第32話 恋愛と自由

文字数 5,470文字

 たしかに恋愛にも、人生のおそろしい深淵を感じさせるときがある。失った初恋にこだわって、まるで自分が女でもなく人間でさえなくなってしまったように感じている女のひとを見るとき、私は救いようのない痛々しさを感ぜずにはおられない。
 しかしまた、美しいひととして世にさわがれ、その一つ一つの恋愛や結婚が人目を引いているひとが、こっそり懸命に金をためていると聞いたときも、私はそのひとに、何ともいえない痛々しさを感ぜずにはおれないのである。
 私が、有名な銀座のバアのマダムから、養老院の話を聞いたときにも、そのような痛々しさを感じたのであった。

 彼女は、T子さんといって、「優雅」という名のバアを経営しているのだが、いかにも優雅という言葉の好きそうなひとである。五十を、五つ六つすぎているにちがいないと考えられるのだが、四十ぐらいにしか見えない美しいひとだ。その彼女の店は金持ちや有名人の集まってくる高級バアらしいのだが、もちろん私のような人間なんかとはまったく縁のないバアであることは想像できるのである。また彼女も私なんかのそれとまるでちがった過去をおくってきたひとなのである。

 彼女は、いわばあの大正年間の上流階級に見られる自由な女の一つの典型なのだ。彼女は、伯爵と結婚しているが、まえの項でふれた白蓮さんと同じように、自由を求めてその家をとびだしているからだ。ただ白蓮さんと違うところは、白蓮さんにはそのとき恋人があったのに反して、彼女にはそんなひとはいなかったのである。それだけ彼女の自由への願いは純粋であったといえるし、捨て身なところがあったといえるだろう。

 T子さんの結婚も、自分の親の束縛から逃れるためであった。そこに世間知らずの幼稚さが見られるにしても、結婚は彼女にとって自由そのものに見え、愛そのものに見えたのだ。
 結婚さえすれば、何も許してくれない親の束縛から解放されて、何でもできる気がしたのだ。そのとき彼女の向こうにある自由は、それを保証する相手を彼女に愛させるものなのだ。

 最近見たある婦人雑誌に、近頃の若い女の人々にとって、相手の男の生活力が恋愛の根拠になっていると非難めいて書いてあった。あるところでは、金銭が恋愛なのだとまで極論してあった。
 しかし相手の男の生活能力や金が、直接に今の若い女の心に愛を起こさせると考えたら、肝心なところで大間違いをしていると思う。
 たとえどうしてもそのように見える場合でも、彼女たちは自分の自由を愛しているのであり、相手の男の生活力や金がそれを保証してくれるように思えるからこそ、その男を愛するのである。
 もしそのひとが自分の自由にまったく無関心であったとしたら、相手の男のそのようなものには、まったく惹かれないにちがいないのである。

 T子さんの結婚も、そのような結婚だった。そしてまことに当然にも、その結婚生活は、T子さんの考えていたものとはまるっきり違ったものだったのである。
 夫が彼女を束縛しただけでなく、その家が彼女を束縛したのである。その生活は、じつに窮屈なものだったらしい。彼女は二、三年でついにたまらなくなって、とびだしたのだ。

 それから、T子さんの恋愛遍歴がはじまる。数えきれないほどだと御当人自身がいっているのだから、とにかくずいぶん多かったのだろう。その間、こりずに二度ほど結婚もしているらしい。だが、やはりとびださずにはおられなかったのだ。そして彼女の特徴は、一度これは駄目だと思ったら、すぐさまその決心を実行してしまうということである。

 その結婚のときも、たちまち別居生活に入っていた。別居といっても、二階と階下のそれである。結婚していながら別居するという形式は、たしかに結婚生活で自分の自由を確保するには、いい形式にちがいない。
 もちろん戦後では、こんなまわりくどいことをしなくても簡単に離婚すればいいのだが、戦前においては離婚は困難であるだけでなく、ある場合には社会的な自殺を意味したのである。ことに彼女のような階級に属する人間にとっては、そうだったのである。

 そしてT子さんは、別居によって得た自由をすぐ行使した。
 夫というひとは、学究的なひとで、二階の書斎にこもっているときが多かったのだが、そんなときも平気で彼女は友達を集めてワアワア騒いでいたのである。もちろんその友達連中というのは、美しい彼女を目当てに集まった男たちが大部分であったことはいうまでもない。

