第24話 二つの愛 ii

文字数 2,612文字

「T子さんは、クリスチャンの家庭に育った。T子さんの推測によると、その御両親は、一緒に洗礼を受けられたらしいのである。彼女は、大連に暮らしていたが敗戦直前東京の会社へ転勤になったために、引揚者の苦しみは味わわなかったが、戦災には二度も遭っていた。でも戦後二、三年して、女子大に入ったのだが、そのころ、女学校時代の女の先生のところへ時々遊びに行くようになっていたのである。
 その女の先生にSという弟があり、ある日横須賀線の電車のなかで、そのSさんから愛を打ち明けられたのだ。それから二、三日たって、彼の手紙が家に届いた。彼女は、それへどう返事を書いたらいいか迷って、つい母親に、
『こんな手紙が来たんだけど』
 とその手紙を見せた。だが、クリスチャンの母は、どう思ったのか。
『今後、Sさんと交際してはいけません』
 と、かたく禁じてしまったのである。」

「その瞬間、T子さんはSさんを愛してしまったらしいのだ。もちろんSさんが彼女に会ってはならない男となったからである。その後まもなく、現在の夫のKさんと結婚し、いまでは一歳半になる男の子もいるのだが、いまだにそのSさんが、彼女の心のなかにふかい悔恨として生きているのである。
 で、彼女は、偶然の機会にSさんと会うこともある。いまは放送会社に勤めているSさんは、そのT子さんの思いを避けたくもあり、しかも避けたくもないような感じでこういう。
『あなたの御主人は、ほんとにいい人なんですよ』
 そして彼女は、どうしていいか分からなくなる。自分の生きている場所は、この家庭であり、だからほんとうに夫を愛していかなければならないのだと考える。
 で、彼女はそうするのだ。家の中をきちんと片づけ、縫物や洗濯なども精を出してやってのける。だが、家事に引きまわされ、何となく疲れ果てたようなとき、ふいにこういう言葉が思いうかんで来るのだ。
『愛って、いったい、何だろう!』」

「二、三日は、彼女は、何か空虚になって家事にも手がつかなくなる。そしてある夕方会社から帰ってきた夫の顔を見ると、どうしてもたずねずにはおられなかったのだ。
『愛とは、何なの、あなた』
 疲れて会社から帰ってきた夫のKさんは、この言葉だけで辟易(へきえき)してしまう。無限の、しかも多労なだけの解決のない言葉の洪水にひきまわされねばならなくなってしまうからである。
 Kさんは、何とかいって、そのT子さんの問いから逃げ出す。そしてT子さんは、その問いの前にひとりぼっちで残される。
 その彼女には、そこに自分のほんとうの愛がありでもするように、初恋のSさんの顔が思いうかんでいるのである。」

 ── 予想に反し、肉体関係はなかったようだ。ただこのT子さんという方は、かつて愛した男が忘れられず、そのために、罪の意識を、旦那さんと、自分自身を合わせ鏡に見て、苦しんでいらっしゃるというふうである。

 罪、この意識には、やはり倫理とか道義、こうあるべき・こうあらねばならないはずなのに、そうではない・そうなれない自己に対し、ひとり孤独のうちに煩悶するという、罪というもの自体が罪づくりな、人を心の底から苦しめる魔物のような気配がある。

 前回、自分のことを書いたから、今回も少し僕の体験からこの罪のことを書いてみたい。
 僕は、45年位前の不登校児である。誰もが行っている学校に行かない・行けない自分というのは、全く「罪」そのものだった。僕は、その自分に罰を与えようとした。自殺することによって。
 だが、あのとき僕が考えた自殺は、自分がいると周りに迷惑が掛かる、という意識もひどく強かったが、自分自身がラクになりたい、という欲求のほうが強かったように思う。
 だから自殺は、それを考える、夢想するだけで、僕をずいぶん楽にさせてくれた。僕のような人間は死ぬべきだ、と考えることによって、「まとも」である意識を、かろうじて保っていた、と言える。
 面目を保つ、という表現が相応しいかもしれない。薄っぺらい面目だったかもしれないが、自分はまだまともである、と意識することができていたのは、確かだった。自殺さえ考えられなくなったら、そういう「罰」さえ自分に与えなかったら、ほんとうにダメな人間になりそうだった。
 学校に行かない時点で、僕は十分にダメな人間であることは自覚できていた。

 そんな常識、「行くのが当たり前」という常識に親も縛られ、… 子どもだった、親を苦しめていた張本人である自分がこんなことを書くのは気が引けるが、ほんとうに親は苦しんでいた。
 だが、「どうして学校に行かせたいんですか。行かなくてもいいじゃありませんか」という、相談に行った小児精神科医の一言で、親は、いわば「改心」してくれたのだった。父は、頭を殴られたようだった、と当時を振り返って言っていた。

 おかげで僕は、しかし「社会的に」、世間の眼、近所の眼が気になって外には出られなかったが、家のなかでは、親に面と向かってご飯を食べることができるようになったものだった。
 その幼児体験というか、子ども時分の体験は、「考え方、ものの見方ひとつで、救われる」ということを僕に教えた。

 親が、そう考えてくれただけで、自分は救われた気になったこと。哲学、思想的なものに惹かれるようになったのは、そういう本が兄の本棚にあった影響もあるが、考え方一つで、人はきっと、苦しまなくても済むんだ、といった、その「考え方」を知りたい要求があったため、と思われる。(自分が救われたから、僕は、という主語が、人は、に置き換わったと見える。)
 また、なにも苦しみは、学校に行く/行かないに関わらず、こういう自分であるために、生きている間はずっと続くんだ、とも、徐々に確かに実感していった。

 愛は、つまり僕にとって、親の許容、それが愛だったと確言できる、親の愛によって、すくわれた、と胸を張って言える。その愛は、それによって生じ、つまり僕にまるごと入り込み、身体も精神も救われたという、そこからほんとうに感じ得た愛だった。

 この「二つの愛」の椎名さんの文章のなかで、T子さんを苦しめているのは、倫理観であり、正しさ、であると思う。
 僕の子ども時分の体験と、この椎名さんの文を結びつけるのは、無理があるかもしれない。
 でも、僕には、かたちに現れるものは違っていても、その苦しむ土台の仕組みは、同質の、おなじ木目のように見えてならない。
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