第17話 現代の悩みと苦しみから

文字数 2,101文字

 この「現代の恋愛論」は、昭和三十一年に「婦人画報」一月号~十二月号に連載されたもの。
 椎名さんは、婦人雑誌にも多く登場している。文体も軽妙になり、追うテーマは変わらずとも、読み易い。

「私は、新聞や雑誌を見ても、妙に興味をひかれる記事がある。若い女性の恋愛観だとか男性観などに関するものだ。
 しなければならないことが沢山あるので、ゴシップに類する記事などほとんど読まないのに今朝などはある新聞の「私の好きな男性」についての女優さんの訪問記事を読んでいる。
 そしていつものお決まりの失望を感じて、いそいそとその記事から逃げ出していたのである。
 私は、もう四十五だ。頭もそろそろ薄くなり始めて来ているし、恋愛についてもさまざまな経験もなめさせられてきている。
 若い女性の相手役になろうとするような希望も、また若い女性の相手役だった追憶も薄れてきている。
 それだのに、そのような記事に心をひかれるのは、いったい自分は何をもとめているからなのだろうか。」

「もちろん私は、作家だからその自分をよく知っている。私のもとめているのは、正しい恋愛観でもなければ、現代的な男性観でもない。愛なのだ。それもほんとうの愛なのだ。それをその小さな記事から見たいと思うのだ。
 だが、若い女性の座談会を見ても、また先の女優さんの話を読んでも、そこで語られていることは、私を失望させるものばかりなのだ。
 愛するならば、相手の男の背の高さは、五尺五寸五分五厘ぐらいなければならないとか、誠実でなければいけないとか、芸術に興味のある人でなければならないとかに類する事柄ばかりだからだ。
 だが、そう言っている人だって、あの愛の瞬間に、
『わたしはあなたをほんとに愛していますわ、それはあなたの背の高さが五尺五寸五分五厘あるせいですわ』
 と言うのだろうか。ほんとうにそう言うのだろうか。」

「彼らは、愛について何も知らないのかもしれない。だが、私は、結局失望させられることを知りながら、やはり若い女性の記事を読み続ける。
 なぜ若い女性でなければならないのか。それはその年頃の女性こそ、愛について、少なくとも恋愛について、いちばん真剣に考え、いちばん多様に感じているにちがいないと思われるからである。
 もちろん愛についてそこに語られる社会的な経済的な諸条件も大切なものである。それは一つの愛を生かしもするし殺しもするものだからだ。それと同時に、愛するということが、しかもほんとうに愛するということが大切なのだ、というはなはだ分かり切ったことが忘れられてはならないと思われるのである。」

「今の若い女性は、ほんとうに愛そうとし、そしてまたほんとうに愛されたいと思ったことはないのだろうか。そしてほんとうには愛し得ない思いや、ほんとうには愛していないという思いにさびしさやかなしみを感じたことはないのだろうか。
 そしてまた一体、ほんとうに愛するということ、本当に愛されるということはどんなことなのだろうか。
 実存的な哲学者であったキルケゴールは、『恋愛の最初の期間こそ、この上もなく美しいものである。その時は、相逢うたびに、目と目を見交わすたびに、何やら新たな喜びが心のうちに起ってくるものだ』といっている。
 だがこの何やら新たなという喜びのなかに、ほんとうのものがかくされていることは事実なのである。
 さいわい私は、そんな新聞や雑誌の記事を通さずに、じかに職場や家庭のなかへ入って行き、現代に生きている若い女性たちの心をたずね歩く機会を与えられた。それは今後何ヵ月つづくか知らない。あるいは短期間であるかも知れない。
 だが、私は、この困難な現代に生きているそのひとびとの、恋愛についてのなやみやくるしみから、ほんとうの愛のいろいろな様相を浮彫りにして御報告できればと思っているのである。」

 ── ほんとうの愛。
 この「ほんとうの」というのは椎名さんの真骨頂で、この「ほんとう」によって椎名さんは多くの小説、エッセイを書かされてきた、書かざるをえなかった、書くしかなかった、と僕には思える。同時に、この「ほんとう」のものを求めなければならなかったのが、椎名さんの生命そのものだった、と思う。
 椎名さんが椎名さんである由縁、椎名さんにしか造形し得なかった独特の文学のぜんぶは、この「ほんとうの」に形容されるところのものから始まっている。と、文学とは何たるかも知らない僕は、椎名文学に限っては声を大にしていいたい。
 いささか、前記まで(死と愛について)と比べて軽くなっているのが、僕には物足りないけれど、この「現代の恋愛論」は実際に椎名さんが若い女性を訪ね、取材をした上での「論」なので、自分の中の「ほんとう」への追求でなく、若い女性一人一人の各自の「ほんとう」へ、椎名さんの「ほんとう」をかさね見る、という具合に進んで行くのだろうと思う。

 が、やはり「死」というものから免れることはできないだろう。そこから目を背けないことが、ほんとうの勇気のようなものであり、やさしさであり、くさい言葉でいえば、寄り添う、思いやる、というようなことであると僕には思える。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み