第26話 自由な恋愛 i
文字数 3,576文字
「私が、そのN子さんと知り合ったのは、直接には彼女の自殺未遂事件を通じてであった。
それまでに客としてであるが、彼女の姿を見たり、彼女と口を利いたりしたことはあったのだ。彼女は、銀座の割烹店の娘であったからだ。私は、その店へしばしば雑誌社の座談会や会合に招かれて行くことが多かったのである。
といって、N子さんは、客の席へ姿をあらわしたことはない。いつも帳場の奥にすわって、税務署へ出す伝票の計算をしていたり、客の請求書を書いたりしていた。三十五ということだったが、三十ぐらいにしか見えなかった。
眼が大きく奥ぶかげな美しいひとで、ときには癇症らしく長い髪を洗い髪のように後へ垂らしていたが、それがどうしてかよく似合って、私は、ひどく新鮮な印象を受けたものである。
絵もかく彼女は、自分の姿の美的効果をチャンと計算しているようなところがあったのだ。たしかに着物を着ても洋装しても、妙なふうに垢抜けしていた。つまり異国ふうなのだ。
敗戦まで北京に暮らしていたせいかも知れない。しかし彼女は、そんなふうに髪をといて垂らしている自分をこう説明した。
『気分がクサクサして仕方がないからですのよ』
そして頭を大仰に振って、その垂らした髪を右肩越しに前へもって来たりした。すると彼女の心にある空虚なものがふと感じられた。
あるとき私が、帳場の近くを通っていると、ひとり娘らしいあたりかまわないわがままな声で、
『あああ!』
といかにも情けなさそうな大きな嘆息をついているのである。私が帳場をのぞき込むと、彼女はびっくりして、はにかむようにして弁解した。
『わたし、お金の勘定をしたり帳簿をつけたりするような仕事、大嫌いですの』
その彼女には、何もかも捨ててここから飛び出して行きたいというような強い衝動のうごめいているのが感じられたのである。
だが、彼女には気ままにそれができなかった。心臓がわるく、いたずらに奔放な生活をすることは危険だったからである。三十五になる現在まで結婚しないでいるのも、その病気のせいだったのだ。
もちろん彼女は、自分がそんな病気であることを私たちに見せもしなかったばかりか、廊下を歩いている彼女は、駆けるように元気に歩いたりしていたのだった。」
「このようなN子さんに心を寄せる男も多かったようである。といって、それらの男は店の客ではないということはたしかだった。
店では律儀一方のお父さんや、引揚後の苦境をひらいてここまで店を仕上げてきた男まさりのお母さんがいて、客にはN子さんに挨拶するぐらいの機会しかなかったし、N子さんも店の客と口をきくのを避けているようなところがあったからだ。
だが、そのN子さんに男がいたということはたしかだった。ある夕方だった。私が銀座の裏通りを歩いているときだった。自動車が勢いよく私のすぐそばを通りすぎたと思うと、少し向こうでキキキとブレーキをきしらせながら急停車したのである。
こんな通りをとばすなんて危ないやつだな、と私はいささか非難めいた気持ちでその車の方を見た。
すると黒いドレスを着たN子さんが、その車から急いで降りて来たのだ。だがそのN子さんの手は、車の中から出ている男の手と強くつながっていた。そして彼女は、嬉しそうに車内へ笑いかけていたのである。
しかし彼女はすぐその手をはなすと、前の建物の中へ駆け込んだ。そして初めて私は、その店が彼女の家であることに気づいた始末だった。
自動車は、ふたたび走りはじめた。私は、その車の後のナンバーが自家用車のそれであるのを見た。私は思わず羨望の念をまじえながら、その車の主へともまたN子さんへともなく呟いていたのである。
『ふん、全くいい気なもんだな』
すると私には、はっきりと、N子さんが私とは全く縁のない世界の住人あることを見たという気がして、何か興ざめた思いがして来たのだった。
ところが、それから間もなくだった。その店で映画の打ち合わせの会があったときである。その打ち合わせもすんで、酒になったとき女中さんがN子さんが自殺をはかったと私たちにいったのである。
私は、ちょっとショックを感じたが、当然な気もした。私は女中さんへいった。
『けっきょく、男のことだろう』
女中さんは肯 きながらたずねた。
『よく知ってなさるのね』
