第12話 愛と知性について(3)
文字数 2,034文字
「ここで一言注意しよう。世の中には無知な愛ということがよくいわれる。先日の新聞も一少年の強盗事件を報道し、それを母の愛の無知に原因づけている。
つまりその少年へ小遣いを与え過ぎたことが少年を悪に走らせたというのである。しかしそれは愛の罪ではない。ただ単にその母親が無知だっただけなのである。正しくは、自己の愛の実現に関して知性を欠いていたのである。かくして知性は、愛の実現ということに関して愛に協力するのである。
愛とは、ただひとりということである。人間は孤独だから愛するのではない。愛するから孤独なのである。人間が真に孤独を知るのは、ただ愛においてだけである。孤独だから愛するという愛は、単なる感傷にしか過ぎないのである。そしてこのように孤独である者だけが、実現という問題の前に立ち得るのである。そして実現は実践によって基礎づけられている。」
「ぼくはひとりの女を愛する。しかし愛は実現を求める。だが知性が実現に関する諸条件を調べて、お前の愛の実現は不可能であると告げたらどうであろう。ぼくは真の孤独を知る。
というのは、そこで不可能という壁の前に立たされるからである。しかしその時初めて孤独がやって来たのではなかった。愛の体験を持つものは、愛している各瞬間に孤独であったことを思い出すであろう。
いかなる愛においても、真にそれが愛であるならば、必ず孤独によって根柢づけられているのである。」
「しかし知性が不可能を告げても、ぼくはやはり愛の実現を求めずにはいられないだろう。そしてそれが愛であるからだ。ぼくは一日一日をそれへの実現に没頭する。相手を手紙や言葉で動かそうとし、またいろいろな方策を講ずる。
そしてこれらの実現への努力が実践なのであり、その努力の手段に関して知性がその能力を発揮するのである。
それは人間への愛が社会的実践を生み出し、その社会的実践に方向を与えるものが知性であるのと同様である。
言い換えれば知性は常に愛を実現する手段としてあらわれるのである。」
── これは、東京女子大学新聞に昭和二十四年初出誌、とある。
ところどころ、解かりにくい箇所もあったけれど、こうして完結されると、僕はやはり椎名さんのいいたかったことが解かる気がする。確かな「気」をもって、そう思う。
しかし東京女子大の新聞に書いたものとは、驚いた。昭和二十四年なんて、うまく想像もできないが、むかしは作家の講演会が各所でよく行われていたようだ。椎名さんも大学に呼ばれて講壇に立ったり、こういう文の依頼を受けていたのかなという想像はできる。
たぶん愛とか、いろんな人生における究明、追求すべきテーマに対し、学生の方々も「知性」の欲を発揮していた時代だったのかもしれない。
愛は、実践すること。ここにも、キルケゴールの影が少しチラつく。
「人類愛をうたっている人が、隣人にひどく、愛のカケラもないように接していたのを見たことがある。そういうことは、よくあることだ」という意味の文も、ほかのエッセイで僕は読んだことがある。
理想ばかりを掲げ、しかし日常茶飯の細かなことをないがしろにする人に対する際、椎名さんはどんな態度で接しただろうと想像してしまう。
なんでこうなるんだろうな、と、その目の前の相手をまず見つめ、そして相手の実際における理想と現実の差異をやんわり指摘するだろう。でも相手の理不尽な情熱に、逆にギャフンとなってしまう、そんな椎名さんを想像する。
椎名さんにとっての愛の実践は、すなわち生きることだったろうと思う。
その上で、書くことに多大な時間を、それに伴って考える時間を、おそらく喜びよりも苦しみの方が多く、費やされたろうと思う。
僕の好きな、椎名さんに関するこんな逸話がある。
「深夜の酒宴」でデビューしたての頃、ある喫茶店で編集者と打ち合わせをしていると、偶然、当時の流行詩人が離れたテーブルにいた。詩人は酔っ払っていたらしく、椎名さんを見つけると、「おい、あんなのが文学か!」と椎名さんの作品にイチャモンをつけ始めた。それはひどい罵詈雑言だったらしい。編集者が思わず立ち上がり、詩人のほうへ行こうとした。
だが椎名さんは、その編集者を止め、「耐えろ。な、耐えろ」と言い、みずから詩人のテーブルへ行き、「どうもすみません」と頭を下げた──
「知性は常に愛を実現する手段としてあらわれる。」
それを、紙の上だけでなく、生活のうえでも体現していた作家だと思う。だから僕は椎名さんの言葉を信じたいと思うし、その文章から椎名さんを信じられる手ごたえを、そんな逸話を知る前から説得力をもって感じていた。
ともかく、その独特の文体といい、生き方といい、僕にとって掛け替えのない、唯一無二の作家なのだ。
