解説 宇都宮銀乃助(推理作家)

文字数 3,783文字

                   解 説
                               宇都宮銀乃助(推理作家)

「なんという刺激的な作品だ!」
 これが本作、『名探偵、超苦難』(以下、超苦難)を読了し終えた時の、ファーストインプレッションだった。
 これまでの、どの作家において、これを越えるほどのインパクトのある魅力的な作品を、私は読んだことが無いし、これからもその機会が訪れることはまずないだろう。
 普段から小説を含めて、あらゆる書籍を一度しか読まないこの私が、三度以上読み返した作品は、このシリーズ以外ここ二十年の間に一冊も記憶が無い。
 この作品のどこが素晴らしいのか?
 一言でいうのは難しいが、あえて例えるならば作品の独自性であろう。
 個性的でクセのある、それでいてどこか憎めないキャラクターの数々。彼らのウイットに富んだ会話や、小粋でおしゃれなジョーク。ジェットコースターのようにハラハラドキドキさせられる展開や、ユーモアあふれる様々な場面は実に新鮮で、極めつきは散々焦らしておいて一気に訪れる三つの謎。そして衝撃的などんでん返しの後の見事なラストシーン(この時点で、もう一つのエピローグは読んでいない)。どれをとっても素晴らしい以外の言葉が見つからず、まるで極上の映画を見ているような感覚であった。
 百ページを超える大作(鈴木氏にとってはだが)にもかかわらず、途中で一度も飽きるということはなく、むしろページをめくる手が止まらなくなるという、一種の麻薬的な快楽が超苦難という作品には確かに存在していると断言せざるを得ない。

 ここで作者である鈴木氏の作品を簡単に振り返ってみることにしよう。
 苦難シリーズの第一作である『名探偵、苦難』(以下、苦難)は十ページほどの短編ながら、斬新な作品であった。
 従来のミステリー作品とは異なり、事件はすでに終わった状態から始まっていて、推理がまとまらないうちに、謎の真相を解明しなければならないという今シリーズの主役である高野内和也は、探偵としていきなり窮地に立たされる。中途半端な推理を並べ立て、犯行の可能性を徐々に絞っていく。事件の背景を知らされていない読者は、高野内と一緒になって困難に立ち向かっていくという発想は、まさに目から鱗であった。それは作者である鈴木浩一郎(当時のペンネーム)氏の才能が垣間見られた瞬間でもある。
 続く二作目の『名探偵、大苦難』(以下、大苦難)では、前作の二倍程のページ数を費やし、導入部こそ通常のミステリー小説らしく高野内の登場から始まり、その他の登場人物の紹介、事件の発生、そして情報集めしてからの推理シーンなど、一見、セオリー通りに話が進むと思いきや、前作と同様、鈴木氏はそこに読者の思いもよらぬ展開をちゃんと用意していた。詳しくは苦難、大苦難を読み返してほしいが、事件解決に至るまでのプロセスや、知的でシュールな台詞の数々、そして、なんといっても大胆で画期的なトリックは、正直、度肝を抜かされた。長年ミステリー作品を発表し続けているこの私であってさえも、鈴木氏のセンスには脱帽せざるを得ない。

 そして、その集大成となるのが今回の超苦難である。
 恥を忍んで告白するが、この作品を手に取った時は、不安で仕方なかった。苦難、大苦難と私を魅了し続けた後、ほぼ間髪入れずに完成されたこの作品は、前作ほどの衝撃的な驚きは期待できないだろうと思っていたからだ。
 ところが、いざ蓋を開けてみると、それは杞憂であった。
 本作から新登場のキャラクターである峰ヶ丘小夜子と、主人公高野内和也との絡みは実に巧妙で、物語の味を一層深めるのに成功している。他にも北鳴門家のいかにも怪しいメンバーや、コテコテの関西人である松矢野、不審な行動を取る副船長の飯田橋。そして高野内憧れのグラビアアイドル大野城エイラ……それぞれがうまく調和していて作品に華を添えている。彼のアイデアは枯渇する事はないのだろうかと、逆に心配するほどだ。
 文章表現も巧みだ。
 一見ベタな展開。例えば、導入部分でさり気なくエイラの登場を匂わせたり、天真爛漫で無邪気なはずの美咲が、どこか謎めいていたり、高野内たちに忍びよる不気味な影など。そして、それは怪盗であったり、予告状であったり、寒いギャグであったり、幼稚と思える英語タイトルであったり……。だが、それらは、全て彼の計算である事に気付いた読者はどれくらいいるだろうか? この作品を読んで、中学生レベルの作文の印象を持ったり、ありがちな展開だと感じた時点で、鈴木氏の罠に嵌められているのである。

