第1話
文字数 2,122文字
部屋の前に戻ると高野内はチャイムを鳴らす。カードキーは一枚しか用意されていないので、それを小夜子に渡していたからだ。ひょっとしたら、もう眠っているのかもと心配したが、ほどなくしてドアがすっと開いた。だが、小夜子は明らかに蒼い顔をしており、衣装はさっきまでと同じ薄紅色のイブニングドレスで、靴もハイヒールのままだった。どうやらシャワーも浴びず、服も着替えていないようだった。
「……ごめんなさい」
小夜子は弱々しく言葉を一言だけ呟くと、ふらつきながらもたれかかってきた。アルコールの匂いがしたが、別に酔っているわけでは無いらしい。彼女の体は寒空の仔猫のように震えている。
小夜子を支えながらベッドへと座らせ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、キャップを捻りながら渡した。
「一体何があったんだ!?」
安心させようと優しく声をかけたつもりだったが、それでも自然と声のボリュームが大きくなる。小夜子はペットボトルを傾けて、ひと息つくと、ゆっくりと話し出した。
「……判らない。エレベーターを降りて部屋に向かう途中に、突然、誰かに頭を殴られたの。後ろからだったから襲った人の顔は見ていないわ。男か女かも判らない。――それからしばらく意識を失っていたみたいで、ずいぶん経ってから気がついて、頭を抑えながらバッグを見ると、携帯とカードキーが無くなっていたの。慌てて部屋に行くと、カードキーはドアに差し込まれていたわ。――泥棒が入ったのかと思って恐る恐る中に入ると、幸いなことに誰もいなかった……」
そこまでしゃべると、小夜子は半分ほどになったミネラルウォーターを全て飲み切った。彼女の後頭部を慎重に触ってみると、なるほど、確かにコブが出来ている。小夜子は空になったペットボトルを、ベッドサイドのゴミ箱に捨てると、深呼吸をして息を整え、また話し出した。
「……何か盗まれたのかもしれないと荷物を見てみると、防犯グッズの入った袋が丸ごと消えていたの。部屋中を確認したけど、他には何も盗まれてはいなかったわ。宝石やアクセサリーにも手が付けられていないし……私、怖くてあなたに電話しようとしたけど、携帯が無くなっていたことを思い出して、独りで震えるしかなかったの」
涙ぐむ小夜子に、もう大丈夫だと力強く声をかけた。
小夜子を襲ったのは、怪盗シャッフルの仕業だろうか。
だとすれば、なぜ奴はカードキーを盗んでまで、防犯グッズの袋を奪ったのだろうか? あの中身は汎用品で、取り立てて重要な物があったとも思えない。――それにカードキーがドアに差し込んであったのも疑問だ。いくら深夜とはいえ、もし、誰かが部屋の前を通りでもしたら、不審に思われるだろうから、部屋に侵入した時に、カードは必ず抜いたはずだ。犯行を終えたなら、一刻も早く部屋を去らねばならないはずなに、何故わざわざカードを差し込んだのだろうか?
考えがまとまらず、まずは素直に頭を下げる。
「悪かった。お前を一人で帰したのは俺のミスだ。ボディーガード失格だな……だがお前が無事で本当に良かった」
小夜子の肩をそっと引き寄せ、震える指先を優しく包む。
「本気で心配してくれてるの?」
「当然じゃないか。お前は俺のパトロンだからな」
「またそんな事いって」
「頭はまだ痛むかい?」
「少しズキズキするけど、もう大丈夫よ」
「そうか。念のために、明日は朝から医務室で診てもらって、一日中、部屋で安静にしておいた方がいい。ダイヤの警備は俺一人でも充分だ。何せ通路を見張っているだけでいいんだからな」
「それは駄目。あなた一人では心配だわ」
「うるさいのがいなくて、却ってやり易いよ。それに忘れているかもしれないが、これでもプロの探偵なんだぜ」
「……あら、ただのヒモじゃなかったの? さっき自分で言っていたじゃない『お前は俺のパトロンだ』ってね」
「そんな事言ったっけ?」
「あら、もうボケているのかしら。私よりもあなたが診てもらった方がいいんじゃないの?」
「……考えておくよ。だから今は休んでいろ。一緒にいてあげるから」
小夜子が横になるのを見て、高野内はシャワーを浴びることにした。
脱ぎかけたシャツを一旦戻し、「そういえば、もう防犯グッズは無いんだろう。俺は外で寝ようか?」と、振り返ってベッドに横になっている小夜子に声を掛けた。
「その必要はないわ。そのままベッドで寝て」
「いいのか?」
「今夜は特別よ」
「じゃあ、明日からは?」
小夜子の声が途切れると、やがて、わざとらしい、いびきが聞こえてきた。
呆れながらシャワールームに入ると、熱めの湯を浴びながら壁に手を突き、そっとまぶたを閉じる。
強がりを見せていたが、きっと不安な気持ちでいっぱいに違いない。明日の警備もあるが、今夜は徹夜で見守ってあげよう。
