第2話
文字数 2,566文字
コンビニを出たふたりは、それぞれウインドーショッピングを楽しんだ後、レストラン街に昇る事にした。正直いって、まだ空腹を感じなかったが、今夜の怪盗シャッフルとの対決に向けて、無理矢理にでもスタミナをつけておかなければならない。
どこに入ろうかと、ゆらゆら散策していると、途中でかっぱ寿司専門店の看板が目に入った。昼間、美咲たちを探している時にたまたま見かけ、その時、少しだけ興味を引かれたのを覚えているが、今はのれんをくぐる気にはなれなかった。小夜子が和食レストランの前で止まり、簡単な協議の末、そこに入ることにした。
メニューをめくり、スタミナといえばということで、ふたりとも“うな重”を注文する。
現金なもので、いざ、うな重を目の前にすると、香ばしいタレの匂いにお腹が悲鳴を上げた。昼間の反省からか、今度は共にかしこまった箸使いで丁寧に口を動かす。箸の持ち方を小夜子にたしなめられたが、一向に直そうとはしない。
「最後の晩餐になるかもしれないわね」冗談なのか本気なのか分からない口ぶりだった。小夜子の表情からも読み取れない。
「不吉なこというなよ。せっかくのうな重が不味くなるじゃないか」
最後の晩餐という言葉は、高野内の頭にも浮かんでいた。もしも小夜子が発しなかったら、高野内自身が言っていたかもしれない。
最初はあれだけ美味しかったうな重も、後半の方になると段々味がしなくなっていたのは、満腹のせいだけではない。
ニ十分程でようやく完食すると、食後の緑茶を嗜みながら一息ついた。
張り詰めた気まずい空気が流れる。思い詰めている高野内に、小夜子は声を出せずにいたようだった。
ぽつりと、「……なあ、今夜の事だけど」高野内は真剣な顔で口を開く。
「なあに?」
「やっぱり、俺ひとりでやるからお前は部屋にいろ!」
「その話は今朝、決着がついたでしょう。手柄を独り占めしようたって、そうはいかないわ」
「あの時とは状況が違う。もちろん昨夜の事もあるが、二通目の予告状で美咲も狙われている可能性が出てきただろ。正直、これまでシャッフルのことを単独犯だと思っていた。しかし、もしダイヤと共に、あの子もターゲットになっているとしたら、犯行は一人では難しいだろうな。奴らは二人、もしくはそれ以上の人数で、あの部屋を襲うつもりなのかもしれない。――そうなると、とてもじゃないけど、お前の身を守ってやれる保証はない」
高野内は本気だった。小夜子を危険な目に合わせたくない。夕陽を眺めながら、おぼろげに込み上げてきた思いは、今、確信に変わっている。
「いいえ、私も行きます。だってあなたの助手なんですもの」
「それは、お前が勝手に言い出したことだ。助手にした覚えはない」
「どうして? 私も美咲ちゃんを守りたいの。もちろんダイヤもだけど」
小夜子の気持ちは痛いほど伝わってくる。しかし、高野内としてはどうしても譲れなかった。
「駄目だ! お前の気持ちは判らなくもないが、正直言って足手まといだ。それにもう武器は無いんだろ? だったらお前なんか邪魔でしかないんだよ!」
高野内は拳でテーブルを叩く。
辺りが静まり、周りの客たちの視線が集まり出した。
「もし、あなたひとりで警備に着くなら、今回の依頼は帳消しよ。もちろん報酬はゼロ。それでもいいの?」
「ああ、もちろんだ。わがままなお嬢様のお守は、もう勘弁してくれ。今夜の仕事を終えたら次の港で降りる」
「また私が襲われたならどうするの?」
「そんなの知るか! 自分の身は自分で守れ!!」興奮して体中に熱が帯びるのを感じる。一先ず冷静になるために、お茶を飲むが、それでも気持ちは落ち着かなかった。「一つアドバイスだ、一日中部屋に籠って、食事はルームサビースで済ませろ。それなら襲われる心配はない」