『あたり前だよ』と私はいった。『N子さんは一種の雲の上のひとだから、ぼくたちのように金のことで自殺するはずはないからな』すると女中さんは、心から共鳴したのである。
『そうよ、ねえ!』」
「だが、私は、女中さんの話を聞くにつれてだんだん神妙な気持ちになっていったのだった。N子さんの苦しみが自分のものとして実感されて来たからである。
N子さんには、男が四、五人もいたらしい。麻雀や絵の会などで知り合った人々らしいが、それらの数人の男に肉体関係をもっていながら、彼女は誰にもとらわれるようなことがなかったのである。
その中の一人に、官庁につとめている四十男がいた。もちろん妻子があったのだが、彼はすっかりN子さんに熱をあげてしまって妻子を離別し、N子さんとの結婚をせまったのである。
彼女は、自分の結婚生活のできない理由をのべて、その申し出をことわった。だが、男は承知しなかったのである。
彼は、彼女の両親へ結婚を頼みに来た。それで彼女の外での生活がばれ、それまで病気だからという理由で彼女を気ままにさせていた両親も、今度ばかりはと彼女をひどく叱りつけたらしい。
丁度その頃、男は彼女を強引に近くの旅館へ誘い出し、他の男の名をあげて、彼女の不実をなじったのである。そしてその夜彼女は、家に帰って来るなり睡眠薬を飲んだのだった。遺書もなかったというから発作的だったのかも知れない。『でもお医者さん、心臓がわるいのによくたすかったと不思議がっていたそうよ』と女中さんはいった。」
「事件というのはそれだけである。だが、私には、たとえ発作的であったにしろ、彼女を死まで思いつめさせたものが私の胸の奥ふかくで理解された気がしていたのである。
単なる浮気とはいえない、人間の本質に根ざした何かがあるように思われたのだ。それは人間の力ではどうにもならないものであった。」
── 前記の「二つの愛」、T子さんに取材した話と、基本的に同じような話に見える。
日常、毎日の繰り返しからの、非日常への衝動、発作。T子さんのそれが過去の愛人への「自己への帰還」、あれがホントウの愛だったと思える時間への郷愁のような愛だったとしたら、この「自由な恋愛」のN子さんはもっと直情の、甘やかされて育った人に特有のような「叱られたから自殺する」(妻子ある者から結婚を迫られただけなら、自殺までしようとしなかったろう)という、衝動そのものの自殺未遂だったように思える。
だが、叱られて、睡眠薬を飲むまでの、その時間は、そんな短絡的な、衝動だけが突き動かした時間だったとは僕には思えない。常日頃から、結局その日常に、不満、そして疑問、さらにどうにもならない身体に制限された日々からの自由への渇望が、火山のマグマのように、N子さんの体内に巣食っていたように思われる。
四、五人の男をかこっていた時、N子さんはきっと自由を感じていただろう。生きている、という実感、自分がほんとうの自分になったような、まったく違う、自分でない自分になったような、そんな時間の中にゆらめきながら、生き生きと愛人たちの間に生きていたように思う。
だが、そのような「自由奔放な」生活、帳場に縛られている時間があってこその「自由」な彼女の活動時間は、結局ながくは続かなかった。遅かれ早かれ、いつかは真剣に結婚を迫る男が現れ、両親にもバレ、N子さんは日常のやんわりした牢獄に連れ戻されていただろうと思う。
椎名さんのいう「人間の本質に根ざした何か」、それは現在のその人間の自己が置かれた状況をそのままに受け容れられない、そこから脱していきたい、それを否定したい、それがその「何か」であると思う。
否定すること、それが自我、自己というものの現われである。椎名さんにお孫さんが生まれ、その赤ちゃんがあやされたか何かされていた時、「イヤイヤ」をした。それを見た椎名さんは「こんな小さいのに自我を主張するのはたいしたものだ」と、おかしな誉め方をしていた、というような手記を、椎名さんの娘さんの真美子さんは書かれている。
拒否、否定する、ということが自我・自己のめばえである、と僕も思う。
だが、その否定、拒否したい対象は(それが日常現実の中に往々にしてあるのだが)、その自己の力ではどうにもならない。もっと言えば、その拒否したい自己自身が、自己自身ではどうにもならない。ここに人間の悲劇がある、と捉えていいだろうか?
