第3話
文字数 1,695文字
レストランを出ると、今度は映画館へ向かった。スケジュール表によると丁度アメリカ映画の『ザ・スティング』が上映される時間だった。名優と名高いロバート・レッドフォードとポール・ニューマンが主演のモノクロ映画で、以前ビデオを観て気に入っていたが、どうやら小夜子はまだらしく、高野内のお勧めもあって、これに時間を合わせたのだった。しかし実際には、目的の映画館を探すのに手間取り、やっと着いた頃には上映時間ギリギリ。本当はビールやポップコーンなども買いたかったが、そんな余裕はなく、行列の並ぶ売店を横目に、暗い館内へ身を投じた。
上映が始まると、高野内はストーリーを思い出しながら字幕を追っていたが、小夜子の方は、時々、彼の判らないタイミングで笑い声を上げていく。きっと英語が聞き取れるのだろう。まさかそんな事を自慢したくてこの映画を選んだわけでもないのだろうが、なんだか、ばつが悪くなって、小夜子に半分背を向けると、小さくなりながら鑑賞した。
やがて上演が終わると、出口に人の波が押し寄せる。もみくちゃになりながら、高野内は薄い暗闇の中である人物を見かけた。
「あっ!」思わず感嘆の声を上げる。
「え? どうしたの?」
だが、その人物は瞬く間に大勢の人の中へと沈んでいった。
「ごめん。ちょっと知っている人を見かけたけど、他人の空似だったようだ」
そうだ。まさかあの人がここにいる訳がない。高野内は自分の拳で頭を小突く。
ふたりは帰りのエレベーターを目指して歩いた。さすがに疲れたのか、小夜子は欠伸を連発し、その都度、自分の頬を叩いて意識を保とうとしている。
やがて部屋に着くと、小夜子はそのままバスルームに入った。十分ほどでシャワーの音が止み、黄色のトレーナーに紺色のジャージ姿で、髪をバスタオルで拭きながら出てくると、洗面台の前に立つ。
「ねえ、あなたもシャワー浴びてきたら?」
今度は鏡を見ながらドライヤーをあてる。
「ああ、そうするよ」
高野内はシャワールームに入ると、蛇口をひねり、少し熱めのお湯を浴びながら、レストランで声を掛けてきた、ビジネスマン風の男の事を思い出していた。
あの北鳴門とかいう男の言っていた相談とは、一体どんな内容なのだろうか? 探偵だと判った上での話なのだから、なにかトラブルを抱えているのかもしれない。
『もしかすると仕事の依頼かもよ』小夜子の言葉が頭をよぎる。もし、小夜子の言う通り、仕事の話であったならば、どうしたものだろう。嫌なら断ればいいし、引き受けるにしても、どうせこの旅行が終わってからの事になるだろうから、この船旅に支障は無いわけだ。どのみち、次の仕事の予定は何も決まっていない。だとすれば、話だけでも聞いてみる価値があるのかもしれない。退屈しのぎにもなるし、わがままなガキの相手をするよりは、よっぽどマシだ。
腹を決めると、今度はどうやって、この自称探偵助手を撒くか、考えを巡らせていく。さすがに彼女を連れて行く訳にはいかない。
妙案が浮かばないままシャワーを終え、棚に置いてあった備え付けのガウンを羽織ると、高野内は、ベッドで横になっている小夜子に話しかけた。
「なあ、明日の事なんだけど……」
すると小夜子の寝息が静かに聞こえてきた。
小夜子の足元でくしゃくしゃになっている毛布を広げて、彼女に掛けようとすると、その手にはしっかりと防犯ブザーとスタンガンが握られているのが見えた。
「おいおい、もし寝ぼけて自分に当てたらどうするんだ」
軽く呟くと、それを見なかったことにして、慎重に毛布を被せる。それからカードキーを手にし、そっと部屋を出た。
通路の先にあるエレベーターに乗り、甲板に上がると、隅にある喫煙所で煙草に火をつける。