だが、高野内は確信している。今後、小夜子が襲われる事はまず無いだろう。彼女を襲った犯人は、今夜の件と関係がある人物だ。わざわざ部屋まで侵入しておいて、金目の物には手を付けずに、防犯グッズの入った袋だけを盗ったのがその証拠だ。それが怪盗シャッフルなのかどうかは、まだ分からないが、今夜が過ぎれば、もう彼女に危険が及ぶことは恐らくないだろう。
小夜子は目を細めた。「それ、本気で言っているの?」
「もちろん本気だ。――お前の顔なんかもう見たくない。ガキはとっとと部屋に帰って布団被って寝ろ。俺はロビーで寝る。金輪際、部屋には戻らない」
「ひょっとして、エイラさんの事でまだ怒っているの? ごめんなさい、私もやり過ぎたわ」
「彼女の事は関係ない」
「そう……」虚ろな目でゆっくり溜息を吐くと、真剣な顔でいった。「最後にもう一度だけ訊くわ。あなた、本当にそれでいいのね」
「さっきからそう言ってるだろ! 大酒飲みの不良娘のマヌケな顔を見なくて済むと思うと、せいせいするぜ!」
「……判ったわ」
小夜子は席を立ち、つかつかと高野内の前に立つと、突然バチンという乾いた音が響き渡った。
一瞬、時が止まり、昨日とは別の意味で店中の視線がふたりに集まった。歳の離れたカップルの痴話げんかだと思われたのか、やがて全員、何事もなかったかのように動きを再開した。
店を出て行く小夜子に、敢えて憎まれ口を叩く。
「おい、寝小便するなよ」
小夜子は背中を向けたまま立ち止まり、右腕を水平に揚げると、握りこぶしに親指を立て、その指を下に向ける。
そして彼女は視界から消え去った――。
ひとり残った高野内は、熱くなった頬を少しだけさすり、僅かに残ったお茶を飲み干すと、店を出て、すぐさまバーのドアを開けた。本当は高架線下のうらぶれた居酒屋がちょうど良かったのだが、あいにくこの船には、そんな下衆な店などあるはずがない。今の彼にこじゃれたバーなんて似合わないのだ。
現在は夜の八時五十六分。約束の時間が十一時だから、まだ二時間ほどある。これまで仕事前にアルコールを飲んだことは無かったが、今の高野内は、死んだような目で二杯目のバーボンを傾けている。
灰皿には四本目の吸殻が白い煙を揺らし、やがて三杯目のグラスが空になると、ゆっくりと席を離れ、ふたりで夕陽を眺めた、あの展望デッキに向かった。
どこに入ろうかと、ゆらゆら散策していると、途中でかっぱ寿司専門店の看板が目に入った。昼間、美咲たちを探している時にたまたま見かけ、その時、少しだけ興味を引かれたのを覚えているが、今はのれんをくぐる気にはなれなかった。小夜子が和食レストランの前で止まり、簡単な協議の末、そこに入ることにした。
メニューをめくり、スタミナといえばということで、ふたりとも“うな重”を注文する。
現金なもので、いざ、うな重を目の前にすると、香ばしいタレの匂いにお腹が悲鳴を上げた。昼間の反省からか、今度は共にかしこまった箸使いで丁寧に口を動かす。箸の持ち方を小夜子にたしなめられたが、一向に直そうとはしない。
「最後の晩餐になるかもしれないわね」冗談なのか本気なのか分からない口ぶりだった。小夜子の表情からも読み取れない。
「不吉なこというなよ。せっかくのうな重が不味くなるじゃないか」
最後の晩餐という言葉は、高野内の頭にも浮かんでいた。もしも小夜子が発しなかったら、高野内自身が言っていたかもしれない。
最初はあれだけ美味しかったうな重も、後半の方になると段々味がしなくなっていたのは、満腹のせいだけではない。
ニ十分程でようやく完食すると、食後の緑茶を嗜みながら一息ついた。
張り詰めた気まずい空気が流れる。思い詰めている高野内に、小夜子は声を出せずにいたようだった。
ぽつりと、「……なあ、今夜の事だけど」高野内は真剣な顔で口を開く。
「なあに?」
「やっぱり、俺ひとりでやるからお前は部屋にいろ!」
「その話は今朝、決着がついたでしょう。手柄を独り占めしようたって、そうはいかないわ」
