第9話 愛と知性について(1)

文字数 1,634文字

「先日、街を歩いていて、古着屋の店先にこういう看板のかかっているのを見た。『高価買入と安値販売の店はここ』── ぼくはそれを見たとき噴き出した。一つの品物に対する妥当な価格よ! 高く仕入れ、安く売っていては、商売は成り立たないだろうと思ったからである。
 しかし噴き出した自分が間違っている。その看板は、正しくは一般の買値の相場より高く買入れ、一般の売値より安く売って利ザヤのほとんどない正直な商売をしています、という意味に理解されるべきなのだろう。
 つまりこの看板の妙味は、絶対に矛盾する二つの世界、二つの価値体系を、『と』という助詞で簡単に連接し得たことによって、生活しているという点にある。
 かくて助詞『と』は、現代における神となる。それはいかなる矛盾も統一し得るのである。」

「古着屋の主人は、『と』という助詞のなかに彼の実践を発見し、そこへ彼の生活をかけているのである。もし『と』がなければ、彼は首をくくらなければならないだろう。
 ぼくは街を歩く。多くの看板がある。
『自由と平等をもたらす思想はここ』
『永遠と時間を可能にする思想はここ』
『マルクスとキルケゴールを結びつける思想はここ』
 まことに古着屋万才である。
 そしてぼくは一つの看板の前に立ち止まる、『愛と知性を売る店はここ』。」

「ぼくは『自分がある女を愛しているのは、彼女の耳のかっこうがいいからだ』と公言している男を知っている。そしてそれでその男を愛しはじめたという女を知っているのである。
 だがあなたの知性が偉大であり、聞いた人々は、なるほどそうなのだろうと感じ入っているのだ。しかしぼくは少し意地が悪いので、その女の耳に腫れ物ができ、かっこうが変わったらとひとりで想像して笑うのだ。
 もしその男が恋人の耳のかっこうの変化に嫌気がさし、愛さなくなったとしたら、彼の愛というものは笑うべきものだからだ。
 またもし、彼が耳をあきらめて今度は唇の恰好がいいから愛していると言い出したとすれば、やはり笑うべきことであるからだ。そして僕たちの周囲はこのような人たちに囲まれている。
 料理が上手だから妻を愛している夫、数学家であるから夫を愛している妻、そしてあのファッショ時代には、なんと多くの女性が軍服を愛したであろう!」

 ── それほど、率直にいって僕は面白い文章だとは思わない。こうして写経をしていると、むなしく感じたりもする。でも読み返してみると、やはり椎名さんの文だと思う。むかし「この小説は誰が書いたものでしょう?」といった文芸雑誌の企画があって、数人の作家が匿名で作品を書いた。椎名さんの作品は、すぐに読者にわかった、とかいう話をどこか(全集だったか)で見た。
 名前を見なくても、これはあの人が書いた作品だ、と分かるのは、一流作家の証明である、とその(編集者の話だったと思う)一文にあったのが印象的だった。

 椎名さんはほんとにどこまでも椎名さんで、一時期「丹野丹助のナントカ」(ナントカは失念)という、ちょっとおチャラけた小説を連載していたこともあったが、やはりムリだったらしい。一度始めた連載は最後まで完結させた椎名さんの初めての休載、そして未完だったといわれる。
 自分の性質、性格から外れたものを書こうとしても、それは最初から自分の限界を突破してしまうようなもので、… でも椎名さんらしいなぁと思った。

 この「愛と知性について」、おそらく対極のもの、そのままでは矛盾するもの、を統一するもの、それが愛であるということを云いたいんじゃないか、と思われる。
「おんなじことを、ずっと言ってきた気がする」と、自身の著作活動を述懐していた椎名さんだから、しかし「よく飽きもせず繰り返してきたと思う」意味のことも別のエッセイで書いている。

 今、あなたの書いたものを、ここに再生している、物好きなヤツもいるんですよ。
 もし天国にいらっしゃるなら、どうぞ見守っていてください、と、ちょっと微笑みながら自分に言う。
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