第4話
文字数 2,079文字
十月十四日。旅行四日目。
高野内は目覚ましのアラームの音で飛び起きた。時刻は九時。隣のベッドに小夜子の姿はなく、シャワーの音が聞こえてきた。昨夜はシャワーを浴びず、ふたりともそのままベッドに倒れ込んだ事を思い出す。目覚ましをセットした覚えがないので、きっと小夜子が掛けていたのだろう。そういえば、昨日も同じ時間にアラームを止めた覚えがある。
顔を洗い、備え付けのコーヒーメーカーでレギュラーを淹れたところで、小夜子がバスタオルで頭を拭きながら戻ってきた。高野内は淹れたてのコーヒーを差し出すと、小夜子はありがとうと受け取り、冷ましながら口をつける。
「ところで今日はどうするの?」
小夜子はコーヒー片手に窓辺に立ち、廊下しか見えない窓の横の壁にもたれかけながら訊いた。
「美咲たちの事が心配だが、そっちの方は飯田橋に任せるしかない。今はとりあえず何か情報が欲しい。――これから寺山田とデービッドに直接話を聞きにいきたいと思っている。できれば昨夜、事件の後に警報を聞いて駆け付けてきた船員たちにも」
「でもどうやって? まさか元のスイートの部屋にいるとも思えないし、ひょっとして何処かに軟禁されているのかも」
「さすがにそれは無いと思うが、飯田橋の監視下に置かれているのは間違いないだろうな。なにせ事件発生時に現場にいたんだから。――まあ、それに関しては、俺たちもそうなんだけどな」
「でも、私たちは、あの時ずっと広場のベンチにいたのよ。あの部屋の中にいたわけじゃないわ」
「それを飯田橋が信じてくれるかどうかは疑問だね。だってそれを証明するのは、たやすいことではないんだから。――仮に寺山田たちが正直に話してくれていたとしても、船員たちが駆け付けた時に、俺たちは実際に部屋の中にいたんだし」
「ひょっとしたらエイラさんが証言してくれるかも」
「エイラと話したのは十二時前の、ほんの五分程度だ。しかも彼女はすぐに部屋に帰ったから、仮に証言してくれたところでアリバイの証明にはならない……隣の部屋から怪しい物音を聞かなかったかぐらいは、訊かれるかもしれないが」
「でも、私たちには動機が無いわ」
「そんなもの、いくらでもでっち上げられるさ。……例えば、俺たちの正体は怪盗シャッフルで、宝石を盗むために忍び込んだが、北鳴門に見つかって思わずナイフで刺した……とか」
例の登山ナイフの件はあえて黙っていた。小夜子に余計な心配をさせたくはない。
「それなら、美咲ちゃんと妙子さんは、どうしていなくなったのかしら」
「それは……怪盗シャッフルが、実は北鳴門に相当強い恨みを持っていて、宝石だけじゃ飽き足らずに拉致したとか」
「あの状況でどうやって拉致したの?」
「それが謎なんだよな」高野内は、お手上げとばかりに肩を落とす。
「しっかりしてよ、名探偵」
「情報が少なすぎるんだよ。情報が」
「そうよね。まずは聞き込みから。捜査の基本よね」
「何だかすっかり探偵気取りだな」
「当然でしょう? 舞台は日本有数の豪華客船『弥生丸』、怪盗シャッフルからの予告状、盗まれたダイヤ、ナイフの刺さった死体。それに密室から煙のように消えた母娘。そして偶然そこに居合わせた、そこそこの探偵と優秀な助手。お膳立てはまさに揃っているじゃない? こんな機会なんて、まず無いわよ」
「そこは名探偵でいいだろう。なんだよ“そこそこの”探偵って。それに優秀な助手ってお前の事か?」
「他に誰がいるの? とにかく、このままじっとしていても始まらないわ。ここは行動あるのみよ!」
「ずいぶん楽しそうだな。やっぱり頭を診てもらった方がいいんじゃないか?」
「あなたもね。CTスキャンしたら脳みそ半分しかなかったりして」
「言ってくれるよ。まったく」
それからふたりは着替えを済ませて部屋を出た。――といっても、高野内は相変わらずヨレヨレのスーツだが。
部屋の前では弥生丸専用のデザインの制服を着ている背の高いがっしりとした警備員の男が立っており、ふたりが出てくると同時に鋭い目を向けてきた。腰には警棒と無線機を装着している。他の警備員と違い、なぜか制帽を被っていなかったが、それを指摘できる空気ではない。彼は丁寧な、それでいて威圧的な声を出した。
「どちらへお出かけですか?」
「寺山田さんたちと会いたいのですが、どちらに行けばいいでしょうか」
高野内はできるだけ穏やかな口調で尋ねてみる。
「申し訳ありませんが、副船長からの指示で、あなた方に会わせる事は出来かねます」
やっぱりそうだったか。しかし、ここは何としてでも彼らと話をしなければならない。
「でしたら、せめて飯田橋さんと話をさせてもらえますか? お時間は取らせませんので」
腕を組み、しばらく間を取った後、警備員は腰にある無線機を取って誰かと話すと、判りましたと事務所に案内してくれることになった。
道すがら「嵐が来ていますが、大船に乗ったつもりで安心してください」と警備員がジョークをかまし、ふたりは苦笑いをした。
