ひょっとしたら従業員が憶えているかもしれないと、訊いて廻ったが、どこからもそれらしき情報を得ることは出来なかった。ランチの時間帯はどこも混雑するので、それは仕方がないが、驚くことに、あれだけ目立つデービッドの姿さえも、記憶にないとの事だった。おそらく、一緒に食事を取らず、店の前で待機していたのだろう。ある意味、ボディーガードとしては優秀なのかもしれないが、ここではそれが裏目に出た形となる。
「次はショッピング街に行ってみよう」
確か、ランチの後はショッピングに行くと北鳴門が言っていた。ふたりは、その下の階にあるショッピング街のホールに向かい、フロア中央の大きな階段を駆け降りた。
とりあえず、最初に目についたオシャレな化粧品店に足を向けると、昨夜、大野城エイラと一緒にいた副船長の飯田橋が、店から出てくるところだった。今日の彼は、ちゃんと制帽を被っているので職務中なのかもしれないが、もしかして恋人へのプレゼントを買いに来たのかもしれない。その相手が、大野城エイラでないことを願う高野内だった。
飯田橋と目が合うと、彼は近づいて来て、右手を差し出しながら握手を求めてきた。
「これはこれは高野内先生ではありませんか。昨日は失礼しました。もっと、お話を聞きたかったのですが、あいにくエイラはプライベートだったもので」
先生と呼ばれると、やっぱりこそばゆい。だが、今はそんな事よりも、飯田橋が大野城エイラのことを呼び捨てにしたのが気に掛かった。やっぱり二人は付き合っているのだろうか?
「こちらこそ失礼しました。せっかくのデートを邪魔してしまって」
高野内は探りを入れた。もし彼女が飯田橋の恋人でないのなら、否定するはずだ。もっとも、大野城エイラはトップアイドルなのだから、仮に否定したところで、スキャンダルを恐れて、本当の事を明かさない可能性もあるが、それでも、なんらかの反応が見込めそうだった。名探偵を名乗るだけあって、表情から心理状態を読み取ることを得意としていた。問題はその的中率の低さだが。
「デート? まあそんなところかな」
まさかの肯定。高野内の顔がみるみる引きつっていく。彼はショックを隠し切れずにいた。小夜子を見ると口元を押えて、必死に笑いをこらえている。
「ところでどうですか? この弥生丸の乗り心地は。船旅を満喫していますか?」
高野内は美咲たちのことを話すべきかどうか迷った。もし、打ち明ければ、スタッフが捜索してくれるだろうが、それでは、北鳴門との約束を破ることになる。探偵家業は信用が命。もちろん人の命と天秤にかけることはできないが、まだ彼女たちに危険が及んだとも限らない。飯田橋に報告するのは後回しにして、
「ええ、噂通り最高の船ですね」正直、今はそれどころではないが、「すっかり満足しています」と、高野内は当たり障りのない返事をした。
「それは何よりです。副船長としては、お客様に満足していただけることが、最高の喜びです」さり気なく手のひらを上に向けて、飯田橋は小夜子の方にその手を差し出す。「ところで、そちらの可愛らしいお嬢さんは娘さんですか?」
慌てて首を振る小夜子。
「いいえ、私は助手の峰ヶ丘といいます」
「そうでしたか。私はてっきり……これは失礼しました。それにしても、霧ヶ峰さんとは変わったお名前ですね。確かエアコンのCMで……」
「み・ね・が・お・か、です」小夜子は強調するように言った。「副船長だったら、人の話すことくらい、ちゃんと聞いてなさいよ」
「これは重ね重ね失礼しました。助手の峰ヶ丘さんですね。今度はちゃんと覚えました」
「よろしくお願いします」小夜子は口を尖らせた。
「お詫びにシャンパンを送らせてください。どちらのお部屋ですか?」
まさかD号とも言えない。もっとも副船長である飯田橋なら、乗客名簿をチェックして部屋番号を割り出すことくらい朝飯前だろう。
「いえいえ、それには及びません。急いでいますので、これで失礼します」
「そうですか。それは引き留めてしまって申し訳ございませんでした。やっぱりシャンパンを……」
「本当に大丈夫ですから!」
そう言って半ば強引にその場を離れ、美咲たちの捜索に戻った。
三軒目のネイルサロンに入ったところで携帯が鳴った。急いで取ると、北鳴門の明るい声が耳に入ってくる。
『高野内くんか。娘たちは今戻った、デービッドも一緒だ。心配かけて悪かった、何でも、ランチの後ショッピングには行かず、甲板で海を見ていたそうだ。食事の時にマナーモードにしていたことをうっかり忘れていたらしく、着信には気づかなかったらしい』
心配げな顔の小夜子に親指を立ててそれを伝えると、彼女は安心したのか、近くのベンチにフラフラと座り、ぐったりとしながら笑顔を浮かべている。
「無事で何よりです。二人とも怪我はありませんでしたか?」
『大丈夫だ。こうなったら、妻にも事情を説明して、取りあえず、今夜は部屋に籠らせようと思うのだが』
「それがいいと思います。正直いいますと、二通目の予告状が届く前は、お二人を別の部屋に避難させた方がいいと進言するつもりでしたが、今は彼女たちを二人きりにすると、かえって危険なような気がしていたんです」
『そこまで考えてくれていたのか。さすがは名探偵だな』
「ありがとうございます。……ですが、やはり船の方にも警備をお願いしてはいかがですか?」
『……心配してくれるのは有り難いが、それは出来ない。あれから考えたのだが『大事なもの』は、自宅や会社に思い当たる物がいくつかあった。そっちには、私から連絡しておくから、君たちは、今夜の警備に全力を尽くすために、体を休ませて欲しい。勝手に出歩いたりせずにな』
まるで高野内たちが、美咲たちを索していることを、判っているかのような口ぶりだ。
『それに、ここで騒ぎを大きくしては、今後の船旅が台無しになりかねないし、これ以上、他人に迷惑をかける訳にもいかんのでね』そこで通話が切れた。
のど元過ぎれば――か、調子のいいやつだ。
もし、シャッフルからダイヤを無事に守り切れば、報酬が十万円、即金で貰える約束だ。仮に、シャッフルのもうひとつの狙いが本当に美咲であるならば、彼女を守り切ることで、更なる報酬アップも期待できる。
お金の問題では無いが、一晩でこれだけ稼げるならばと密かにほくそ笑んだ……。