「あの時とは状況が違う。もちろん昨夜の事もあるが、二通目の予告状で美咲も狙われている可能性が出てきただろ。正直、これまでシャッフルのことを単独犯だと思っていた。しかし、もしダイヤと共に、あの子もターゲットになっているとしたら、犯行は一人では難しいだろうな。奴らは二人、もしくはそれ以上の人数で、あの部屋を襲うつもりなのかもしれない。――そうなると、とてもじゃないけど、お前の身を守ってやれる保証はない」
高野内は本気だった。小夜子を危険な目に合わせたくない。夕陽を眺めながら、おぼろげに込み上げてきた思いは、今、確信に変わっている。
「いいえ、私も行きます。だってあなたの助手なんですもの」
「それは、お前が勝手に言い出したことだ。助手にした覚えはない」
「どうして? 私も美咲ちゃんを守りたいの。もちろんダイヤもだけど」
小夜子の気持ちは痛いほど伝わってくる。しかし、高野内としてはどうしても譲れなかった。
「駄目だ! お前の気持ちは判らなくもないが、正直言って足手まといだ。それにもう武器は無いんだろ? だったらお前なんか邪魔でしかないんだよ!」
高野内は拳でテーブルを叩く。
辺りが静まり、周りの客たちの視線が集まり出した。
「もし、あなたひとりで警備に着くなら、今回の依頼は帳消しよ。もちろん報酬はゼロ。それでもいいの?」
「ああ、もちろんだ。わがままなお嬢様のお守は、もう勘弁してくれ。今夜の仕事を終えたら次の港で降りる」
「また私が襲われたならどうするの?」
「そんなの知るか! 自分の身は自分で守れ!!」興奮して体中に熱が帯びるのを感じる。一先ず冷静になるために、お茶を飲むが、それでも気持ちは落ち着かなかった。「一つアドバイスだ、一日中部屋に籠って、食事はルームサビースで済ませろ。それなら襲われる心配はない」
だが、高野内は確信している。今後、小夜子が襲われる事はまず無いだろう。彼女を襲った犯人は、今夜の件と関係がある人物だ。わざわざ部屋まで侵入しておいて、金目の物には手を付けずに、防犯グッズの入った袋だけを盗ったのがその証拠だ。それが怪盗シャッフルなのかどうかは、まだ分からないが、今夜が過ぎれば、もう彼女に危険が及ぶことは恐らくないだろう。
小夜子は目を細めた。「それ、本気で言っているの?」
「もちろん本気だ。――お前の顔なんかもう見たくない。ガキはとっとと部屋に帰って布団被って寝ろ。俺はロビーで寝る。金輪際、部屋には戻らない」
「ひょっとして、エイラさんの事でまだ怒っているの? ごめんなさい、私もやり過ぎたわ」
「彼女の事は関係ない」
「そう……」虚ろな目でゆっくり溜息を吐くと、真剣な顔でいった。「最後にもう一度だけ訊くわ。あなた、本当にそれでいいのね」
「さっきからそう言ってるだろ! 大酒飲みの不良娘のマヌケな顔を見なくて済むと思うと、せいせいするぜ!」
「……判ったわ」
小夜子は席を立ち、つかつかと高野内の前に立つと、突然バチンという乾いた音が響き渡った。
一瞬、時が止まり、昨日とは別の意味で店中の視線がふたりに集まった。歳の離れたカップルの痴話げんかだと思われたのか、やがて全員、何事もなかったかのように動きを再開した。
店を出て行く小夜子に、敢えて憎まれ口を叩く。
「おい、寝小便するなよ」
小夜子は背中を向けたまま立ち止まり、右腕を水平に揚げると、握りこぶしに親指を立て、その指を下に向ける。
そして彼女は視界から消え去った――。
ひとり残った高野内は、熱くなった頬を少しだけさすり、僅かに残ったお茶を飲み干すと、店を出て、すぐさまバーのドアを開けた。本当は高架線下のうらぶれた居酒屋がちょうど良かったのだが、あいにくこの船には、そんな下衆な店などあるはずがない。今の彼にこじゃれたバーなんて似合わないのだ。
現在は夜の八時五十六分。約束の時間が十一時だから、まだ二時間ほどある。これまで仕事前にアルコールを飲んだことは無かったが、今の高野内は、死んだような目で二杯目のバーボンを傾けている。
灰皿には四本目の吸殻が白い煙を揺らし、やがて三杯目のグラスが空になると、ゆっくりと席を離れ、ふたりで夕陽を眺めた、あの展望デッキに向かった。