 鈴木作品ならではのファンサービスとしての楽しみも当然あり、(これは超苦難に限った事ではないが)、本作とは全く関係のない、過去の作品の話題が登場したりすると、思わず顔がにやけてしまうのも作品の魅力の一つだ。

 読み終えた瞬間に、前作と同じくらい、いや、それ以上の満足感がそこには確かにあった。それは決して言い過ぎではなく、本気で鈴木氏の才能ぶりに嫉妬を憶えたほどである。
 手前味噌になるが、私の作品は過去にいくつもの賞を取り、映画やドラマ化されたものも数えきれないほどある。ミステリー界においては、私の右に出る者はいないとまで言われたほどだ。
 そんな私が、こんなに感銘を受けた作家は、鈴木氏をおいて他にはいないと断言しよう。

 彼の天才ぶりはミステリーだけに留まらない。元々、鈴木氏はショート作品を中心に執筆活動をしており、苦難シリーズ以外では意外なほど短い作品を連発している。ジャンルも多岐に渡ってだ。ジュブナイル的な作品から、男女の切ない恋愛模様を描いていたり、時にはハードボイルド、時にはホラー、時にはコミカル全開と、そのあふれ出る才能は、ついぞ枯れることを知らない。特に印象深い作品をいくつか挙げるとすれば、『明日からのメール』、『百円の殺し屋』、『ボイラー技士、最後の仕事』、『エクステンド・ラッキーボーイ』、『世界の中心で、端を掴む』(いずれも短編集『陽だまりの引きこもり』に収録)だろうか。
 詳しい内容はここでは敢えて省略するが、どの作品にもユーモアがあり、それでいて、どこか人間の本質を鋭くえぐるような心地よさが垣間見える。特に名作とされる『冷やし中華奇譚』は、彼が本格的に執筆活動を始めてから、わずか二作目というから恐れ入る。
 その他にもヒーロー物の『キョセイBの憂鬱』や、社会派の『ゆとりモンスター』、冒険ファンタジーの『シリアルナイト・シニカルモンスター』、SF物の『宇宙船HIROMI号』そして問題作である『何とかなる子』(共に短編集『君の髄液を飲みたい』及び、エッセイ集『何となく滝川クリステル第二集』に収録)などにみられる、一見、実験作に見えながらも、その完成度は他の作家の追随を許さない。中には『ある夜汽車での残夢』、『十二時間睡眠の殺人』(共に単行本未収録)といった完成度の低い作品もあるが、総じて私の思考レベルは鈴木氏のそれと比べても、遠く及ばないことはここだけの秘密だ(笑)。

 話を超苦難に戻すと、確かに気にならない箇所が無い訳でもない。
 これは鈴木氏自身が“あとがき”で述べていることだが、前半の快適さに比べると、第八章以降の推理のシーンは、いささかもたついている印象がある。事件の謎が膨大すぎて、解決に至る展開にややテンポの悪さを感じるのだ。
 あと、これも鈴木氏のあとがきにあるように、シリーズ定番の時間稼ぎや、行き当たりばったりの推理が無かったのも、苦難ファンの私としては残念なところ。
 他にも微々たるところだが、プロローグの逸話のシーンやエピローグの詩の引用のところも、若干の蛇足感は否めない。
 アマチュア作品だとしても、未熟な表現や粗削りな構成がみられ、推敲して欲しい箇所もいくつか見受けられる。だが、それも鈴木氏の魅力の一部分であり、今後の伸びしろとして期待したい。
 しかしながら、それはこの作品において欠点ではなく、むしろ圧倒的なオリジナリティとしての、孤高の作品に繋がったと私は評価している。超苦難においての(鈴木氏の意図はともかく)ちぐはぐな文章さえも、バランスの上ではちょうど良かったのではないかとさえ思うのは私だけだろうか。
 あとがきによると、既に次回作『名探偵、苦難。小夜子編(仮)』の構想に取り掛かっているという事なので(この原稿を書いている段階では、まだ完成していないらしい)今から楽しみで仕方がない。きっと、そこには新たなる興奮が待ち受けていることを確信している。
 そして今後は最強のライバルになるであろう鈴木氏に最大級のエールを送りたい。

 私は幸せであり、同時に不幸でもある。
 苦難シリーズという、偉大なる作品に出合えた喜びと、(同業者である私としては)彼を越えなければならないという高すぎるハードルが待ち受ける“苦難”。
 その喜びの部分だけを味わえることのできる幸福な一般の読者の方々は、この天才に惜しみない拍手を送ってもらいたい。
 ついでに私の作品にも少しは興味を持っていただくと……いやいや、それは別の話か(笑)。 
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