やがて、シャワーを終えて出てくると、小夜子は静かな寝息を立てていた。自分のベッドに腰を下ろし、起こさないようにゆっくりと顔を覗き込むと、安らかな寝顔を浮かべていた。
なんとも言いようのない感情がこみ上げてきたが、今は何も考えないように努めるしかなかった……。
「……ごめんなさい」
小夜子は弱々しく言葉を一言だけ呟くと、ふらつきながらもたれかかってきた。アルコールの匂いがしたが、別に酔っているわけでは無いらしい。彼女の体は寒空の仔猫のように震えている。
小夜子を支えながらベッドへと座らせ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、キャップを捻りながら渡した。
「一体何があったんだ!?」
安心させようと優しく声をかけたつもりだったが、それでも自然と声のボリュームが大きくなる。小夜子はペットボトルを傾けて、ひと息つくと、ゆっくりと話し出した。
「……判らない。エレベーターを降りて部屋に向かう途中に、突然、誰かに頭を殴られたの。後ろからだったから襲った人の顔は見ていないわ。男か女かも判らない。――それからしばらく意識を失っていたみたいで、ずいぶん経ってから気がついて、頭を抑えながらバッグを見ると、携帯とカードキーが無くなっていたの。慌てて部屋に行くと、カードキーはドアに差し込まれていたわ。――泥棒が入ったのかと思って恐る恐る中に入ると、幸いなことに誰もいなかった……」
そこまでしゃべると、小夜子は半分ほどになったミネラルウォーターを全て飲み切った。彼女の後頭部を慎重に触ってみると、なるほど、確かにコブが出来ている。小夜子は空になったペットボトルを、ベッドサイドのゴミ箱に捨てると、深呼吸をして息を整え、また話し出した。
「……何か盗まれたのかもしれないと荷物を見てみると、防犯グッズの入った袋が丸ごと消えていたの。部屋中を確認したけど、他には何も盗まれてはいなかったわ。宝石やアクセサリーにも手が付けられていないし……私、怖くてあなたに電話しようとしたけど、携帯が無くなっていたことを思い出して、独りで震えるしかなかったの」
涙ぐむ小夜子に、もう大丈夫だと力強く声をかけた。
小夜子を襲ったのは、怪盗シャッフルの仕業だろうか。
だとすれば、なぜ奴はカードキーを盗んでまで、防犯グッズの袋を奪ったのだろうか? あの中身は汎用品で、取り立てて重要な物があったとも思えない。――それにカードキーがドアに差し込んであったのも疑問だ。いくら深夜とはいえ、もし、誰かが部屋の前を通りでもしたら、不審に思われるだろうから、部屋に侵入した時に、カードは必ず抜いたはずだ。犯行を終えたなら、一刻も早く部屋を去らねばならないはずなに、何故わざわざカードを差し込んだのだろうか?
考えがまとまらず、まずは素直に頭を下げる。
「悪かった。お前を一人で帰したのは俺のミスだ。ボディーガード失格だな……だがお前が無事で本当に良かった」
小夜子の肩をそっと引き寄せ、震える指先を優しく包む。
「本気で心配してくれてるの?」
「当然じゃないか。お前は俺のパトロンだからな」
「またそんな事いって」
「頭はまだ痛むかい?」
「少しズキズキするけど、もう大丈夫よ」
「そうか。念のために、明日は朝から医務室で診てもらって、一日中、部屋で安静にしておいた方がいい。ダイヤの警備は俺一人でも充分だ。何せ通路を見張っているだけでいいんだからな」
「それは駄目。あなた一人では心配だわ」
「うるさいのがいなくて、却ってやり易いよ。それに忘れているかもしれないが、これでもプロの探偵なんだぜ」
「……あら、ただのヒモじゃなかったの? さっき自分で言っていたじゃない『お前は俺のパトロンだ』ってね」
「そんな事言ったっけ?」
「あら、もうボケているのかしら。私よりもあなたが診てもらった方がいいんじゃないの?」
「……考えておくよ。だから今は休んでいろ。一緒にいてあげるから」
小夜子が横になるのを見て、高野内はシャワーを浴びることにした。
脱ぎかけたシャツを一旦戻し、「そういえば、もう防犯グッズは無いんだろう。俺は外で寝ようか?」と、振り返ってベッドに横になっている小夜子に声を掛けた。
「その必要はないわ。そのままベッドで寝て」
「いいのか?」
「今夜は特別よ」
「じゃあ、明日からは?」
小夜子の声が途切れると、やがて、わざとらしい、いびきが聞こえてきた。
呆れながらシャワールームに入ると、熱めの湯を浴びながら壁に手を突き、そっとまぶたを閉じる。
強がりを見せていたが、きっと不安な気持ちでいっぱいに違いない。明日の警備もあるが、今夜は徹夜で見守ってあげよう。
やがて、シャワーを終えて出てくると、小夜子は静かな寝息を立てていた。自分のベッドに腰を下ろし、起こさないようにゆっくりと顔を覗き込むと、安らかな寝顔を浮かべていた。
なんとも言いようのない感情がこみ上げてきたが、今は何も考えないように努めるしかなかった……。