満天の星空に、吐き出した煙草の煙がゆっくりと広がり――そして消えていく。
「小夜子の奴、いい気なもんだぜ。まったく」
吸殻を灰皿でもみ消すと、ゆっくりと重い足取りで部屋へと戻っていった。
その後姿を黒い影が密かに見つめていたが、自称名探偵はその視線に気づくことはなかった……。
上映が始まると、高野内はストーリーを思い出しながら字幕を追っていたが、小夜子の方は、時々、彼の判らないタイミングで笑い声を上げていく。きっと英語が聞き取れるのだろう。まさかそんな事を自慢したくてこの映画を選んだわけでもないのだろうが、なんだか、ばつが悪くなって、小夜子に半分背を向けると、小さくなりながら鑑賞した。
やがて上演が終わると、出口に人の波が押し寄せる。もみくちゃになりながら、高野内は薄い暗闇の中である人物を見かけた。
「あっ!」思わず感嘆の声を上げる。
「え? どうしたの?」
だが、その人物は瞬く間に大勢の人の中へと沈んでいった。
「ごめん。ちょっと知っている人を見かけたけど、他人の空似だったようだ」
そうだ。まさかあの人がここにいる訳がない。高野内は自分の拳で頭を小突く。
ふたりは帰りのエレベーターを目指して歩いた。さすがに疲れたのか、小夜子は欠伸を連発し、その都度、自分の頬を叩いて意識を保とうとしている。
やがて部屋に着くと、小夜子はそのままバスルームに入った。十分ほどでシャワーの音が止み、黄色のトレーナーに紺色のジャージ姿で、髪をバスタオルで拭きながら出てくると、洗面台の前に立つ。
「ねえ、あなたもシャワー浴びてきたら?」
今度は鏡を見ながらドライヤーをあてる。
「ああ、そうするよ」
高野内はシャワールームに入ると、蛇口をひねり、少し熱めのお湯を浴びながら、レストランで声を掛けてきた、ビジネスマン風の男の事を思い出していた。
あの北鳴門とかいう男の言っていた相談とは、一体どんな内容なのだろうか? 探偵だと判った上での話なのだから、なにかトラブルを抱えているのかもしれない。
『もしかすると仕事の依頼かもよ』小夜子の言葉が頭をよぎる。もし、小夜子の言う通り、仕事の話であったならば、どうしたものだろう。嫌なら断ればいいし、引き受けるにしても、どうせこの旅行が終わってからの事になるだろうから、この船旅に支障は無いわけだ。どのみち、次の仕事の予定は何も決まっていない。だとすれば、話だけでも聞いてみる価値があるのかもしれない。退屈しのぎにもなるし、わがままなガキの相手をするよりは、よっぽどマシだ。
腹を決めると、今度はどうやって、この自称探偵助手を撒くか、考えを巡らせていく。さすがに彼女を連れて行く訳にはいかない。
妙案が浮かばないままシャワーを終え、棚に置いてあった備え付けのガウンを羽織ると、高野内は、ベッドで横になっている小夜子に話しかけた。
「なあ、明日の事なんだけど……」
すると小夜子の寝息が静かに聞こえてきた。
小夜子の足元でくしゃくしゃになっている毛布を広げて、彼女に掛けようとすると、その手にはしっかりと防犯ブザーとスタンガンが握られているのが見えた。
「おいおい、もし寝ぼけて自分に当てたらどうするんだ」
軽く呟くと、それを見なかったことにして、慎重に毛布を被せる。それからカードキーを手にし、そっと部屋を出た。
通路の先にあるエレベーターに乗り、甲板に上がると、隅にある喫煙所で煙草に火をつける。
満天の星空に、吐き出した煙草の煙がゆっくりと広がり――そして消えていく。
「小夜子の奴、いい気なもんだぜ。まったく」
吸殻を灰皿でもみ消すと、ゆっくりと重い足取りで部屋へと戻っていった。
その後姿を黒い影が密かに見つめていたが、自称名探偵はその視線に気づくことはなかった……。