それまでに客としてであるが、彼女の姿を見たり、彼女と口を利いたりしたことはあったのだ。彼女は、銀座の割烹店の娘であったからだ。私は、その店へしばしば雑誌社の座談会や会合に招かれて行くことが多かったのである。
といって、N子さんは、客の席へ姿をあらわしたことはない。いつも帳場の奥にすわって、税務署へ出す伝票の計算をしていたり、客の請求書を書いたりしていた。三十五ということだったが、三十ぐらいにしか見えなかった。
眼が大きく奥ぶかげな美しいひとで、ときには癇症らしく長い髪を洗い髪のように後へ垂らしていたが、それがどうしてかよく似合って、私は、ひどく新鮮な印象を受けたものである。
絵もかく彼女は、自分の姿の美的効果をチャンと計算しているようなところがあったのだ。たしかに着物を着ても洋装しても、妙なふうに垢抜けしていた。つまり異国ふうなのだ。
敗戦まで北京に暮らしていたせいかも知れない。しかし彼女は、そんなふうに髪をといて垂らしている自分をこう説明した。
『気分がクサクサして仕方がないからですのよ』
そして頭を大仰に振って、その垂らした髪を右肩越しに前へもって来たりした。すると彼女の心にある空虚なものがふと感じられた。
あるとき私が、帳場の近くを通っていると、ひとり娘らしいあたりかまわないわがままな声で、
『あああ!』
といかにも情けなさそうな大きな嘆息をついているのである。私が帳場をのぞき込むと、彼女はびっくりして、はにかむようにして弁解した。
『わたし、お金の勘定をしたり帳簿をつけたりするような仕事、大嫌いですの』
その彼女には、何もかも捨ててここから飛び出して行きたいというような強い衝動のうごめいているのが感じられたのである。
だが、彼女には気ままにそれができなかった。心臓がわるく、いたずらに奔放な生活をすることは危険だったからである。三十五になる現在まで結婚しないでいるのも、その病気のせいだったのだ。
もちろん彼女は、自分がそんな病気であることを私たちに見せもしなかったばかりか、廊下を歩いている彼女は、駆けるように元気に歩いたりしていたのだった。」
「このようなN子さんに心を寄せる男も多かったようである。といって、それらの男は店の客ではないということはたしかだった。
店では律儀一方のお父さんや、引揚後の苦境をひらいてここまで店を仕上げてきた男まさりのお母さんがいて、客にはN子さんに挨拶するぐらいの機会しかなかったし、N子さんも店の客と口をきくのを避けているようなところがあったからだ。
だが、そのN子さんに男がいたということはたしかだった。ある夕方だった。私が銀座の裏通りを歩いているときだった。自動車が勢いよく私のすぐそばを通りすぎたと思うと、少し向こうでキキキとブレーキをきしらせながら急停車したのである。
こんな通りをとばすなんて危ないやつだな、と私はいささか非難めいた気持ちでその車の方を見た。
すると黒いドレスを着たN子さんが、その車から急いで降りて来たのだ。だがそのN子さんの手は、車の中から出ている男の手と強くつながっていた。そして彼女は、嬉しそうに車内へ笑いかけていたのである。
しかし彼女はすぐその手をはなすと、前の建物の中へ駆け込んだ。そして初めて私は、その店が彼女の家であることに気づいた始末だった。
自動車は、ふたたび走りはじめた。私は、その車の後のナンバーが自家用車のそれであるのを見た。私は思わず羨望の念をまじえながら、その車の主へともまたN子さんへともなく呟いていたのである。
『ふん、全くいい気なもんだな』
すると私には、はっきりと、N子さんが私とは全く縁のない世界の住人あることを見たという気がして、何か興ざめた思いがして来たのだった。
ところが、それから間もなくだった。その店で映画の打ち合わせの会があったときである。その打ち合わせもすんで、酒になったとき女中さんがN子さんが自殺をはかったと私たちにいったのである。
私は、ちょっとショックを感じたが、当然な気もした。私は女中さんへいった。
『けっきょく、男のことだろう』
女中さんは
『よく知ってなさるのね』
『あたり前だよ』と私はいった。『N子さんは一種の雲の上のひとだから、ぼくたちのように金のことで自殺するはずはないからな』すると女中さんは、心から共鳴したのである。