 そのような集りには、たしかにデカダンスであるにしても、自由に似た雰囲気はあった。それが彼女には楽しかったのだ。しかしほんとうに手放しで楽しめたかというと、そうではなかった。そこは夫の家であり夫の金を使っているのであり、何にもまして、別居しており交渉はないにしても夫があり、しかもその二階にいるということが彼女には重たかったにちがいない。

 だから名古屋の(しゅうと)から二、三日遊びに来るように言われときは、久しぶりにひとりで自由に旅行ができる喜びに、急いで名古屋へ出かけたのである。
 ところが、それが罠だったのだ。姑は、この気ままな嫁を厳重に再教育するつもりか、監禁同様に家に閉じこめただけでなく、女中さんと同じ待遇しか与えなかったのだ。
 ご飯を炊いたこともない結構な身分であったこの若奥様は、たちまち窮してしまった。しかし負けずぎらいの彼女は、よし、それなら、と懸命に炊事をやり始めた。だが、ことごとにヘマをしでかすばかりなのである。
 そこで彼女は一計を案じた。沢山いる女中さんの誰かを手なずけて、その女中さんに手伝ってもらおうとしたのである。このあたり、現在の彼女の事業家としての面目がうかがわれて面白い。

 そして彼女は、ひとりの女中さんを手なずけて、自分の苦境を切り抜けてゆくことに成功したのであるが、ただ残念なことにはそれはほんとうの成功だとはいえなかった。
 気の毒にも、そのT子さんのたくらみは、手なずけた女中さんを通じて、逐一、姑さんに報告されていたからであった。
 万事窮したT子さんは、ふたたび家出を決心したのである。そう決心すると、いつものように彼女はすぐに実行に着手していた。彼女は、東京の女友達と連絡をとり、名古屋のあるホテルに来てもらった。そしてその友達を訪ねるという名目で家を出たのである。だが難関は、手まわりの品物を持って出るということだった。監視がきびしい中を、そんなものを持って出ることは、不可能に近かったからである。

 夜だった。T子さんは、自動車の運転手さんにハダシでそっと家にやって来てもらうことにした。門から玄関までは相当な距離があり、その間には砂利が敷いてあったからだ。彼女は、運転手さんに昨夜から用意してあった旅行(かばん)をわたすと、自分もハダシになって門の外へ急ぎ足に出て行き、車の中に駆け込んだ。
 そして運転手が重い荷物を持っているために遅れてくる一、二分という短い間が、まるで何時間というほど長い間に感じられただけでなく、その間、さすがのT子さんも人並みにガタガタふるえていたのである。

 停車場へ来ても、まだ安心できなかった。彼女は、脱出の手引きをしてくれた女友達と便所へかくれた。そして便所から出ては、明かりへ時計をすかして、汽車を待ったのである。
 そして彼女がホッとできたのは、二等車に乗り込んでその汽車が動き出してからであった。
 もちろん、このようなT子さんの物語は、私と同じように多くの読者にとっても無縁に感じられるだろうと思う。
 それは裕福な、金の心配のない階級の物語であるからだ。だが、私がこの貧しい恋愛論に、T子さんに登場してもらったのは、たとえ物質的な裏付けがあったにしろ、恋愛よりも自分の自由を求めて生きて来た、ひとりの女のひとをクローズアップしたかったからである。

 彼女は、恋人とただふたりで差し向かいになったとき、五分ももたないといっている。退屈してしまうのだ。ひとりと楽しむよりも、多くの人々と楽しむことを、より好むからだ。そしてこの多くの人々との楽しみは、時に恋愛さえも退けてしまうほど強烈なのである。
 だから彼女は、なるほど次から次へと恋愛をして来たが、また一つ一つの恋愛に対しては、潔癖なほどキチンと整理して来たのである。彼女の知人は、その彼女を評して、「整理癖の強い人だ」といった。

 だが、一つ一つの恋愛をキチンと整理するためには、いつも自分の主体的な自由を確保しておかなければならない。そしてその自由の根拠は、彼女の場合、金である。
 そのために彼女は、いろんな事業を計画し、それを実現させて行く。今は、バアをやっているが、気が向けばポンと自家用車を買うような彼女は、それに満足はしていない。
「バアをやめなければならないことは分かってるのよ。でも、やめてどうするかということは分からないけど」と彼女はいう。
 だが私は、この言葉を聞いたとき、恋愛においても、彼女はそうなのだと思う。彼女は、一つの恋愛においても、それをやめなければならないものを、すぐその恋愛に感じとるにちがいないのだ。たとえその恋愛をやめて、どうするというあてがなくてもだ。

