第29話 この愛は恋愛に至らず i

文字数 1,332文字

 椎名麟三の死。
 それは、主観的真実であれ、客観的な真実であれ、つまりは「ほんとうのもの」を追う態勢が、人から失われた象徴の一つのように思う。
 インターネット、スマホの影響もあるだろう。やがて「ネットやスマホがなかった時代」なんて、信じられない世代になるだろう。
「今あるものが当たり前」になれば、それまであったものは淘汰されていく。自然のようであるが、人為による、造成された川のうねりのままに、流されているような気がする。
 ふいに、そんなことを書きたくなった…

 続けよう。
 
「私は、五十をすぎたある生花のお師匠さんを知っている。小太りの健康なひとで、自分の芸道に熱心なひとだ。過去にいろんな男のひとと交渉があり、一度結婚もして失敗もしているが、いまは自分の老後の生活設計をしきりに考えているようである。
 いまも男のひとがいるのだが、男には別に妻子がいるので、結局男に頼ることができないと考えているからだ。ある日、私がそのお師匠さんと話をしているときだった。たまたま、話が恋愛の問題に及んだとき、私は冗談に、
『お師匠さんは、いままで、いくつぐらい恋愛をして来たんですか?』
 とたずねたことがある。するとお師匠さんは、どこかおだやかさの感じさせる顔に当惑をうかべながらぼんやりいった。
『いくつぐらいって…』
 私は、お師匠さんの羞恥を破って打ち明けやすいようにするために、更に冗談を重ねた。
『百七十三くらいあると思っているんですよ、ぼくは』
『百七十三? どこからそんな数字を』
 とお師匠さんは笑ったが、すぐ考えにあぐむような声でいったのである。
『そりゃいろんな男の方とおつきあいして来ましたけど、さあ、どこから恋愛といえるんだか』
 そして彼女は、記憶のなかにうかんで来るいろんな男の顔を思いうかべながら、あの場合は恋愛だったろうか、あのときは恋愛でなかったろうかと考えているようだったが、ついに面倒くさくなったらしく、急に笑いだしながらいった。
『わたし、ひょっとしたら、恋愛なんか一度もしたことがないのかもしれないわ』」

「それでは、恋愛とそれに至らない愛とのけじめは一体どこにあるのだろうか。
 この区別は、私には至極簡単のように思える。恋愛はどこまでも相手にこだわるからである。
 たとえば、わたしはあのひとが好きだという気持ちは、恋愛の可能性をふくんではいるだろうが、恋愛だとはいえないだろう。友人に、その言葉をいったとき、あやしいぞとはいわれるだろうが、しかし弁解の余地はあるのだ。彼は、人がいいとか誠実だとか仕事熱心だとかいう理由を三つぐらいあげれば、たいていのひとはあなたが彼が好きだということを、しかし恋愛でないということを納得してくれるはずだからである。
 しかしもしあなたが、わたしはあのひとが好きだ、ほんとうに好きだ、といったとしたら、彼に対する好意というものは、すでに、恋愛の領域に入り込んでいるのである。あのひとが、ほんとうに、ほんとうに好きだと思う各瞬間にである。
『ほんとうの恋愛であるか』という反省は、恋愛を消し去るものであるが、『ほんとうに愛している』という心は、恋愛を成就させるのである。人間の他の根本的条件と同じように立たせるものが倒すのだ。」
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