『そうよ、ねえ!』」
「だが、私は、女中さんの話を聞くにつれてだんだん神妙な気持ちになっていったのだった。N子さんの苦しみが自分のものとして実感されて来たからである。
N子さんには、男が四、五人もいたらしい。麻雀や絵の会などで知り合った人々らしいが、それらの数人の男に肉体関係をもっていながら、彼女は誰にもとらわれるようなことがなかったのである。
その中の一人に、官庁につとめている四十男がいた。もちろん妻子があったのだが、彼はすっかりN子さんに熱をあげてしまって妻子を離別し、N子さんとの結婚をせまったのである。
彼女は、自分の結婚生活のできない理由をのべて、その申し出をことわった。だが、男は承知しなかったのである。
彼は、彼女の両親へ結婚を頼みに来た。それで彼女の外での生活がばれ、それまで病気だからという理由で彼女を気ままにさせていた両親も、今度ばかりはと彼女をひどく叱りつけたらしい。
丁度その頃、男は彼女を強引に近くの旅館へ誘い出し、他の男の名をあげて、彼女の不実をなじったのである。そしてその夜彼女は、家に帰って来るなり睡眠薬を飲んだのだった。遺書もなかったというから発作的だったのかも知れない。『でもお医者さん、心臓がわるいのによくたすかったと不思議がっていたそうよ』と女中さんはいった。」
「事件というのはそれだけである。だが、私には、たとえ発作的であったにしろ、彼女を死まで思いつめさせたものが私の胸の奥ふかくで理解された気がしていたのである。
単なる浮気とはいえない、人間の本質に根ざした何かがあるように思われたのだ。それは人間の力ではどうにもならないものであった。」
── 前記の「二つの愛」、T子さんに取材した話と、基本的に同じような話に見える。
日常、毎日の繰り返しからの、非日常への衝動、発作。T子さんのそれが過去の愛人への「自己への帰還」、あれがホントウの愛だったと思える時間への郷愁のような愛だったとしたら、この「自由な恋愛」のN子さんはもっと直情の、甘やかされて育った人に特有のような「叱られたから自殺する」(妻子ある者から結婚を迫られただけなら、自殺までしようとしなかったろう)という、衝動そのものの自殺未遂だったように思える。
だが、叱られて、睡眠薬を飲むまでの、その時間は、そんな短絡的な、衝動だけが突き動かした時間だったとは僕には思えない。常日頃から、結局その日常に、不満、そして疑問、さらにどうにもならない身体に制限された日々からの自由への渇望が、火山のマグマのように、N子さんの体内に巣食っていたように思われる。
四、五人の男をかこっていた時、N子さんはきっと自由を感じていただろう。生きている、という実感、自分がほんとうの自分になったような、まったく違う、自分でない自分になったような、そんな時間の中にゆらめきながら、生き生きと愛人たちの間に生きていたように思う。
だが、そのような「自由奔放な」生活、帳場に縛られている時間があってこその「自由」な彼女の活動時間は、結局ながくは続かなかった。遅かれ早かれ、いつかは真剣に結婚を迫る男が現れ、両親にもバレ、N子さんは日常のやんわりした牢獄に連れ戻されていただろうと思う。
椎名さんのいう「人間の本質に根ざした何か」、それは現在のその人間の自己が置かれた状況をそのままに受け容れられない、そこから脱していきたい、それを否定したい、それがその「何か」であると思う。
否定すること、それが自我、自己というものの現われである。椎名さんにお孫さんが生まれ、その赤ちゃんがあやされたか何かされていた時、「イヤイヤ」をした。それを見た椎名さんは「こんな小さいのに自我を主張するのはたいしたものだ」と、おかしな誉め方をしていた、というような手記を、椎名さんの娘さんの真美子さんは書かれている。
拒否、否定する、ということが自我・自己のめばえである、と僕も思う。
だが、その否定、拒否したい対象は(それが日常現実の中に往々にしてあるのだが)、その自己の力ではどうにもならない。もっと言えば、その拒否したい自己自身が、自己自身ではどうにもならない。ここに人間の悲劇がある、と捉えていいだろうか?