第11話 愛と知性について(2)

文字数 1,240文字

「知性は価値観から離れることはできない。知性は愛すべき価値観がないかぎり愛することができないのである。
 もし相手に自分を納得させる価値観が見い出されない時、知性は悪戦苦闘して、とんでもないものを見つけ出してくるのである。
 耳の恰好などはいい方だ。ぼくはナイフの研ぎ方が上手なので、一切の人間に対して愛する価値が認められなかったどうであるか。その時でさえ人間を愛せずにはいられないし、愛していたとするならば、あなたはこの上もなく滑稽である。全く愛とは知性にとって、多分に滑稽なものであるのだ。
 ひるがえって、あなたが誰かを愛しているならば、そのあなたの愛に問う。あなたの愛は果たしてあなたの知性に耐え得るだろうか。そしてこのような反省において、あなたはあなたの知性と真実な関係に入るのである。」

「愛において、ぼくが本当に相手を愛しているかどうかという反省をもつ時、ぼくは自分の知性の前に立っているのである。ぼくは、自分の知性に向って、抗弁する。なぜなら愛しているからだ。
 しかし弁護士が裁判官を納得させ得るに足る証拠や理由をもたなければならないように、ぼくも自分の愛に知性を納得させる理由を見つけなければならないのである。
 彼女は美しいから? ── しかし彼女がぼくの知っている範囲における美人であっても、そのような美人は、おそらく世界中には百万人も千万人もいるに違いないのである。
 ぜひぼくにとって彼女でなければならないという理由にはならない。
 彼女はやさしいから?── しかしおそらく世界中には彼女のようなやさしい女は、百万人も千万人もいるのであって、どうしても彼女でなければならないという理由にはならない。
 かくしてぼくは、知性の前に徹底的に敗訴である。
 知性はおごそかに宣告するのだ。お前はあの女を愛してはいないのだ、と。
 ぼくはだまされたような奇妙な顔つきとなって知性の前から引き下がってくる。
 そしてこう言わずにいられないのだ。『愛している』それが一切の理由なのだ、と。」

 … 何ということはない、「愛している」。
 だが、それが一切の理由なのだ、と言い切れるまでの理由。

「知性と愛がこのように矛盾であるのは、知性は合理的であるのに反して、愛は非合理なものであるからである。
 言い換えれば、自己における愛とは、信ずるより仕方のないものなのである。だからぼくたちは、愛において常に理由を求めなければ不安なのである。
 つまり理由がなければ、自己の愛を信じることができないのである。
 かくてほとんどの恋愛者は、あの古着屋の主人と同じなのである。愛と知性の『と』という助詞のなかに生き、その助詞へ自己を賭けている。」

 おかえりなさい、「と」。
 ここで僕は、冒頭の「と」の意味をやっと知る。
 ああ、「愛している」、これですべてがAll right、絶対大丈夫、となったなら!
 でも人間は、きっと考えざるをえない。思考することからは、逃れられない。
 もう、これはどうしようもないこと…
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