高野内は目覚ましのアラームの音で飛び起きた。時刻は九時。隣のベッドに小夜子の姿はなく、シャワーの音が聞こえてきた。昨夜はシャワーを浴びず、ふたりともそのままベッドに倒れ込んだ事を思い出す。目覚ましをセットした覚えがないので、きっと小夜子が掛けていたのだろう。そういえば、昨日も同じ時間にアラームを止めた覚えがある。
顔を洗い、備え付けのコーヒーメーカーでレギュラーを淹れたところで、小夜子がバスタオルで頭を拭きながら戻ってきた。高野内は淹れたてのコーヒーを差し出すと、小夜子はありがとうと受け取り、冷ましながら口をつける。
「ところで今日はどうするの?」
小夜子はコーヒー片手に窓辺に立ち、廊下しか見えない窓の横の壁にもたれかけながら訊いた。
「美咲たちの事が心配だが、そっちの方は飯田橋に任せるしかない。今はとりあえず何か情報が欲しい。――これから寺山田とデービッドに直接話を聞きにいきたいと思っている。できれば昨夜、事件の後に警報を聞いて駆け付けてきた船員たちにも」
「でもどうやって? まさか元のスイートの部屋にいるとも思えないし、ひょっとして何処かに軟禁されているのかも」
「さすがにそれは無いと思うが、飯田橋の監視下に置かれているのは間違いないだろうな。なにせ事件発生時に現場にいたんだから。――まあ、それに関しては、俺たちもそうなんだけどな」
「でも、私たちは、あの時ずっと広場のベンチにいたのよ。あの部屋の中にいたわけじゃないわ」
「それを飯田橋が信じてくれるかどうかは疑問だね。だってそれを証明するのは、たやすいことではないんだから。――仮に寺山田たちが正直に話してくれていたとしても、船員たちが駆け付けた時に、俺たちは実際に部屋の中にいたんだし」
「ひょっとしたらエイラさんが証言してくれるかも」
「エイラと話したのは十二時前の、ほんの五分程度だ。しかも彼女はすぐに部屋に帰ったから、仮に証言してくれたところでアリバイの証明にはならない……隣の部屋から怪しい物音を聞かなかったかぐらいは、訊かれるかもしれないが」
「でも、私たちには動機が無いわ」
「そんなもの、いくらでもでっち上げられるさ。……例えば、俺たちの正体は怪盗シャッフルで、宝石を盗むために忍び込んだが、北鳴門に見つかって思わずナイフで刺した……とか」
例の登山ナイフの件はあえて黙っていた。小夜子に余計な心配をさせたくはない。
「それなら、美咲ちゃんと妙子さんは、どうしていなくなったのかしら」
「それは……怪盗シャッフルが、実は北鳴門に相当強い恨みを持っていて、宝石だけじゃ飽き足らずに拉致したとか」
「あの状況でどうやって拉致したの?」
「それが謎なんだよな」高野内は、お手上げとばかりに肩を落とす。
「しっかりしてよ、名探偵」
「情報が少なすぎるんだよ。情報が」
「そうよね。まずは聞き込みから。捜査の基本よね」
「何だかすっかり探偵気取りだな」
「当然でしょう? 舞台は日本有数の豪華客船『弥生丸』、怪盗シャッフルからの予告状、盗まれたダイヤ、ナイフの刺さった死体。それに密室から煙のように消えた母娘。そして偶然そこに居合わせた、そこそこの探偵と優秀な助手。お膳立てはまさに揃っているじゃない? こんな機会なんて、まず無いわよ」
「そこは名探偵でいいだろう。なんだよ“そこそこの”探偵って。それに優秀な助手ってお前の事か?」
「他に誰がいるの? とにかく、このままじっとしていても始まらないわ。ここは行動あるのみよ!」
「ずいぶん楽しそうだな。やっぱり頭を診てもらった方がいいんじゃないか?」
「あなたもね。CTスキャンしたら脳みそ半分しかなかったりして」
「言ってくれるよ。まったく」
それからふたりは着替えを済ませて部屋を出た。――といっても、高野内は相変わらずヨレヨレのスーツだが。
部屋の前では弥生丸専用のデザインの制服を着ている背の高いがっしりとした警備員の男が立っており、ふたりが出てくると同時に鋭い目を向けてきた。腰には警棒と無線機を装着している。他の警備員と違い、なぜか制帽を被っていなかったが、それを指摘できる空気ではない。彼は丁寧な、それでいて威圧的な声を出した。
「どちらへお出かけですか?」
「寺山田さんたちと会いたいのですが、どちらに行けばいいでしょうか」
高野内はできるだけ穏やかな口調で尋ねてみる。
「申し訳ありませんが、副船長からの指示で、あなた方に会わせる事は出来かねます」
やっぱりそうだったか。しかし、ここは何としてでも彼らと話をしなければならない。
「でしたら、せめて飯田橋さんと話をさせてもらえますか? お時間は取らせませんので」
腕を組み、しばらく間を取った後、警備員は腰にある無線機を取って誰かと話すと、判りましたと事務所に案内してくれることになった。
道すがら「嵐が来ていますが、大船に乗ったつもりで安心してください」と警備員がジョークをかまし、ふたりは苦笑いをした。