 以前の私は、小説で、高利貸のような容赦のない打算的な理知と、少女の無邪気でやわらかな心情をもった女を描こうとして失敗したことがあるが、T子さんは、考えてみると、そのような極端ではないにしても、どこかその人物と似ている気がして仕方ない。
 だが、このひとりで生きて行こうとするT子さんは、いったい、どこへ行こうとしているのだろうか。彼女には、最初の結婚から生まれた娘さんがいるのだが、その娘さんの生むお孫さんへであろうか。それとも、痛々しくも口にしなければならなかった養老院へであろうか。
 それとも新しい事業なのだろうか。それともまた、飽くこともなく繰り返して来た、また一つの新しい恋愛なのだろうか。

   ──────────────

 ── 文中にある「前項の白蓮さん」がどの女性をさすのか不明だが、第26話に取材したN子さんのようにも思われます。
 また、今回からこの「写経」作業、今まで椎名さんの本文にカッコをつけて来ましたが、読みにくいかとの想像、また改行を多くした方が読み易いかと思い、カッコは外させて頂きました。

 さて、この椎名さんの「愛について」の補足のような僕の文の進め方は、自分に引き付けて書くことが、恥ずかしいけれど、やっぱりいちばんいいのかな、と思案しています。
 キルケゴールと椎名さん、「ぼくの初期の作品はキルケゴールの影響を非常に受けています」(世界の名著40・キルケゴールの月報の対談で)とあって、その哲学と椎名さんの作品、思想との関係を考えてみたくもなったけれど、それを文章化する力量は今の自分にない。

 そのキルケゴールじたいが難解で、でも難しい文章も「自分に引き付けて考える」ことで、理解しやすくなっているか、と感じています。そのようにして理解するしかないか、とも思います。

 現代でも、「離婚を何回もしたヤツは、どこか性格に問題がある」とか、何か信用のおけない印象があります。なぜそうなるんだろう、と考えます。
 僕も一度結婚して、二回目は結婚しなかったけれど、べつの女性と一緒に暮らしていた時期がありました。そして今も、結婚はしていないけれど、またべつの女性と一緒に暮らして、十年以上が経っています。確かに、僕に問題があると思います。(別れとか離婚とか、それはふたりのもんだいで、どっちがわるい、というのではない、という「やさしい」言葉ももらったことがあるけれど、それは横に置いて)

 で、そんな僕が、このT子さんを弁護するみたいな文を書くのは、ていのいい自己正当化で、それもあまり書きたくありません。ですが、この椎名さんの文章から僕に響いてきたのは、… これも正当化、後付けの「意味付け」になってしまいますが、T子さんの「自由を求める」ような生き方を僕もしてきました。
 ほんとに、これから、どこへ向かっていくのだろう。T子さんとの違いは、そんなお金持ちではないということ。
 若い頃は、「人々の中に」いることが嬉しくて、いかにも「生きている」気になっていましたが、五十も半ばになった今、そんなに人を求めることもなくなりました。
 それより、この、ない頭(頭に失礼だけど)をつかって、思索、というと大袈裟ですが、考える作業、人生の意味みたいなものを、この世に生きる意味のようなものを、ひとりで考えて、それを文という形にできれば、と思うようになりました。これは、晩年と位置づけている現在の自分の、若い頃からの理想の生活形態でもありました。
 しかし、何か「人々の中」にいないと、これは確言できますが、何か「生きている」気がしない。といって、もう「みんな」の中で以前のように盛り上がったり、関係の中に情熱を注ぎ込めるような、そういうものも薄くなりました。

「自分で新しいものを切り開いていく(それがT子さんにとっての事業だったのでしょうが)、それができない人間は、今までの社会慣例どおりに生きるのが良い」という言葉もあり、その社会慣例に適応できずに来た自分なんかは、もうどうにもできないな、という気になり、得意の絶望的気分になります。
 自由を求めて生きてきた、その代償は自分にしか払えないし、それが義務だろう、とも思い… いやいや、話が逸れていく、今日はここまで。(すみません)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み