第27話 自由な恋愛 ii

文字数 2,590文字

「私は、帰りにN子さんの部屋へ見舞いに寄った。もちろん私は、N子さんの部屋も初めてであり、N子さんと向き合って打ち明け話をしたのもその時が初めてであったのである。その部屋は、思ったよりせまく、三畳ほどだったが、表がえしたばかりのような畳の新しさが印象的だった。そばの本箱には、世界文学集がきちんとならべてあり、その端に朱の塗り机をおいてN子さんはすわっていた。さすがに少しやつれていたが、ふだんの彼女とちがっているようには見えなかった。
『わたし駄目な女らしいですの』と彼女は他人のことでも話すような、遠いがっかりした声でいった。
『男の方は誰でも好きになってしまいますのよ。おじいさんはおじいさんで、年下のひとは年下のひとでやはり好きになってしまうんですの。自分でもわけがわからないんですわ』」

「私は、女中さんの話を聞いたときから心にあった言葉をいった。
『誰でも好きだが、しかしほんとに好きになったことはないんでしょ』
 すると彼女は、自分の胸へひびいている声で答えた。
『そうなんですのよ。誰もみんないいひとで好きなくせに、いつもどこか空虚な気持ちがしているんですわ』
『相手は、官庁のお役人さんだってね』
『ええ。耳たぶに大豆ぐらいの大きなほくろがあるんですの』と彼女はかすかに笑った。『あの日、朝から何度ことわってもジャンジャン電話をかけてくるんですの。で仕方なくわたしあの宿へでかけたんですわ。するとあのひと、二十万円もの札束を見せて、これ退職金だとおっしゃるんですのよ。そしてあんたをこの東京においておけないから九州へいっしょに行ってくれって』
『どうして東京においておけないの?』
『関係のある男のひとがたくさんいるからだとおっしゃるのよ。もちろんわたし、こんな病気では九州へなんか行くことできませんわ。で、おことわりしましたの。するとあのひと、わたしを責めて責めて…』
『浮気者といって?』
『いいえ』と彼女は妙な笑いをうかべながらいったのである。『あんたはあんまり自由すぎる、ぼくを愛しているくせに、どうしてそうなんだ、などといって』」

「私は、思わず()きだした。その役人が何だかおかしかったからである。だが彼女は神妙な顔でいったのだ。
『でも、自由すぎる愛ってせつないものですわ。ほんとにわたしそんなものほしくないのに…。誰かの太い鎖にガチャンとつながれていたいと思っていますのに、それが駄目なんですの。わたしはひょっとしたら生きているようで、ほんとは死んでいる人間なのかもしれませんわ』
 それから彼女は嘆くようにいった。
『ほんとにわたしどうして生きて行ったらいいかさっぱりわからないわ』
 私は間もなくN子さんの部屋を出た。
 もう九時をすぎていたが、バアやキャバレーはいまが盛りらしく、華やかなネオンサインの照らしているその裏通りには、賑やかなバンドやレコードの音楽が流れ、あちこちに酔っ払った社用族らしい人々が群をなして歩いていた。
 私は、新橋の方へ向って歩きはじめた。その私はN子さんのいささか異国ふうなところのある美しい顔を思い出しながら、彼女の愛のなかにある空虚が、彼女に官庁のお役人を怒らせた愛の自由を生み出しているのだと考えていたのである。
 するとそのような空虚は、彼女のように病気ではなく、だから結婚できる女のひとの愛のなかにも案外ひそんでいることがあるかもしれない気がして来た。」

 ── まあ、そうだろうなと思う。結婚していようがしていまいが、その心のなかの空虚は、ある人にはどうしようもなくあるものだろうからだ。
 男にせよ女にせよ、ほんとうにひとりの異性を、一生涯、おもい続けられるものだろうか?
 一緒に生活することで、そこから離れられない仲、おたがいが、おたがいなしではやって行けないという、現実的な必要性から、必然的に逃れられない関係はあるだろう。
 子どもがいることや、倫理やらに、全く圧せられている心があるにしても、そしてその現実や心が、それをもつ自己自身に常識を与え、ほとんど無意識にまでに「非常識」を排除、否定、拒絶し、そうしている自分に気づかない、ということはよくあることだと思える。
 だが、本人がそれについて無意識、つまり気にも留めない、自覚しないという、一種の自己保身、それを生きる基盤、いわば一神教、一心的な態勢を崩さず生きてこられた人たちがいるとしたら、そのような人たちから見れば、N子さんのような存在は甘えた、がんぜない子どものように映るのかもしれない。

 殊に、自殺未遂までおかしているから、このN子さんのお話は、読者から共感は得られ難いかもしれない。いのちに関わる問題にあっては、だれもがそのいのちを有し、だからこのような文面にふれられるのであるが、そのいのちをもって生き・生かされているし、そのいのちに関することは自分のいのちに関わることであり、他人事とも思えずに、感情的にムキになってしまいがちな心理がはたらくものがあると思われる。
 心底から、N子さんの言動に共鳴できない、気持ちはわかるけれど、心の底から首肯はできない、何か引っ掛かるものが感じられるのは、僕の中の常識的な何かがはたらいているからだろうと思う。
 もしN子さんと僕が共感、ほんとうに共感し得るとしたら、とにかくおたがいに自殺し、死んだ後で見つめあった時であろう。

 それはあたかも、ほんとうにわかりあえた、この世で唯一無二の、わかりあえた、まるでもうひとりの自分自身との邂逅、のような関係であるかもしれない。
 だが、それは、もしそのような邂逅があったとして、それは、その時は、この世ではない。まことに、残念すぎるが。
 その時さえ、ない世界でないかぎり、おそらくそのような関係はあり得ない。そして関係ができる関係は、この世にしかない。

 いきなり、平和、という言葉が僕の頭に浮かぶ。
 人一人一人が、おたがいにほんとうに理解し、相手にそれ以上のことを求めず、おたがいがおたがいであることを認め合い、許容しあえたならば、平和な、争いのない世界が一丁、できあがるのではないか、と。

 ところで、N子さんに結婚を申し込んだ男のひとは、N子さんへの愛からでなく、「自由すぎる」N子さんへの嫉妬から、怒りはじめたのだということが、僕にも少し、申し訳ないけれど噴きだしてしまうような箇所だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み