(僕は、知性を讃美称賛する者ではない。だが、その「性」は既に人間に備わっているのだ。それは、憎しみや憎悪、自分勝手な何かのはけぐちのためにつかわれるものではない、と信じたい)
つまりその少年へ小遣いを与え過ぎたことが少年を悪に走らせたというのである。しかしそれは愛の罪ではない。ただ単にその母親が無知だっただけなのである。正しくは、自己の愛の実現に関して知性を欠いていたのである。かくして知性は、愛の実現ということに関して愛に協力するのである。
愛とは、ただひとりということである。人間は孤独だから愛するのではない。愛するから孤独なのである。人間が真に孤独を知るのは、ただ愛においてだけである。孤独だから愛するという愛は、単なる感傷にしか過ぎないのである。そしてこのように孤独である者だけが、実現という問題の前に立ち得るのである。そして実現は実践によって基礎づけられている。」
「ぼくはひとりの女を愛する。しかし愛は実現を求める。だが知性が実現に関する諸条件を調べて、お前の愛の実現は不可能であると告げたらどうであろう。ぼくは真の孤独を知る。
というのは、そこで不可能という壁の前に立たされるからである。しかしその時初めて孤独がやって来たのではなかった。愛の体験を持つものは、愛している各瞬間に孤独であったことを思い出すであろう。
いかなる愛においても、真にそれが愛であるならば、必ず孤独によって根柢づけられているのである。」
「しかし知性が不可能を告げても、ぼくはやはり愛の実現を求めずにはいられないだろう。そしてそれが愛であるからだ。ぼくは一日一日をそれへの実現に没頭する。相手を手紙や言葉で動かそうとし、またいろいろな方策を講ずる。
そしてこれらの実現への努力が実践なのであり、その努力の手段に関して知性がその能力を発揮するのである。
それは人間への愛が社会的実践を生み出し、その社会的実践に方向を与えるものが知性であるのと同様である。
言い換えれば知性は常に愛を実現する手段としてあらわれるのである。」
── これは、東京女子大学新聞に昭和二十四年初出誌、とある。
ところどころ、解かりにくい箇所もあったけれど、こうして完結されると、僕はやはり椎名さんのいいたかったことが解かる気がする。確かな「気」をもって、そう思う。
しかし東京女子大の新聞に書いたものとは、驚いた。昭和二十四年なんて、うまく想像もできないが、むかしは作家の講演会が各所でよく行われていたようだ。椎名さんも大学に呼ばれて講壇に立ったり、こういう文の依頼を受けていたのかなという想像はできる。
たぶん愛とか、いろんな人生における究明、追求すべきテーマに対し、学生の方々も「知性」の欲を発揮していた時代だったのかもしれない。
愛は、実践すること。ここにも、キルケゴールの影が少しチラつく。
「人類愛をうたっている人が、隣人にひどく、愛のカケラもないように接していたのを見たことがある。そういうことは、よくあることだ」という意味の文も、ほかのエッセイで僕は読んだことがある。
理想ばかりを掲げ、しかし日常茶飯の細かなことをないがしろにする人に対する際、椎名さんはどんな態度で接しただろうと想像してしまう。
なんでこうなるんだろうな、と、その目の前の相手をまず見つめ、そして相手の実際における理想と現実の差異をやんわり指摘するだろう。でも相手の理不尽な情熱に、逆にギャフンとなってしまう、そんな椎名さんを想像する。
椎名さんにとっての愛の実践は、すなわち生きることだったろうと思う。
その上で、書くことに多大な時間を、それに伴って考える時間を、おそらく喜びよりも苦しみの方が多く、費やされたろうと思う。
僕の好きな、椎名さんに関するこんな逸話がある。
「深夜の酒宴」でデビューしたての頃、ある喫茶店で編集者と打ち合わせをしていると、偶然、当時の流行詩人が離れたテーブルにいた。詩人は酔っ払っていたらしく、椎名さんを見つけると、「おい、あんなのが文学か!」と椎名さんの作品にイチャモンをつけ始めた。それはひどい罵詈雑言だったらしい。編集者が思わず立ち上がり、詩人のほうへ行こうとした。
だが椎名さんは、その編集者を止め、「耐えろ。な、耐えろ」と言い、みずから詩人のテーブルへ行き、「どうもすみません」と頭を下げた──
「知性は常に愛を実現する手段としてあらわれる。」
それを、紙の上だけでなく、生活のうえでも体現していた作家だと思う。だから僕は椎名さんの言葉を信じたいと思うし、その文章から椎名さんを信じられる手ごたえを、そんな逸話を知る前から説得力をもって感じていた。
ともかく、その独特の文体といい、生き方といい、僕にとって掛け替えのない、唯一無二の作家なのだ。
(僕は、知性を讃美称賛する者ではない。だが、その「性」は既に人間に備わっているのだ。それは、憎しみや憎悪、自分勝手な何かのはけぐちのためにつかわれるものではない、と信じたい)