第44話 最後に

文字数 1,220文字

 椎名麟三と出逢わなくても、私は生きてこれただろう。
 私の気質が変わったとも思えない。ただ、血となり肉となるに近い「関係」であり、椎名さんの書いたものを読む時間、椎名さんの生命ともいえる「言葉」に触れ、接し、その時間を共有したことは確かである。
 軽い読み物が増えている時代にあって、椎名さんの重さ、そして「耐える」こと… 生きていくにあたって、なくてはならぬものを私は椎名さんを経由して、この時間から学んだつもりだ。

 戦中・戦後を生きた人は強い。死体がゴロゴロ転がっている場を歩き、焼け野原を歩いた人は強い。
 まわりの人との関係も、今と比べればよほど深い。助け合わなければ、生きていけなかった時代と思う。
 生きることと、日常生活が一致していた── 人どうしが、ほんとうに生きていた、生き合っていたようなイメージが浮かぶ。

 今だって、ほんとうに生きているであろう。だが、でもその「ほんとう」は、どうにもぎこちない。
 まわりの人のことなど考えず、だからその気持ちも考えず、想像するにも及ばない、「ほんとうに自分のことだけを・そればかりを優先して」生きている人が多くなった気がしてならない。

「私は自分以上に人のことを愛せない。でも、自分と同じくらい、あなたを愛せると思う」
 そう言って、愛する人にプロポーズした人を知っている。言われた相手は、キョトンとしていたそうだ。
 だが、この二人は結婚し、約40年、なかよく暮らした。

 とても素敵なプロポーズの言葉だと思う。誠実な言葉だと思う。これ以上ない、最高の愛の告白だと思う。
 椎名さんは、誠実すぎるほど誠実な人だった。心臓病のため、いつもニトログリセリンを懐中にしのばせ、いつ来るとも分からぬ発作に備え、来れば戦い、耐えて、かつ周りの仲間に心配をさせぬよう、当然のように気配りをする人だった。中国の文学界から招待された一団の中で、町を歩行中、椎名さんは発作に襲われた。激痛にうずくまっても、フィルムの入っていないカメラを取り出し、地面などをパシャパシャ撮っていた。まわりに、心配をかけさすまいとする椎名さんは、「ずいぶん写真が好きな人なんだなあ」と思われただろう、と述懐していた。

 私は、とてもじゃないが椎名さんほど立派な人になれない。ほんとうに立派な人だったと思う。
 貧乏で、学歴もなく、とんでもない苦労をしながら独学で「書くこと」を学び、それを生涯の生業とした。自殺せず、さいごまでほんとうに生きた人だと思う。

 三島由紀夫がいて、太宰がいて、山川方夫がいて、大江健三郎がいて… すごい時代だったと思う。
 繰り返しになるが、椎名麟三の文学、消えてほしくないと思う。こんな、といっては失礼だが、こんなネットで、せめて一冊、全文を写経できたこと。ぼくの、へたな感想など、入れるべきでもなかったと思う。
 
 時代といってしまえばそれまでだが、今後、一人でも、椎名文学に触れる人が現れることを、切に望みつつ。
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